台湾にはいまも日本語で和歌や俳句、川柳を詠む人々がいる。
かつて本会の初代会長の後に名誉会長をつとめていた作家の阿川弘之氏は2006年(平成18年)、『文芸春秋』11月号の巻頭随筆「葭の髄から」に「台湾の川柳」と題して寄稿したことがある。
阿川氏は「台湾の老齢者社会の中に、大勢ではないかも知れないが、依然相当数の歌人がおり、俳人がおり、それぞれの結社を作つて今尚、日本流短詩創作の活動をつづけてゐる。彼らの地道な営みは、一つが『台湾万葉集』、一つが『台湾俳句歳時記』となつて結実し、近年日本で出版された」として、『台湾万葉集』編著者の呉建堂氏と『台湾俳句歳時記』著者の黄霊芝氏を紹介した。
阿川氏を驚かせたのは、台湾では川柳も詠まれていたことで「川柳を作る人たちがゐようとは、およそ想像すらしてゐなかつたから、先々月『酔牛』といふ題の台湾川柳句集の寄贈を受け、内容を見て驚きましたねえ」とつづっている。
この『酔牛』は台湾川柳会の前会長だった蔡焜燦氏の友人の李琢玉氏の作品集で、台湾の川柳作家が日本で初めて出版した川柳句集だ。
当時、『文芸春秋』の巻頭随筆は文壇随一と言われる物書きが執筆すると言われ、阿川氏は司馬遼太郎氏の後任として1997年5月号から2010年9月号まで筆を振るっていた。
その阿川氏をして、李琢玉氏の川柳は何遍も涙ぐませたという。阿川氏は「李さんの日本語を、軽みと堅確さと両方兼ね備へた由緒正しい立派な日本語だと感じたのが、ほろりの原因の一つである」と書き、さらに「現在の日本は、表向き国交を絶つてゐる国の老詩人に頼つて国語の品位を保つて行かねばならぬ程、文教面で落ちぶれた国になつてしまつたのかと思つた」とさえつづっている。
前置きが長くなった。
昨日の産経新聞「産経抄」は、広島市が新規採用職員の研修に教育勅語を用いていることや、国立奈良教育大付属小では道徳の授業や国歌「君が代」の指導がないがしろにされていることに寄せ、冒頭に台湾歌壇の同人だった蕭翔文氏の短歌を紹介していた。
蕭翔文氏の「淀みなく教育勅語暗(そらん)ぜり日本人たりし我が少年期」という歌だ。
この歌を「間然するところがない」と絶賛している。間然は「非難されるような欠点のあるさま」の意だから、非難されるところが一つもないとべた褒めなのだ。
そして、締めくくりに「台湾歌壇」を設立した呉建堂氏の「短歌(うた)とふをいのちの限り詠み継がむ異国の文芸(ふみ)と人笑ふとも」の歌を取り上げた。心憎いばかりの締め方だ。「誰が笑おうか。むしろ、自国の美質を汚して恥じるふうもない一部の大人たちにこそ、唱和させたい秀歌」と讃えていた。
編集子も、「台湾歌壇」代表の蔡焜燦先生に誘われるまま2010年に「台湾歌壇」に加えていただき、すでに14年目を迎えた。
同人としてばかりでなく、台湾と日本のさらなる交流の深化を希求する日本人の一人として、「産経抄」が日本の古き良き姿が台湾に残っているシンボルのひとつとして「台湾歌壇」を取り上げていただいたことに深く感謝したい。
折しも、1月19日は宮中歌会始の儀が催された日だった。「産経抄」はもちろん意識してのことだろう。
—————————————————————————————–日本の美風を汚す者【産経新聞「産経抄」:2024年1月19日】https://www.sankei.com/article/20240119-TGTFWH52FZPCDC2UDS6P247M2Y/?495079
端然として寄り道のない文章を、日本語でつづる。日本人でも容易なことではない。三十一文字の定型に収める営みは、さらに難しくなる。<淀(よど)みなく教育勅語暗(そらん)ぜり/日本人たりし我(わ)が少年期>。作者は台湾の歌人、蕭翔文(しょう・しょうぶん)氏である。
▼1927年生まれ、98年没。日本の統治下で、日本語教育を受けた世代だという。「博愛衆に及ぼし/学を修め/業を習い/以(もっ)て知能を啓発し…」。来る日も来る日も勅語を唇に乗せるうち、美しい日本語や歌才が養われたのだろうか。先の歌には間然するところがない。
▼教育勅語は徳目の一つに「公益」を掲げてもいる。広島市が新規採用職員の研修に勅語を用いるのは自然なことだろう。それに対し「憲法の理念に反する」との批判が寄せられている。日本語の理解に乏しい人々の声とはいえ、嘆息を禁じ得ない。
▼国立奈良教育大付属小では道徳の授業や国歌「君が代」の指導がないがしろにされ、その実態を小紙が報じた。3年生から必修となる毛筆の書写は授業で行われず、他の教科でも履修漏れなど法令に反する例が確認された。国立の学校で、である。
▼学校運営の実権が一部教員に握られ、積年の悪弊を正せなかったと聞く。どんな日本人を育てるつもりだったのか。そこを学び舎(や)とする子供たちが気の毒でならない。こうした無法こそ指弾すべきものを、視座が左側に偏った人々には問題の深刻さが理解できないらしい。
▼台湾歌壇といえば、亡き孤蓬(こほう)万里(本名・呉建堂)氏の詠んだ一首も胸を打つ。<短歌(うた)とふをいのちの限り詠み継がむ/異国の文芸(ふみ)と人笑ふとも>。誰が笑おうか。むしろ、自国の美質を汚して恥じるふうもない一部の大人たちにこそ、唱和させたい秀歌である。
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