屏東県林辺渓に独創的な地下ダムを築き、今でも台湾の人々から慕われ尊敬されている
鳥居信平(とりい・のぶへい)について何度か紹介している。八田與一の先輩に当たる農
業土木技師、鳥居信平(1883〜1946)の事績を日本で初めて紹介したのは、ノンフィクシ
ョン作家の平野久美子(ひらの・くみこ)さんだ。
台湾関係者には『トオサンの桜−散りゆく台湾の中の日本』などで知られる平野さんが、
月刊「諸君!」本年3月号に「感動秘話日本・台湾=『水』の絆の物語−水利技師・鳥居
信平の知られざる業績」と題して発表したのが、そのはじめである(本誌6月21日〜25日、
全編を掲載)。
この反響は大きかった。台湾では、「諸君!」レポートを読んで感激した奇美実業創業
者の許文龍氏が早速、鳥居信平の胸像制作に取り掛かった。日本では生まれ故郷の静岡県
袋井市がその胸像受け入れを表明し、議員団を屏東まで派遣している。
「諸君!」発表以降のこうした動きを含め、改めて平野さんは月刊「正論」2月号に「台
湾が愛した日本人…今甦る『鳥居信平』伝説」を発表している。
今年の話題をさらった観のある台湾映画「海角七号」が同じ屏東県内の恒春を舞台にし
ていることを振り出しに、鳥居信平が造った地下ダム、すなわち灌漑施設「二峰[土川]」
(にほうしゅう)の集水塔が県の土木遺産となったことや、許文龍氏がここを訪問して胸
像制作と寄贈を申し出たことで、日台の新たな交流が始まったことなどを伝えている。
驚いたのは、本会理事で静岡県支部長でもある山本貴史・袋井市議が本会の機関誌『日
台共栄』11月号に執筆した「鳥居信平という郷土の偉人」の一部もご紹介いただいたこと
だ。また、許文龍氏の胸像を制作している場面や完成した胸像の写真まで紹介しているこ
とにも驚かされた。
平野さんは「彼が手がけた多くの工事のおかげで、今も二十万人を超える住民が灌漑や
飲料水の恩恵を受けているから」、台湾の人々は今でもその恩を忘れないし、難工事を貫
徹した鳥居信平の奮闘の根源に「科学の心をもって実践躬行」があると指摘する。また、
そのような「私利私欲を排して公益に尽くす気概や国造りの大志を教えた」のが戦前のエ
リート教育に由来するとも説く。
八田與一を評価し、戦前の日本時代の教育について語る李登輝元総統のいくつかの講演
を思い出してしまう指摘である。ぜひご一読を勧めたい。
なお、山本貴史理事の「鳥居信平という郷土の偉人」は本誌11月12日発行の第902号で
掲載していますが、次に改めてご紹介します。
(メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬)