4月1日発売の月刊「正論」5月号に、台湾少年工の軌跡を描いた10ページにわたるレ
ポートが掲載されている。執筆はジャーナリストの岡村青(おかむら あお)氏で「日
台の絆を忘れまじ─台湾少年工の至誠純真を思う」と題し、見出しに「“あの戦争”を
ともに戦った友邦の歴史を未来に語り継ごう」と謳っている。
台湾少年工に関しては本誌でも何度か紹介し、阿川弘之名誉会長が台湾少年工出身の
洪坤山氏の短歌を取り上げて「文藝春秋」(平成15年8月号 巻頭エッセイ「葭の髄か
ら」)に「心の祖国」と題して発表していることや、李登輝学校日本校友会が毎年12月
に靖国神社で斎行している「台湾出身戦歿者慰霊祭」でも、その祭文には必ずご祭神と
して祀られている60名の台湾少年工も顕彰されていることを伝えている。
また、台湾少年工出身者でつくる台湾の「台湾高座会」(李雪峰会長)と交流を続け
ている「高座日台交流の会」の佐野た香(さの たか)会長、石川公弘(いしかわ き
みひろ)事務局長は本会理事でもある。特に石川氏は本会の神奈川県支部長としても活
躍し、機関誌『日台共栄』2月号でも「台湾高座会との深く長い交流」と題し、昨年の第
20回大会に参加した模様を執筆していただいた。同会の初代会長の野口毅(のぐち たけし)氏は現在、同会名誉会長で、本会でも理事とつとめていただいた。
*心の祖国[作家 阿川 弘之]【本誌第624号(平成19年9月28日)】
*野口毅・高座日台交流の会名誉会長が『遥かなる祖国』(共著)を出版【本誌第624
号(平成19年9月28日)】
*しめやかに第3回台湾出身戦歿者慰霊祭を斎行【本誌第658号(平成19年12月11日)
*昭和戦争中の元台湾少年工組織の代表 李雪峰さん【本誌第697号(平成20年2月5日)
岡村氏のこのレポートは、神奈川県大和市に建立されている台湾少年工の慰霊碑や台
湾高座会が寄贈した「台湾亭」を訪問するところからはじまり、神奈川県大和市、座間
市、海老名市にまたがる当時の「高座海軍工廠」の設置経緯や、そこに台湾少年工が入
るようになった由来などを詳しくつづっている。
また、台湾少年工出身者で日本在住の何輝州氏(80)、謝村泰寛氏(79)、呉春生氏
(79)、台湾在住の黄成鑑氏(77)の4氏を取材、来日の模様や当時の状況を伝えてい
る。そして最後に、当時、30数名いた士官の中でただ一人、少年工の宿舎に同居して少
年工と起居をともにした野口毅(83)氏を取材し、当時の様子はもちろんのこと、高座
日台交流の会の設立と台湾高座会との交流、野口氏の尽力によって実現した卒業証明書
の発行、戦歿した台湾少年工の靖国神社への合祀などについても伝えている。
台湾少年工については、野口氏らが執筆している『台湾少年工と第二の故郷』(平成
11年、展転社)さらに詳しいが、近年、ここまで詳しく取り上げた文篇は寡聞にして知
らない。ご一読を勧めたい。
なお、ささいなことだが、岡村氏のレポート中、事実認識に間違いが散見される。気
がついたところを以下に摘出しておきたい。
・P257:下段 高座海軍工廠の広さ「約186万坪」→「約30万坪」
・P257:下段 高座海軍工廠の「敷地内に士官用及び台湾少年工たちの宿舎」→士官
用は南林間駅近くにあり、台湾少年工の宿舎は大和市上草柳にあり、高座海軍工廠の
敷地内ではない。
・P258:中段 台湾少年工の人数「8,491人」→「8,419人」
・P261:中段 作家の三島由紀夫も少年工に志願して入所→三島は勤労動員として配
属されて寮に入るが、台湾少年工には志願しておらず、少年工の寮ではない。
・P265:上段 台湾の戒厳令が1987年8月に解除→解除は1987年7月15日。
・P265:中段 平成5年に『高座日台交流の会』を設立→高座日台交流の会は『台湾少
年工と第二の故郷』を出版した後、台湾高座会との交流の受け皿として平成12年3月に
設立。
(メルマガ「日台共栄」編集長 柚原正敬)
■月刊「正論」5月号
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0804/mokji.html
■野口毅編著『台湾少年工と第二の故郷』
http://tendensha.co.jp/asia/asia168.html