愛媛県東温市の「坊ちゃん劇場」が嘉義農林の活躍をミュージカルで舞台化

 愛媛県東温市の「坊ちゃん劇場」において4月1日から、台湾の嘉義農林学校の監督に就任、1931年夏の甲子園大会で準優勝に導いた名監督、松山市出身の近藤兵太郎(こんどう・ひょうたろう)をテーマにしたミュージカル「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」が始まっている。舞台は来年3月までの予定だそうだ。

 嘉義農林学校こと「KANO」の活躍は、2014年に台湾で公開された映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』(プロデューサー:魏徳聖、監督:馬志翔)でもよく知られている。八田與一を初めて日本に紹介した古川勝三著の『台湾を愛した日本人? 「KANO」野球部名監督−近藤兵太郎の生涯』もある。

 その古川氏も「坊ちゃん劇場」のミュージカル「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」を観に訪れ、産経新聞は「『愛媛台湾親善交流協会』の会長を務める古川さんも観劇した。『史実のよいとこどりをして、くっつけたような展開。すごく良かった。舞台で野球が表現できている。舞台作品を見て初めて泣いた』と感想を述べた」と報じている。

 下記にその記事と「坊ちゃん劇場」のミュージカル「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」をご紹介したい。

◆坊ちゃん劇場 https://www.botchan.co.jp/production.html

 〒791-0211愛媛県東温市見奈良1125 TEL:089-955-1174/ FAX:089-955-5830 【交通】伊予鉄横河原線「見奈良」駅から徒歩約10分(松山市駅から25分)

—————————————————————————————–脚本は「ちむどんどん」の羽原大介さん 舞台で描く甲子園準Vの台湾「嘉農」名将【産経新聞:2023年4月9日】https://www.sankei.com/article/20230409-HGF7WD4UYZIT7IAWNZURP537MU/

 高校野球の古豪として知られる松山商業を戦前に率い、全国大会出場を果たした後、台湾に渡って嘉義農林学校の監督に就任、夏の甲子園大会準優勝に導いた伝説の名監督をテーマにしたミュージカル「KANO〜1931 甲子園まで2000キロ〜」の上演が愛媛県東温市にある「坊っちゃん劇場」で始まった。

 脚本はNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の脚本を手掛けた羽原大介さんが担当しており、100年前の「スポ根野球」が舞台上で繰り広げられる。

 嘉義農林学校の監督は松山市出身の近藤兵太郎。明治21年、松山市に生まれた近藤は松山商業学校で野球に打ち込んだ。卒業後の大正7年、同校野球部の初代コーチ(監督)に就くと、翌8年、全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)に同校を初出場させ、「夏将軍」の異名を持つ松山商業の第1期黄金時代の礎を築いた。

 その年、近藤は台湾へ渡り、簿記教諭などとして働いた。台湾の野球は日本統治で伝わっていた。昭和3年から嘉義農林学校でコーチとして野球を教えるようになり、6年には監督に就任。甲子園で行われるようになっていた第17回全国中等学校優勝野球大会に同校を導いた。同校は決勝戦まで勝ち上がる。中京商業には0−4で屈したが、見事な準優勝だった。

 近藤と同校の物語は映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」で描かれ、台湾で2014年に上映されると記録的な大ヒットとなり、翌年には日本でも上映され話題を呼んだ。

 今回はこの感動の物語がミュージカルとなった。脚本は羽原さん、演出は錦織一清さん、音楽監督・作詞・作曲を岸田敏志さんが手がけた。坊っちゃん劇場としては17作目となる作品だ。

 近藤の野球は「精神野球」。作家で台湾近代史研究者、古川勝三さんの著書「台湾を愛した日本人? 『KANO』野球部名監督−近藤兵太郎の生涯」によると、近藤が選手時代、休暇で帰省するたびに松山商業を指導した東大の杉浦忠雄さんらから「一高式の武士道精神野球」を徹底して教えられ、身についていたという。

 近藤は日本人、漢人、先住民族の混成チームを作った。民族の異なるチームは当時の台湾では画期的だった。「野球選手にとって大事なのはどこの民族かではない、情熱と身体能力があるかどうかだけだ」と近藤は語っていたという。

 舞台では近藤と選手たちの葛藤が描かれる。親の反対を振り切って野球を続ける選手たち。「民族は関係ない。実力のある者がレギュラーになる」「我慢と忍耐だ」「グラウンドで歯を見せるな」。近藤は選手たちに怒鳴る。

 台湾の大会を勝ち抜いてつかんだ夏の甲子園切符。近藤は気付く。「あいつらは腹の底から野球を楽しんでいる。それが野球だ」と。近藤は同校を春1回、夏4回、甲子園に導き、日本の敗戦で引き揚げた。帰国後は新田(松山)野球部の監督などを務め、昭和41年、77歳で死去した。松山市にある「坊っちゃんスタジアム」前の広場に近藤の顕彰碑がある。刻まれた文字は「球は魂なり」。

 「愛媛台湾親善交流協会」の会長を務める古川さんも観劇した。「史実のよいとこどりをして、くっつけたような展開。すごく良かった。舞台で野球が表現できている。舞台作品を見て初めて泣いた」と感想を述べた。

 羽原さんは「ちょうど1年前にこの作品についてオファーをいただいた。映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』を見ていたが、舞台でどのように作るか、楽しみだった。92年前、日本統治下の台湾の話です。当時は日本語が共通語。日本人監督が漢人、日本人、原住民の3族混成で甲子園を目指す物語。スポ根モノは初めてだったので、肩に力が入った」と話した。実際に台湾に行き、嘉義の街や球場跡に足を運んだという。

 少年時代に野球をしていたという錦織さんは「稽古期間は約1カ月だったが、芝居の稽古より野球の練習をしていた感じ」と笑う。「これまで台湾では2度、ステージを経験した。台湾との国際交流作品、名誉に思う」と語った。

 岸田さんは「スポーツを音楽でどう広げるかを悩んだ。大体の曲は稽古前に作っていたが、稽古が進むうち、皆さんが野球に没頭していく姿を見てアレンジをした。『侍Japan』の活躍する姿や高校野球も見て、出来上がっていった。改めて野球の情熱に感動した。甲子園を体感できる舞台になっていると思う」と自信を述べていた。

 公演は3月までを予定しており、台湾での公演も計画されている。羽原さんは「台湾と日本は強い絆で結ばれている。台湾への思い、感謝が詰まった作品です。台湾の皆さんにも見てほしい」と話していた。

(村上栄一)

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