常務理事)が先に推進していた台湾出身者が「中国」と記載されていた外国人登録証明書の改正問
題に取り組んだ。
署名活動では多くの方々からご協力いただき、また、岸信夫議員を会長とする自民党の日台若手
議連(日本台湾経済文化交流を促進する若手議員の会)のご支援をいただき、運動が7年目に入っ
た平成21年(2009年)7月8日、台湾出身者を「台湾」と記載することを定めるよう「出入国管理及
び難民認定法」を改正することができた。
その3年後の平成24年(2012年)7月9日から外国人登録証明書が廃止されて在留カードに切り替
わり、この在留カードでは「国籍・地域」欄が設けられ、台湾出身者は「台湾」と記載されるよう
になった。同時に、外国人住民基本台帳においても「国籍・地域」欄が設けられ、台湾出身者は
「台湾」と記載されるようになった。
法改正によって外登証問題が実質的に解決したことを受け、以前から問題となっていた戸籍問題
の解決に向けて動き出したのは、翌年(平成22年)11月3日、小田村四郎会長が当時の柳田法務大
臣に「台湾出身者の戸籍に関する要望書」を送達してからだった。
この要望書には、本会がこの問題に取り組むようになった当時の状況や、台湾出身者が「中国」
とされた根拠も記されている。改めてここに掲載したい。
◇ ◇ ◇
台湾出身者の戸籍に関する要望書
私ども日本李登輝友の会は、文化交流を主とした日本と台湾の新しい関係を構築することを目的
として活動している民間団体です。
最近、台湾出身の女性と結婚した方から、婚姻届を提出した地元の市役所で妻の戸籍の国名を
「中国」にされたと言って「私は台湾人の妻と結婚したのであって、中国人と結婚したのではあり
ません」という悲痛なお便りをいただきました。
当該自治体に確認したところ、「戸籍に関する事務は、法務省からの通達により国籍を省略でき
ないことから、届出者の了解を得た上で、その他欄に『国籍 中国』と表記した」という返答でし
た。
そこで法務省に問い合わせると、「法務省からの通達」とは昭和39年6月19日付で出された「中
華民国の国籍の表示を『中国』と記載することについて」という民事局長通達が根拠通達であるこ
とが判明しました。
昭和39年(1964年)といえば今から46年も前のことで、東海道新幹線が開業し、東京オリンピッ
クが開催された年で、日本が中華民国と国交を結んでいた時代です。しかしその後、日本は中華民
国と断交して中国(中華人民共和国)と国交を結ぶなど、日本と台湾・中国の関係は大きく変わっ
ています。
そこで、住民基本台帳の表記について東京都は平成20年5月、昭和62年の通知が現状に即さず、
正確ではないとの判断から、台湾からの転入・台湾への転出の際には「台湾」の表記を認めるとい
う通知を出しています。また、昨年7月には外国人登録証明書の在留カード化措置において、台湾
出身者の「国籍・地域」表記を「中国」から「台湾」に改める法改正も行われています。
現実的にも、中国が台湾を統治したことは一度もなく、日本政府も台湾を中国領と承認していま
せん。政府は観光客に対するノービザや運転免許証の相互承認も、明確に台湾と中国を区別して
行っています。また、台湾では天皇誕生日祝賀会を開催したり叙勲を復活したり、台湾と中国を区
別している事例には事欠きません。
従いまして、50年前とは様変わりしている事情や現実を踏まえますと、台湾出身者における戸籍
の国籍表記の件は、正確を期して早急に改めるべき状況にあります。
つきましては、戸籍の国籍欄を在留カードに倣って「国籍・地域」とし、台湾出身者は「中国」
ではなく「台湾」と表記するよう、民事局長通達を出し直すよう強く要望します。
柳田法務大臣におかれてはご多忙のことと存じますが、この要望書へのご回答は書面にて速やか
にお願い致します。
平成22年11月3日
日本李登輝友の会 会長 小田村 四郎
法務大臣 柳田 稔 殿