【東洋経済オンライン:2010年6月15日】
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/d5c64ebba0e31320b6d42cc347d80d28/page/1/
台湾が中国との関係で、「実利か、アイデンティティか」で揺れている。
馬英九総統が自ら打ち出した中国との実質的な自由貿易協定(FTA)となる「両岸経済協力枠組み協定(ECFA)」を、6月中の合意を目指して推進中だ。これに対し、民主進歩党(民進党)をはじめ野党側は「中国に経済、政治的にのみ込まれてしまう」と危機感をあらわにし、反対運動を繰り広げている。
そのようななか、台湾の民主化を成し遂げ、中国とは一線を画し、「台湾は台湾」と主張して続けてきた李登輝・元総統も、「ECFA」に反対の意志を示した。
アジア最高の哲人政治家とされ、「台湾アイデンティティ」を打ち出してきた李元総統は、現政権のような中国との政治・経済関係を構築することに、どのような考えを持っているのか。「東洋経済オンライン」との単独インタビューでは、「ECFAは問題がたくさんある」と指摘、その有効性に疑問を呈した。(インタビューは5月5日に実施)
―― 現在の馬英九政権はECFA(両岸経済協力枠組み協定)を中心に、中国との経済的関係を強化しています。この動きをどう見ていますか。
今、馬英九政権は大きな2つの問題にぶつかっている。1つは、リーマンショックから生まれた世界同時不況による需要の大幅な減退をはじめ、不景気の状態にある台湾をどうすべきか。もう1つは、台湾経済の情勢と機会という問題だが、民進党政権時代から今の馬英九政権に至るまで、これらをまったくやっていない。そんな状態で、台湾経済はどのような機会=チャンスを持つべきかということが重要だ。
馬英九総統は、台湾の問題をもっぱら大陸に依存するやり方でやっている。私が総統だった時には、台湾経済の自主性、そして台湾の自主性を持ちつつも、台湾なりにやっていこうと努力してきた。その中でも台湾が今まで農業や中小企業に至るまで革新=イノベーションをやってきた経験がある。しかし今は、エネルギー問題がまったくなされていない。これが未解決の最大の問題だ。
特にエネルギー問題は、イノベーションの最たるものであるが、これまで、馬英九総統は「エネルギー」の「エ」の字も言ったことがない。たとえば、コメの減反政策。この点、日本は台湾よりきっちりやっている。
減反政策だが、台湾では約2200平方キロメートルの土地が空いていて、ここに穀物などをうまく植えてブタノールなどの代替エネルギーを生み出せば、おそらく現在のエネルギー消費量の10分の1は賄えると考えるが、誰もそんなことを考えていない。エネルギー再生という問題は、どうしてもやらなければいけない。
目下、台湾のCO2排出量は世界で8位。ところが増加率は世界一。解決していかなければいけない問題なのに、馬英九総統は何もやっていない。
一方で、経済のグローバル化がもたらす問題にも手が着けられていない。たとえば農産物。農産物はどんどん自国に入れるわけにはいかない。安全性の問題、たとえば農薬や肥料や害虫、いろんな病気など、日本人もわかっていると思うが、米国産の牛肉や中国の毒入りギョーザなどを見てもわかる。台湾では今、松阪牛が入らないという問題も大きな問題だ。
こんな問題があるから、政府はバランスを取らないといけない。危機と機会、この2つのバランスをうまく取った政策をどう採って、自国の発展を進めるべきか。これこそ肝要だ。
―― ECFAについてはどうお考えですか。
ECFAには3つの大きな問題がある。1つは中国の市場にのみ込まれ、台湾の主体性がなくなってしまうこと。次に失業問題や貧富格差の拡大など台湾社会にも強い影響を及ぼす。そして、政治的に台湾の主権も消滅しかねない。
先ほど述べた台湾の状況で、馬英九総統は中国大陸に依存すれば何とかしてもらえると思っている。私はこんな考えには大反対だ。
ECFAは、国民投票に必ずかける形にしなければならない。今、反対派が100万人の署名を集める運動をしている。国民投票に至るまで、いくつかの手続きを経る必要があるが、手続きがうまく進めば200万人は集まるとみている。
そもそも、ECFAが何をもたらすかは香港とマカオのケースを見たらわかる。香港にはCEPAというものができたが、見てご覧なさい。主権がなくなって、「一中市場」(一つの中国市場)に入ってしまった。
