日本が6月4日に台湾に緊急支援した124万回分のアストラゼネカ製ワクチンについて、台湾の人々から感謝の思いを伝えるニュースやユーチューブがあふれています。
そこで、台湾ではどう受け止められているのかについて、台湾在住ライターの栖来(すみき)ひかりさんがレポートしていますのでご紹介します。併せて、台湾の知人から送っていただいたYouTube「日本の皆さん、台湾より感謝を受け取ってください」もご紹介します。
一方、提供した日本側の「裏事情」について、ジャーナリストの野嶋剛(のじま・つよし)氏が衆議院議員で日華議員懇談会会長をつとめる古屋圭司(ふるや・けいじ)氏にインタビューしていますので、別途ご紹介します。
ただ、日本では年内に米ファイザーから1億9,400万回(9,700万人)分、米モデルナから9月までに5,000万回(2500万人)分の供給を受ける予定で、この2つで十分間に合うことから、英アストラゼネカと契約した1億2,000万回(6,000万人)分の使い道が決まっていなかったこともあり、台湾支援に使用した経緯があると伝えられています。ただ、アストラゼネカ製はまれに血栓を生ずる場合もあると報じられていることから、日本は「毒を送った」とか「期限切れのものを送った」と誹謗する声も聞かれます。残念です。
アストラゼネカ製を提供することは日本と台湾との協議で決まったことで、ワクチンを提供する国際機関のCOVAX(コバックス)もアストラゼネカ製を配給しています。英国のイングランド公衆衛生庁も6月15日、アストラゼネカ製のワクチンを2回接種した人のうち92%が重症化を防ぐことができたと公表しています。
ここに紹介する栖来ひかりさんも「問題視される血栓の副反応は現時点で100万人に約2人という低い確率で、ファイザー製やモデルナ製でなくとも、重症化や死亡のリスクを防ぐプラス効果は充分大きいとの理解が進んでいた」と述べています。
日本は6月16日にもベトナムにアストラゼネカ製ワクチン97万回分を無償で提供しました。今後も、インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシアにも、国内で製造したアストラゼネカ製ワクチンを提供する予定だそうで、それでも「日本は台湾に毒を届けた。世界に毒を振りまいている」と非難し続けるのでしょうか。根拠のない批判は、為にするものとしか言いようがありません。
期限についても、台湾のテレビ放送で映し出されたアストラゼネカ製の使用期限が「2021年5月まで」と見えたことが発端のようですが、衛生福利部長で中央感染症指揮センター指揮官の陳時中氏は「今回日本から届いたワクチンの期限は10月14日まで」と正式に発表しています。
なお、日本は台湾への追加支援をすでに検討していることを茂木敏充・外相が6月15日の記者会見で明らかにしています。
—————————————————————————————–栖来ひかり(台湾在住ライター)まさかの時の友こそ、真の友──日本のワクチン支援、台湾人を感動させたもうひとつの意味【nippon.com:2021年6月16日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01125/
◆ネットでJAL809便を追跡!
