こ)さん。靖国神社をテーマに「日本人に生れて私は幸運だった」という見出しの下、
「我が家では、毎年、8月15日の早朝、夫婦で靖国神社に参拝する」と書き出している。
ご主人で作家の三浦朱門氏と曽野さんが毎年、靖国神社に参拝されていることはよく知
られていることなので、靖国神社をテーマにしていることや、8月15日に参拝することに驚
いたのではない。曽野さんが次のように書かれていたからだ。
≪私は一人の台湾人のために毎年靖国に参る。その方は、当時日本人としてフィリピンで
戦い、日本人として戦死し、その遺体さえついに待ちわびる父母の元に帰らなかった。そ
の父は、最期まで長男の死を認めず、葬式も出さず墓も作らなかった。≫
曽野さんと三浦氏は、李登輝元総統ご夫妻が靖国神社に参拝されたとき、一緒に参拝し
ていただいたことがある。忘れもしない平成19(2007)年6月7日のことだ。同行は、曽野
さんご夫妻からの申し出だった。
曽野さんは「一人の台湾人」としか書かれていない。だが、フィリピンで戦死し、その
父が長男の死を認めず、葬式も出さず墓も作らなかったというのは、李元総統の実兄の岩
里武則命(台湾名:李登欽)のことと思われる。
李元総統ご夫妻が靖国神社を参拝されてから5年が経つ。曽野綾子さんはそれ以降、「一
人の台湾人のために毎年靖国に参」られていたというのである。この一文を読み、思わず
落涙しそうになった。李元総統ご夫妻がこのことを知ったら、どれほど喜ばれるかと思っ
たからだ。そして、こういう日本人がいることを誇らしいとも思ったからでもある。
曽野綾子さんが「新潮45」に連載する「夜明けの新聞の匂い」で、このときの靖国参拝
について書かれた。その抄録を本会編纂の『李登輝訪日 日本国へのメッセージ─2007旅
と講演の全記録』(まどか出版、2007年刊)に収録している。いささか長いがその全文を
下記に紹介したい。
また、靖国神社で李登輝元総統ご夫妻を迎えられた南部利昭宮司も、当時の様子を同書
に寄稿されている。併せてご紹介したい。
南部宮司は李元総統ご夫妻参拝の前年2月、私どもとともに靖国神社宮司として初めて訪
台し、李登輝元総統とお会いしている。そして、李元総統ご夫妻参拝の2年後、1月7日の昭
和天皇祭を斎行した直後に急逝された。
なお、掲載に当っては、漢数字を算用数字に改めたことをお断りする。
◆日本李登輝友の会編『李登輝訪日 日本国へのメッセージ─2007旅と講演の全記録』
http://www.madokabooks.com/isbn978-4-944235-37-7.html