台湾の主権は誰が持っているというわけではない。歴史的に見ても、戦後、日本は台湾を放棄した。米国も、米国が台湾の主権を持っているとは言わないし、中国にあるとも言わない。結局、台湾の主権の問題は、ここに住む2300万人が握っているより道はない。現状ではね。
こんな状態で中国が何をするかと言えば、アメを台湾の人間に食べさせようとする。台湾の香港化だ。香港化さえすれば、台湾の人民は主権を持っている国がないから、台湾の内部をうまく取り扱って主権を取ってしまう。そうなれば「一中市場」に入り、彼らのわなに入ってしまうわけだ。
ECFAを中国と結ぶくらいなら、台湾はWTO(世界貿易機関)のメンバーなんだから、台湾はFTA(自由貿易協定)をやったほうがいい。国と国の関係でやればすっきりするんだ。
だから、ECFAの合意や成立を延期させたりストップさせたりするには、どうしても人民の力を発揮させなければいけない。だから国民投票という方法でECFAを止めて、やるならFTA方式でやれと、大いに主張しなければならない。
―― ECFAが成立して交流が進むと、大陸のものも入ってくる。とはいえ、馬総統は国内産業に打撃を与えないようなことも言っています。
馬英九総統はECFAで経済が良くなるなどと良いことばかり言っているが、ECFAを結べば悪い面が多い。一中市場になると、中国の勝手になってしまう。農産物や伝統産業、中小企業など勝手にやられてしまう。そうなると、台湾はますます失業者が増えることになる。
中国からの投資も解禁と言っているが、どうかな。馬総統は入れると言ったけど、台湾に来てまで投資をしようとする中国人はいるかな。不動産も台北で造るより上海で造ったほうがよっぽど儲かる。
現在は、台湾と大陸の経済貿易で、まだ有効な管理ができていない。そんな状態で多額の資金を持って海外投資を行うことは、国内投資に強く影響を及ぼす。それが問題だ。
■台湾は鎖国などしていない
―― 4月25日に、ECFAをめぐって初の党首会談(馬英九総統と野党の蔡英文・民進党主席)が行われました。直後の世論調査では、馬総統有利という結果が出ていましたが。
台湾のメディアは「どちらの支持」という傾向がはっきりしていて、それに沿った主張をするから、一概に「馬総統が有利」という判断はどうか。
実は、私は討論会の前に蔡英文さんに電話を入れて、討論会で事前で決められた項目に「台湾は鎖国をするのか中国化するのか」というのがあったので、蔡さんに「気をつけなさい。台湾はかつて鎖国をしたことがない。ここを相手から突かれるな」とアドバイスをした。
台湾は国際連合にこそ入っていないが、世界経済全体の1つの国であり、WTOのメンバーであることは間違いない。だから「鎖国」という言葉に気をつけなさい、とね。
ECFAの中身については、馬総統は討論会でまじめに答えなかった。肝心なECFAで何をやろうとするのか、その内容を1つも説明しなかった。これは問題だ。
蔡英文さんはそこを突こうとしたけど、馬総統はうまく引っかからなかったね。話がかみ合わなかった。だから蔡英文側が負けたという印象になったのではないのか。
―― 蔡英文主席の話はどこが足りなかったんでしょうか。
政府はECFAで何をやるのか、台湾に有利なことをやらせると言っているが、中国に言ったことははっきり実行されますか、と聞いたら良かった。
―― 蔡主席は討論会では「台湾の地位」についてはあまり触れませんでしたね。台湾の人は中国とは経済的に仲良くしたい、でも台湾は台湾であり続けたいと願っているのでしょうか。
「台湾の人は中国と経済の問題で仲良くしたい」と言う人は、実は全体の20%しかいない。大部分の人は、そうは思っていない。農村の場合は政府の補助があるからちょっと複雑だ。日本も同じでしょう。「政府の施策に反対すれば援助しないよ」と言われれば、イエスと言わざるをえない。
ただ、大陸から来たものは絶対に検査しなければいけない。台湾に影響を及ぼすものは絶対にやらないこと。農業の人はわかっていると思っているが、WTO方式で処理するような形でやらなければいけない。
これまでの、口蹄疫など中国から仕入れたもので大被害を被った。口蹄疫がはやったのも、広東省から子豚を輸入したのがいけなかったんだ。
また、台北の商売人は大陸と商売したいんだな。一次的には儲かるが、2〜3年すればだめになる。