「途中で邪魔が入るかもしれない。台北に到着するのをこの目で見るまでは安心できない」。前日にニュースでワクチン輸送が報じられてからも、何人かの台湾人からそんな声を聞いた。
インターネット上で世界中の航空機の運航状況がリアルタイムで分かる「フライト・トレーダー」というサイトがある。日本航空809便の動きを、このサイトでどれほど多くの台湾人(在日台湾人も含め)が固唾(かたず)を飲んで見守っていたか。
2021年6月4日午後1時58分、桃園国際空港に日本から提供された約124万回分のアストラゼネカ製ワクチンが到着し、台湾中が喜びに沸いた。毎日午後2時からの中央感染症指揮センターの定例記者会見開始とほぼ同時の到着という最高のタイミングだった。航空機からワクチンが運び出される様子が、リアルタイムで中継される。指揮センターの陳時中指揮官(衛生福利部長)も、特別のフリップを用意して日本に謝意を伝えた。
飛行機の尾翼には赤い鶴。テレビに映る日本航空のシンボルマークを、こんなに頼もしい気持ちで見つめたことはなかった。実際コロナ禍が始まって以来、日本より届くニュースには少なからず失望させられて来た。それも相まって、余計に今回のスピード感をうれしい驚きで見つめた。筆者のフェイスブックは日本への感謝の言葉で「洗板」(タイムラインがひとつの話題でいっぱいになること)され、台北市にある日本台湾交流協会の事務所は、ワクチンに対する感謝の気持ちとして贈られた花であふれた。
ストレートな感謝の言葉は、思ったらすぐに行動に移すという、台湾人の気質によるものだろう。ただ、この喜びの影には複雑な背景があると筆者は考える。
◆政争の具になったワクチン
ここ最近の台湾ではワクチンが政争の具となり、飛び交う情報に多くの人が翻弄され、心を疲弊させていた。
台湾は2020年、新型コロナウイルスの早期抑え込みに成功し「防疫の優等生」として一躍名を挙げた。蔡英文政権はこれを「台湾モデル」と名付け、台湾製マスクを海外に贈るなど「Taiwan Can Help」を合言葉に、その存在感を国際的に印象づけた。しかし実は、コロナ禍初期からワクチンの自主開発に力を入れてきた蔡政権にとって、国産ワクチンの完成こそが「台湾モデル」の最後の一手だった。医療従事者など高リスク層への対策は輸入ワクチンでしのぎつつ、国産ワクチンが完成すれば国民へ順次接種を開始して集団免疫を獲得する。これが「台湾モデル」と呼ばれる出口戦略のシナリオだったと、台湾事情に詳しいジャーナリストの野嶋剛氏は指摘している。
多くの国際機関に加入できない台湾にとり、国産ワクチンの完成は悲願である。COVID-19は変異を繰り返しており、1シーズンの接種だけで対応できない可能性もある。自主開発できれば国際的なワクチン争奪戦から身を守るだけでなく、国際市場に打って出る機会も考えられる。ドイツからのワクチン購入失敗に際し、中国の介入があったことを蔡英文総統は明らかにした。国産ワクチンは台湾にとって「盾」であり、武器ともなる大切なものだ。
しかし、5月中旬に感染の拡がりやすい「イギリス変異型」に防疫網を突破され、「台湾モデル」の出口戦略は大きく狂った。そこで始まったのが、ワクチン不足に対する野党の大ブーイングだ。弱みに付け込むように、中国も中国製ワクチンの提供を再度申し出るが、それを断った蔡英文政権は「人命軽視」との批判にさらされる。そのうち宗教団体や大企業が「政府が買えないならば自分たちが買って提供する」と名乗りをあげ、ワクチン問題は泥沼化。各メディアやSNSにさまざまな臆測、うわさ、暴言が飛び交った。陳時中氏率いる指揮センターに、葬式の花を送りつけたインフルエンサーもいた。
各地で陽性者が相次いで見つかり、多くの台湾人は戦々恐々として家にこもり、ストレスを抱えこんだ。日本からアストラゼネカ製のワクチンが届くかもとニュースになったとき、「日本で不要なものを台湾に押し付けるのか」との批判がなかった訳ではない。しかし多くの人が、一時のワクチン騒動のおかげで、アストラゼネカ製ワクチンで問題視される血栓の副反応は現時点で100万人に約2人という低い確率で、ファイザー製やモデルナ製でなくとも、重症化や死亡のリスクを防ぐプラス効果は充分大きいとの理解が進んでいた。日本からワクチンが届いたのは、そんな時だった。
◆国として認められない心細さ
