今年は昭和100年。
先の大東亜戦争終結からは80年を迎えます。
大東亜戦争には台湾からも、軍人・軍属として20万7,193名が出征して3万304名が戦歿されました(昭和48年4月14日、厚生省発表)。
靖國神社はそのうちの2万7,864柱の台湾出身戦歿者の方々がご祭神としてお祀りし、朝に夕に神饌を供え、一日も欠かすことなく慰霊の誠が捧げられています。
李登輝元総統の実兄である岩里武則命(台湾名:李登欽)も、ご祭神のお一人です。
台湾出身戦歿者が合祀されたのは、ほとんどが昭和30年代半ば(1955年前後)のことです。
戦歿者数とご祭神数が違うのは、終戦後の混乱や国交のない期間が長かったことでご遺族と連絡が取れず、合祀についての了承を得られなかったからだそうです。
ちなみに、本会は2005年12月から靖國神社において「台湾出身戦歿者慰霊祭」を執り行い、2011年からは毎年11月23日、御神楽を奉奏する「永代神楽祭」として行っています。
◆日本と台湾の台湾出身戦歿者慰霊の施設や碑
日本国内には、靖國神社以外では、東京・奥多摩にある笠松展望公園に慰霊碑と慰霊塔が建立されています。
慰霊碑は1975年に建立され、蕃刀を象った慰霊塔は1983年に建てられています。
また、沖縄・糸満市の平和記念公園内にある空華の塔敷地内に、2016年6月に台湾出身戦歿者慰霊碑「台湾之塔」が建立されています。
2018年6月には「台湾之塔」のかたわらに李登輝元総統ご揮毫の「為国作見證」が建立され、李元総統自ら除幕式に臨みました。
その他にも、広島市南区の比治山公園の陸軍墓地内にも、1964年10月に「大東亜戦争・台湾出身戦没者供養碑」が建立されています。
日本国内では、東京九段の靖國神社、東京奥多摩の笠松展望園、沖縄平和公園の台湾之塔、広島陸軍墓地内の台湾出身戦没者供養碑の4か所のようです。
台湾でも、台湾出身戦歿者の慰霊碑や施設などは、台中の宝覚禅寺、烏来の高砂義勇隊慰霊碑、新竹・北埔の南天山済化宮、高雄の戦争と和平記念公園など4ヵ所あります。
◆呉正男氏の悲願
本会理事で信用組合横浜華銀元理事長の呉正男(ご・まさお)氏は、1926年(昭和2年)8月に台湾・斗六に生を享け、現在97歳。
2013年7月公開の日本語世代を活写した酒井充子監督のドキュメンタリー映画「台湾アイデンティティー」にも出演しました。
大東亜戦争では陸軍の滑空飛行第一戦隊に配属され、大型グライダー(滑空機)を曳航する九七式重爆撃機の機上通信士として従軍しました。
しかし、終戦時にソ連・カザフスタンに抑留された数少ない台湾出身者です。
多くの台湾人が戦歿したことで、毎年欠かすことなく、お住まいの横浜市内から2時間以上をかけ、東京奥多摩の笠松展望園で催される台湾出身戦歿者慰霊祭に参加していました。
しかし、台湾出身戦歿者のことがだんだん忘れ去られることを憂え、誰でも気軽に台湾出身戦歿者を慰霊する碑が都内や横浜市内などの近場にできることを願い、ご自身も心当たりのところに声を掛けていたところ、昨年になって呉氏の悲願に賛同する同じ横浜市内にある真照寺の住職に巡り会いました。
話はトントン拍子に進み、本年1月末からクラウドファンディングによる募金活動がはじまり、4月下旬には慰霊碑が設置されたそうです。
慰霊碑の下には、靖國神社や東京奥多摩の笠松展望園、沖縄の台湾之塔、新竹・北埔の南天山済化宮で採取してきた土を納めたそうです。
来る7月25日に開眼法要と除幕式を執り行う予定だそうです。
◆慰霊碑除幕式に向けてご支援の受付は継続中
なお、クラウドファンディングは4月17日に終了しましたが、慰霊碑除幕式に向けてご支援の受付は継続しているそうです。
・現金書留: 建立委員会宛に、必ず「台湾出身戦没者慰霊碑寄付」と、ご記入の上、ご厚志をお送りください。
・銀行振込: 事前に、委員会事務局にメール又はFAXで、お名前・住所・電話又はメールをご連絡の上、下記へご入金ください。
三井住友銀行 いずみ野支店 普通 6652744 宗教法人真照寺