結局、台湾は自分でイノベーションをやらないといけない。何も大陸に持って行く必要はない。持って行けば、関係する人は誰もが職を失ってしまう。このあたりを政府がうまく調整しなければいけない。
1970年代のオイルショックが過ぎた後、先進諸国は国家経済の自主性が国全体の発展にとって重要であることに気づいた。そのために、国家の生存と発展の優位性は、その国が持つ技術と資源の開発と分配能力に依存することがはっきりした。
台湾でも80年代の後期に成熟した一部の産業があった。彼らは結局、革新と研究発展を忘れてしまったんだよ。国内の賃金が上昇した結果、生産コストを下げるために東南アジアや中国に進出した。しかし学習する方法がなくて、結局模倣ばかりだった。最後は悪性の価格競争に陥って、利潤を得ることが難しくなった。
■イノベーションの継続が台湾に必要
―― かつて李登輝さんは「西進危機」という言葉を使われて、大陸に進出することに注意を払えとおっしゃいました。
大陸に進出するのがいけない、ということではない。私はそうは言わない。ただ、大陸に依存すべきではないということ。
国と国の関係は、「君は君、私は私、しかしお互い仲良くしましょう」ということ。だから「大陸は大陸、台湾は台湾、台湾は大陸の一部ではない」という考え方が私の基本的な考え方。日本人が忘れてはいけないこと。それは日本による50年間の統治期間で、中国とは違う台湾をつくったということ。
上海や北京がどれだけ発展しても、大陸と台湾は文化的に、意識的に大きな差がある。これを埋めるわけにはいかない。
―― 電子産業など、台湾がリードしている産業にも影響を受けますか。
台湾の電子産業は、私の見立てではあと何年かすると落伍する。半導体が問題だ。今の半導体産業をSOC(System-on-a-Chip、ある装置やシステムの動作に必要な機能のすべてを、1つの半導体チップに実装する方式)のような付加価値の高いほうに切り替えて、小さいものにして性能を高くすれば、テレビも電話もコンピュータも、一緒に使えるようになる。もしこれができれば、世界的に台湾は浮上する。
しかしこんなことをやろうとしても、カネがかかる。政府がカネを出して、技術者を日本やアメリカ、あるいは台湾内部から集めて総合的にやっていく。これをやらないと、台湾の電子産業は発展できない。
あとは中小企業。中小企業は雇用を増加させる可能性が高いからね。今の日本は知識産業が発達して特許などをたくさん持っているし、すばらしい研究をやってきている人が多い。
ところが、国があまりそんな人を大事にしていない。だから、そのように力のある人が一緒にやろうと台湾を訪ねてくる。最近も、日本から化学や医療関係者、再生エネルギーの技術研究者などが訪ねてきた。
―― 台湾の製造業に未来はありますか。台湾にとって製造業がいちばん大事な産業でしょうか。
今後も、台湾で製造業の発展が可能かどうかを考えないといけない。日本と同様に、労働力もないし人口の増加率は1%、どんどん台湾は年老いていく。となると、製造業はダメ。
台湾は日本のまねをして、海運や空運、知識産業などにシフトする。いろんなことを研究して誰かにつくらせたらいい。中国につくらせてもいい。ライセンスを買わせてもいい。
台湾は、たとえば電子産業はフィンランドのノキアのような企業が生まれるようなことをやればいい。医療関係もいいね。病院の設備も悪くない。
日本とも、台湾政府は技術的な協力や事業をやらせたら、台湾企業は元気が出ると思う。政府が一所懸命アピールすべきだ。
―― 結局、イノベーションの継続が台湾の生きる道、ということでしょうか。
たくさんのイノベーションをやらないといけない。最終的には、中国大陸との依存性をできるだけ少なくして、自分なりのイノベーションで台湾の自主性を打ち立てていく。
その時にいちばん大事なのは、繰り返しになるが、エネルギー問題。石油や原子力に頼らないような代替エネルギーをできるだけつくっていくこと。日本ではこの方面の研究者はたくさんいると思う。これを援助して大いにやらせるべきだと思う。
―― そうした技術を日本と台湾の企業が一緒にやっていく。台湾の企業はやれますか。
台湾の企業は目先の利益ばかりだからねえ(笑)。
カネはたくさん持っているが、台湾で儲けたカネはすぐに外国に持って行く。政府は税制を変えたりして、うまく台湾に投資させるようにしなければいけない。イノベーション、特にエネルギー再生の問題にはできるだけ力を入れなければいけない。私も個人的に援助ができたらしたいと考えている。