ある友人は「知っている限りの日本人に礼を言いたい」と言い、LINEでは「日本台湾交流協会のフェイスブックにメッセージを書き込もう!贈ってくれたワクチンと同じ124万個ぐらいの感謝を伝えよう!」とメッセージが回ってきた。筆者のフェイスブックにも、何十人もの台湾の方から「ありがとう日本!」のコメントが書き込まれた。実を言えば、これには少し申し訳ないような気がしないでもなかった。今回のワクチン提供で私が何か手伝った訳ではないし、日本人を代表するような立場でもなく、ただ「日本人」という属性を持っているだけだ。しかし、感謝の言葉を伝えずにおれない台湾の方々の気持ちも、痛いぐらい分かった。
先日、台湾政府の要職を長年務めた方にインタビューをした中で、「台湾人は自分に自信を持てないところがあって、コロナ対策で世界から肯定されたことは、台湾人に少なからず自信を与えたと思う」という話が印象に残った。それを台湾人の夫に伝えたところ、
「自分の国が世界に存在しないような扱いを受ける、友好国はどんどん減っていく。台湾人のそういう心細さや哀しさは、経験したことのない人には分からないと思うよ」
という言葉が返ってきた。この話から、昨年の防疫の成功で少しばかりの自負心を得ていた台湾人が、今回の感染爆発でどんなに気持ちを沈ませているか、ちょっとは想像してもらえるかもしれない。
◆大震災支援で台湾を「再発見」した日本
台湾は1971年に国連から締め出され、1972年には日本とも断交し、だんだんと世界の中で孤立を深めた。民主化以降もあらゆる場面で孤軍奮闘を強いられてきた。かつてSARS(重症急性呼吸器症候群)に見舞われた時も、WHO(国際保健機関)からリアルタイムで情報や支援を受け取ることはかなわなかった。中華人民共和国は、中華民国(台湾)を承認している国に圧力をかけ、国交断絶に追い込んでいる。わずかに残った友好国からは、今でも毎年のように断交の知らせが届く。私も執筆の仕事を始めて以来、友人たちからよく「台湾のことを日本に伝えてくれてありがとう」と感謝の言葉をもらってきたが、その度に台湾の人々の抱いてきた孤独の深さが感じられ、胸が締め付けられるような思いだった。
日本は戦前、50年ものあいだ台湾を植民地として非常に深い関係を持ってきた。それにもかかわらず、日台断交以降は報道も少なくなり、台湾の存在は日本で長いこと忘れられた。2000年代に入っても、台湾がどこにあるのかおぼつかない日本人は少なくなく、「中国のどこか」や「タイ」と混同されることもあった。留学や旅行で日本に行った台湾人の多くは、日本人のそうした無知に出会ってもただ曖昧に笑うしかなく、それ以上の説明を諦めるのにも慣れた。
しかし、2011年の東日本大震災への莫大な義援金をきっかけに、日本は台湾という温かな隣人を再発見した。それ以降、災害や事故といった出来事のたび、台湾と日本のあいだを寄せては返す波のように支援が行き交い、友情が深まっていく。台湾への日本人観光客や留学生、台湾に関するテレビ番組や報道・出版も増え、歴史や文化への理解の深まりが感じられるようになっていた。
◆「台湾は孤独ではない」という実感
そして今回、そういう「感じ」だけではなく、確かにそうなのだ、台湾は孤独ではないのだ、困っている時には助けの手を差し伸べてくれる友人がいるのだと、多くの台湾人が実感したように見える。たくさんのメッセージには「まさかの時の友こそ、真の友(患難見真情)」と書かれていた。そんな喜びが、ワクチン以上に「心」を元気にしている。私にはそう感じられ、台湾の家族や友人たちと共にこの出来事を喜び合えることを何よりうれしく思う。今回のワクチン提供の実現に骨を折った台湾と日本の関係者に、心より御礼を申し上げたい。
そしてもうひとつ、感謝の言葉を送ってくれた台湾の皆さんに伝えたい事がある。確かに日台の歴史において、今回のワクチン支援はマイルストーンとなるだろう。しかしその道を切り拓いてきたのは、ほかならぬ台湾の人々の真心だと私は信じる。さまざまな文化の混じり合いと複雑な歴史の中で「自由、民主、多様性、寛容」という普遍的価値をつかみとり、悩みながらも前へ前へと進んでいく台湾だからこそ、国際社会は連帯し、共に歩みたいと願うのではないだろうか。まだ困難な道のりは続くだろうが、台湾に暮らす、台湾社会の一員として私も一緒に乗り越えたい、そう思っている。
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