対する台湾からの多大な支援に謝意を伝えるため訪台した。産経新聞が伝えているので下
記に紹介したい。
記事には出ていないが、岡山市は台湾の新竹市と2003年(平成15年)4月に「友好交流協
定」を結ぶ姉妹都市の関係にある。この先駆けとなったのが「岡山市日台友好都市議員連
盟」(平成12年8月結成)が新竹市を訪問したことだった。
翌平成13年(2001年)4月には、岡山市日台友好都市議員連盟と新竹市政府及び新竹市議
会との間で、友好交流に関する覚書の調印が行われ、これを契機に、両市の交流は大きく
進展した。岡山市子供海外派遣事業による中学生の新竹市への派遣、ガラス工芸作家の交
流、市民訪問団の派遣、保育園の姉妹園締結など、幅広い分野で交流の輪が広がり、友好
交流締結へ向けた機運が高まり、平成15年4月21日、岡山市において「岡山市・新竹市友好
交流協定書」を締結するに至っている。
このときの岡山市長が、後に衆議院議員となり、現在は法政大学IT研究センター学術
担当教授で本会理事をつとめる萩原誠司(はぎわら・せいじ)氏だ。
岡山市と新竹市の「友好交流協定」締結には、後日譚がある。
岡山市は先に中国の洛陽市と姉妹都市を結んでいた。ところが、台湾の新竹市と姉妹都
市を結ぶことを知った洛陽市から「中日共同声明の原則と精神に背く」という理由で交流
「凍結」の通知が届いたのだ。
これに対して、萩原市長は新竹市との協定締結は日本政府の立場と矛盾せず、洛陽市と
の友好関係を継続・発展させたいという趣旨の文書を洛陽市長に送った。しかし、洛陽市
からはなんの返答もなく、一方的な凍結通知により岡山市との友好関係は破綻した。
ところが、なんと3年後の2006年(平成18年)3月、洛陽市から凍結を解除したという通
知が届いた。岡山市が快諾したのは言わずもがなである。今では新竹市とも洛陽市とも交
流している。洛陽市はその後、新竹市との交流については一切言及していないそうだ。
東日本大震災 義援金に謝意伝達へ 岡山市議ら台湾出発
【産経新聞:平成23年(2011年8月9日)
東日本大震災における台湾の支援への謝意を伝えるため、台湾・新竹市と国際友好交流
都市を締結している岡山市の市議で構成する「岡山市・新竹市友好都市議員連盟」(会長・
浦上雅彦市議)のメンバーらが8日、台湾に向けて出発した。
台湾からは、東日本大震災の発生後、いち早く援助隊が派遣されたほか、これまでに各国・
地域で最多とされる、約200億円の義援金が官民から提供されている。同連盟は、新竹市や
台北市を訪問。許明財・新竹市長や、謝文進・同市議会議長、林政則・台湾省政府主席に、
「我々日本人は、台湾から頂いたご厚情と思いやりを忘れることは決してありません」な
どとする、同連盟からの感謝状を手渡す予定という。