■東アジア共同体の可能性を検討したことはありますか
―― 日本の鳩山由紀夫首相(6月2日辞任)が「東アジア共同体」を提唱していますが、この提案はどう思われますか。
私はかつて、こんなことを言ったことがある。
「施政目標は絶えず機会とリスクの間にバランスを求めるべきである。グローバル化において商品、資金、および技術の国家間移動が自由になり、政治障害が除かれた後、商品市場は、もはや政府地域の制限を受けず、各主要市場が逐次単一市場に整合される可能性もある。しかし、グローバル化はこれによって、大多数の人間が自由に国を選択することはないだろう」と。
鳩山首相の「東アジア共同体」は、まさにこんな考えから出ているのだろう。
それにしても、おもしろい考えを持っているね(笑)。この共同体で誰が主導権を握るか考えたことがあるのか。そんな可能性をまったく検討していない。
EU(欧州連合)を考えてみたらいい。戦争の歴史からいろんな困難にぶつかりつつ、やっとできたんだよ。文化、宗教など近い国ばかり。アングロサクソンとラテンという2つの差があっても、まだ近い。
アジアの場合は言語でさえも大きな差がある。宗教も違うし文化も違う。国の習慣も違うところに、「東アジア共同体」など、その可能性を考えてうんぬんするのは早すぎる。
第2次世界大戦の時に「大東亜共栄圏」というのがあったが、それが言えたのは、日本が一国で力を持っていたから。だから、やろうと言えたんだ。今の状態なら、なおさら(東アジア共同体は)難しい。
―― 日本の政局も混乱が始まっています。
鳩山さんを首相とする民主党政権が成立したけど、この政府はおもしろいね。政党と政府、これが意見の対立を起こしている。さらに首相が「国家戦略局」なんていうのをつくっている。これじゃ、政治がうまくいくはずがない。
政党が政府をつくる。その政党と政府が対立して意見も合わない。結局、小沢一郎幹事長(当時)が強く握っていて、これでは、しばらく政府は乱れると思う。
今の民主党政権の状態は、政党政治とはあまり合わない。派閥政治になってきて、たとえば小沢さんの権力が強くなったら、かなり独裁的な政党・政権をつくるだろう。民主独裁は困る。そんな状態になるかもしれない。
小沢さんがどう把握して日本の政治を持って行けるのか。ヒトラーのナチズムみたいなまねをしたら日本はたいへんになるし、中国がやっているような独裁の形はやっていく必要はない。
もう1つは、首相は国民との間が密接であることが必要。私が2009年の訪日で、東京・日比谷公会堂で講演をしたときに、坂本龍馬の「船中八策」を紹介した。これに基づいた改革をやったらどうか、とね。なかでも、首相は公選にしたらどうか。
今の首相は国民との関係がない。結局、政党内の根回しで決めている。国民から見ると遠いよね。首相、総理大臣は国民とものすごく近い関係に持っていくのは非常に重要なことだと思う。
■国民党を分裂させればよい
―― 台湾も、年末に台北市や高雄市など5大都市の首長を選ぶ選挙があります。野党・民進党は蔡英文主席も、新しくできる「新北市」の市長候補に名乗りを上げました。与党も数多くの大物が出ています。台湾の政治は今後どうなりそうですか。
台湾でも坂本龍馬みたいな人を選ばなければいけない。こんな人はあまりいないけど。彼は明治維新前に薩長をうまくまとめ上げた。実力がある人がいい。今の台湾には、そういう人が核にならなければいけない。
いちばんいいのは、この5大都市選挙で民進党に勝たせる。そして、国民党を分裂させる。台湾派と中国派とにね。国民党が5大都市選挙で負けて、「馬総統ではだめだ」という形に持っていく。選挙で負ければ国民党内部で指導する力が馬総統にはなくなるからね。
すると、民進党とかほかの政党とも連携することができる。結果、挙国一致のように、総統は国民党、副総統は民進党、ほかの政党から行政院長(行政のトップ)と、半ば薩長連盟のような状態が起きるだろう。
―― その坂本龍馬役は李登輝さんがやられるんですか。
いやいや、違う(笑)。国民党内部、そして民進党内部の問題だから。働きかけはやはり必要だが。いずれにしても、台湾が国際社会で主体性を持って存在できる。そんな台湾になってくれれば、私はもう思い残すことはない。
(聞き手・福田恵介 =東洋経済オンライン)