選した馬英九氏が就任式典を挙げたその夜、台湾・高雄市旗津(きしん)にある「戦争と
平和公園」の中に建つ「台湾無名戦士慰霊碑」の前で焼身自決された方がいる。この公園
を作った許昭栄(きょ・しょうえい)さんだ。80歳だった。
日本時代には自らも日本兵として戦地に赴き、終戦後は日本軍に協力した者として国民
党政府から睨まれて中国戦線に投入され、苦難の道を辿った台湾人日本兵の補償に奔走、
戦地に倒れた英霊の慰霊碑の建立に尽力してきたのが許昭栄さんだ。
しかし、台湾兵の慰霊について、8年間の陳水扁政権下でも理解を得られず、馬政権には
期待できないとして、自決された。この「戦争と平和公園」の建設にも、反台湾派の市議
会議員の反対で苦労したという。
この公園内に許昭栄さんを記念して建てられた石板があり、なんとそれが途中まで埋め
込まれてしまい、「石板には許氏の上半身の肖像が彫られているが、石柱の壁面にあった
名前は土の中に隠れてしまった」と、中日新聞の迫田勝敏記者が伝えている。
死んだ後も墓に唾をかけたり踏みつけたりするという中国人。石板を埋め込んで足蹴に
するなど、まるで中国人そのものの下劣で野蛮な振る舞いではないか。迫田記者の憤りが
伝わってくる。
ちなみに、許昭栄さんが自決される3ヶ月前の2月27日、本会の「桜植樹ツアー」訪台団
の一行は、許さんに旗津の「戦争と平和記念公園」を案内していただいた。その後の夕食
会にも参加していただき、流暢な日本語で尽きぬ話に再会を心待ちにしていた参加者も多
かった。改めてご冥福を祈るとともに、石板が早く元に戻るよう願いたい。
高雄 埋められた石板の怪
【中日新聞:2011年9月14日「世界の街から」】
南シナ海に臨む台湾南部の高雄市旗津に「戦争と平和記念公園」がある。日本時代、日
本兵として出征し、戦後は国民党の中華民国軍として中国共産党との国共内戦を戦い、捕
虜になり、今度は中国共産党の義勇軍として朝鮮戦争の戦場に赴いた台湾人を慰霊する公
園だ。園内には記念館のほかに戦争で亡くなった彼我の戦士を悼む幾つかの慰霊碑が立っ
ている。
その1つに私財をなげうって記念公園建設に走り回っていた元日本兵で元台湾兵の許昭栄
氏の記念石板がある。2年前の完成時は腰の高さほどあったのが、なぜか20センチ足らずに
まで埋め込まれてしまった。石板には許氏の上半身の肖像が彫られているが、石柱の壁面
にあった名前は土の中に隠れてしまった。
「反日かつ台湾人に批判的な連中が、埋めて、踏み付けているんですよ」と知人は言う。
真偽のほどはいかにと記念館を訪ねた際に係員に聞くと「えーっ、そのーっ、市の文化局
が…決めたんです」としどろもどろ。許氏は記念公園建設に反対の勢力に抗議して3年前、
この石板の所で壮絶な焼身自殺を遂げた。どうも知人の解説が正しそうだ。
「名前もないし低すぎて見にくい」と言うと係員は「元に戻すことを検討しています。
公園建設に反対していた3人の市議会議員は昨年の選挙で全員落選しました」とにこっと笑
った。(迫田勝敏)