台湾総統選について二つの感想を述べておこう。一つは、こうである。
台湾では「族群」という用語が広く使われている。「族群意識」「族群関係」といったようにである。大陸に出自をもつ少数の外省人エリートによる強権的支配の時代が1980年代の後半期に終焉(しゅうえん)、台湾に政治的民主化の時代がやってきた。族群という用語が頻出するようになったのは民主化以降のことである。
◆「族群」間亀裂への不安
台湾は移民社会である。17世紀末葉以来、対岸の福建や広東から移住してきた人々とその子孫は本省人と呼ばれ、台湾住民の大多数を占める。大陸で戦われた国共内戦に敗れ台湾に流入してきた国民党の軍人・軍属、その係累(けいるい)が外省人である。少数の外省人エリートが専制政治体制を敷き台湾の政治社会の中枢を占めてきた。「省籍矛盾」であり、台湾社会はこの矛盾の中を揺れ動いてきた。
今回の総統選において民進党の蔡英文氏が国民党の韓国瑜氏を破り史上最多得票数で勝利した。これを慶事とすることに私は吝(やぶさ)かではない。しかし、杞憂(きゆう)であってほしいのだが、総統選が族群間の亀裂をより深めてしまったのではないかという不安がある。外省人と一括(くく)りにはできない。退役軍人や公務員はもとより、社会の縁辺部に追い込まれた低所得者層をも含めて韓氏支持には相当根強いものがあった。現政権に対する不満層が族群と結びついて熱狂的な「韓粉(韓ファン)」が再生産された。蔡・韓両陣営間で交わされたネット上の中傷合戦は凄(すさ)まじかった。SNSは社会を統合にではなく分断の方向に誘う危険な可能性がある。分断は収束できるか。
二つめの感想は以下である。
中国とどう向き合うか、今回の総統選での注目すべき争点がここにあった。対中強硬派の蔡氏が勝利し対中融和派の韓氏が敗れたのは事実だが、そう簡単でもない。真の敗者は北京であり、北京の「敵失」であった。
◆中国とどう向き合うか
香港住民が台湾で引き起こした犯罪の被疑者をどこで起訴すべきか、事務当局者間で解決されるべき事案が「逃亡犯条例」となって、香港の人々をあれだけの規模の反中行動に追い立ててしまった。北京の判断ミスであろう。香港返還の基本原則「一国二制度」がいかに偏頗(へんぱ)なものかをさらけ出してしまった。
台湾統一の原則を一国二制度におこうという北京の思惑はこの暴動により吹き飛んだ。共産党統治に対する台湾住民の嫌悪の情が香港情勢の急激な変動によって呼び覚まされたのである。
蔡氏は李登輝氏の時代、中台を「特殊な国と国との関係」だとする「二国論」の起草に関わった人物である。しかし、対中強硬路線といわれるほどストレートではなかった。第1期総統就任時には中台関係の「現状維持」を掲げていた。それが強硬路線とみえるほどまでに変化したのは、一つには、昨年1月2日の習近平演説が改めて一国二制度をもって台湾との統一を図ると表明し、なお「武力の使用を放棄することを約束せずあらゆる必要な措置を取る選択肢を保有する」と公言したことに発する。蔡氏は即日、「台湾の絶対的多数の民意が断固として反対しており台湾がこれを受け入れることは絶対にない」と応じた。ここから台湾民意の中国離れは国民党支持層をも含めて急速に進んだ。
次いで、香港での大規模デモに抗する香港警察の過剰な鎮圧が共産党統治に対する台湾住民の恐怖を誘発してしまった。習近平演説も香港デモ取り締まりのありようも、北京の随分とわかりやすい判断ミスであった。極端な権力集中のツケでもあろう。
◆日本も立ち向かう巨大課題
蔡氏は当選直後の記者会見で「民主の台湾と民衆によって選ばれた政府が脅迫に屈することはない。このことを北京は理解するよう」求めた。第1期就任当時は北京を「中国」と呼ぶことさえ避けていた蔡氏をこうまでいわしめたものが何かは明らかであろう。同記者会見で蔡氏は「中華民国」ではなく「台湾」でもなく「中華民国台湾」だと語った。
BBCとのインタビューに応じた蔡氏はついに次のように述べたのである。「われわれは自分たちが独立国家だと宣言する必要はない。われわれはすでに独立国家でありわれわれはみずからを中華民国台湾と呼んでいる」
蔡氏の課題の一つは、選挙によって露(あら)わとなり深刻化した台湾社会の分断の傷をいかに癒やすか、二つは、やがて台湾が直面せざるを得ない拡大する中国の影響圏からどうやってみずからの生存空間を確保するかである。
きわだった政治的対立軸もなく、日米同盟の下で安穏な外交環境の中に佇(たたず)んでいる日本では信じられないような内政・外政の難題に台湾は苦しんでいる。社会分断と中国圧力、いずれ日本も立ち向かうことになろう巨大な課題を現下の台湾は必死に背負って生きていると理解しようではないか。
(わたなべ としお)