ご不明の点などは、下記の台湾出身戦没者慰霊碑建立委員会事務局の真照寺までお問い合わせくださいとのことです。
・台湾出身戦没者慰霊碑建立委員会 〒235-0016 神奈川県横浜市磯子区磯子8-14-12 真照寺内 TEL 045-753-5147 FAX 045-752-6348 E-mail:shinsyouji@jcom.home.ne.jp Web:https://www.shinsyouji.com/
真照寺のホームページには、台湾出身戦没者慰霊碑のコーナーも設けており、4月21日にはじまった建立作業やそれを見守る呉正男氏や住職の水谷栄寛氏などの写真、これまでの報道や活動の様子を掲載しています。
下記に、真照寺ホームページのURLを紹介し、本日付の神奈川新聞の記事をご紹介します。
・真照寺ホームページ https://www.shinsyouji.com/
祖国は台湾、母国は日本 3万306人が死亡、横浜に台湾人戦没者の慰霊碑【神奈川新聞:2025年5月16日】https://www.kanaloco.jp/news/social/article-1172122.html
先の大戦で命を落とした約3万人の台湾出身者を慰霊する碑が4月下旬、横浜市磯子区の真照寺に建立された。
旧陸軍に志願入隊した呉(ご)正男さん(97)=同市中区、横浜台湾同郷会名誉顧問=の念願を、住職の水谷栄寛さん(69)らが実現。
呉さんは「僕らは日本人として出征した。
それを忘れず追悼する場ができ本当にありがたい」と胸をなで下ろしている。
碑は3基一組で、次の文が彫られている。
「台湾出身戦没者の方々 あなた方がかつてわが国の戦争によって尊いお命を失われたことを深く心に刻み 永久に語り伝えます どうぞ安らかに永眠してください」
◆日本に台湾人の追悼施設はわずか
建立は呉さんの悲願だった。
台湾には戦没した日本人の慰霊碑が多くあるのに、日本に台湾出身者の追悼施設はわずか。
「もし自分が戦死していたら、誰からも拝んでもらえない」
自身、幾度も死線を越えた。
台湾南部に生まれ育ち、東京の中学に進学。
その間に米国などとの戦争が始まり「日本人として国を守らねば」と16歳で陸軍特別幹部候補生に志願した。
爆撃機の通信士として朝鮮半島で敗戦を迎え、旧ソ連の極寒の収容所に捕虜として2年間も抑留された。
碑文は50年前、東京都奥多摩町に建てられた慰霊碑と同じ内容だ。
「初めて読んだ時、とても感動した。
戦争中、僕たちは台湾人ではなく『台湾出身の日本人』だったのだから」
◆20万人を動員、敗戦で日本国籍を失う
ただ同碑は山中にあり、参拝は容易でない。
呉さんは街中での建立を模索したが、維持管理の難しさなどから実現しなかった。
「もう無理かと諦めかけたら…」(呉さん)、友人の郷土史家を通じて昨年末、水谷さんの知己を得た。
水谷さんは言う。
「これほど多くの台湾出身者が戦争で亡くなった事実を呉さんに会うまで知らず、恥ずかしかった」。
すぐさま寄付集めに取りかかり、約500万円を調達。
水谷さんの亡父も海軍飛行予科練習生で、戦争の現実はよく聞かされた。
「忘れない努力を続けなければ」と、7月25日に法要を執り行う。
厚生労働省によると、台湾からは主に太平洋戦争中に20万人超が動員され、3万306人が亡くなった。
しかし敗戦で日本国籍を喪失したため、補償は長年置き去りに。
弔慰金が支給されたのは1980年代後半になってからだった。
真照寺の碑には「祖国台湾 母国日本」とも刻まれている。
これこそ、呉さんが心に抱き続けた真情だ。
(斉藤 大起)
◆台湾出身の戦没者
厚生労働省によると20万7183人の軍人軍属が主に太平洋戦争中に動員され、約15%の3万306人が戦死・戦病死。
陸海軍の志願兵制度のほか、戦局悪化に伴い1944年から徴兵制も実施された。
87年に遺族らに弔慰金200万円を支給する法律が施行。
台湾は1895年から敗戦まで日本が統治した。
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