台湾総督府庁舎(現・総統府)の建築秘話  片倉 佳史(台湾在住作家)

【nippon.comコラム:2018年2月11日】https://www.nippon.com/ja/column/g00493/

 最近台湾で、中国との統一促進派がつくる団体「孫文学校」が、総統府を「台湾抗日英烈紀念館」への変更を住民投票で求めようとする運動を展開して、物議を醸したことがあった。

 台湾が日本の統治下に置かれた半世紀(1895〜1945)。その最高統治機関として君臨したのが台湾総督府である。その庁舎は現在、中華民国総統府として使用されている。今回は壮麗な風格を誇るこの建物の歴史をひもといてみよう。

◆東洋屈指とうたわれた西洋建築

 台湾総督府。現在は中華民国の総統府として使用されているこの建物は、台湾を代表する官庁建築である。赤れんがと花こう岩を混用して造られ、重厚感をまとっている。高層ビルが林立する台北市だが、この建物が放つ威容はまさに別格と言ってもいい。

 天気に恵まれれば、赤れんがの壁面が南国の日差しを浴びて、美しく輝く。建物の完工は1919年6月30日。すでに1世紀に近い歳月を経ているが、建物を前にすると、その威容が全く色あせていないことを思い知らされる。

 台湾は1895年に締結された下関条約によって、澎湖諸島とともに清国から割譲され、終戦までの半世紀、日本の統治下に置かれた。当初は清国が行政庁舎としていた巡撫衙門と布政使司衙門を総督府の庁舎として使用した。このうち、布政使司衙門は台北植物園に移設され、現在も保存されている。

◆デザインは日本初のコンペで決まった

 庁舎は権威を強調したデザインが求められた。当時、東アジアへの進出をうかがっていた欧米列強に対し、新興国の日本はいかにして国力を誇示するかという命題と向かい合っていた。そして、総督府はあえて西洋古典様式を採用した。つまり、欧米のスタイルを踏襲しつつ、その中で自らの国威を誇示するという手法を選んだのである。

 デザインは民政長官・後藤新平の発案で、公募という形が採られた。この「台湾総督府庁舎設計競技」は、日本で最初の公開制設計コンペだった。概要は1907年5月27日に公布され、審査官には辰野金吾、中村達太郎、塚本靖、妻木頼黄(よりなか)、野村一郎、長尾半平、伊東忠太といった建築界・土木界の重鎮が名を連ねていた。

 審査は2段階で、まずは外観などの基本デザイン、続いて、細部にわたる審査が行われた。1次審査では応募者28人中、7人名が入選し、長野宇平治の案が1等となった。

 長野は明治期における建築界の旗手だった。西洋建築をその理論や精神にまで立ち返ることで極めていった人物とされる。日本銀行の技師として、日銀本店の増築の他、日銀小樽支店や広島支店、岡山支店、旧北海道銀行本店などを手掛けている。銀行建築以外には、奈良県庁や横浜の大倉山記念館(大倉精神文化研究所)などの作品がある。

 しかし、09年4月22日の官報によると、最終結果は最優秀案の甲賞の該当者はなく、長野の作品は乙賞にとどまった(丙賞は片岡安の案)。長野はこの時、順位は該当作品の中で決めるべきで、賞金最多額の甲賞に該当無しとは不自然だと異議を申し立てている。しかし、抗議は受け入れられなかった。

 さらに、台湾総督府からは統治機関としての威厳をより強調することが要求された。そして、長野の案には同じく辰野門下の野村一郎と森山松之助が手を加えた。この時、6階程度だった中央塔は9階(最頂部は11階に相当)に引き上げられ、デザインは確定した。

 長野はこの前後、台湾総督府の嘱託技師となっているが、その後は台湾と関わることはなかった。一方、森山は総督府庁舎の設計を機に、台湾建築界の重鎮となっていった。やや後味の悪い設計コンペであった。

◆最高統治機関として君臨

 起工式は1912年6月1日に挙行された。敷地面積は約7148平方メートル。5階建てで、当時、台湾で最も大きな建物だった。作業は毎日、午前4時半から行われ、交代制で深夜まで続けられた。そのため、騒音に悩まされて住民が不眠症になったとか、時間厳守が徹底されていたため、付近一帯では時計が不要だったなどという逸話が残っている。

 起工から3年あまりが過ぎた15年6月25日、主要部分の工事が終了し、同日、上棟式が挙行された。建物は4年後に完成、時の台湾総督は明石元二郎だった。

 正面に立つと、帯状に配された花こう岩の白石が赤れんがの壁面にアクセントを付けている。こういったスタイルはイギリスで流行したクイーン・アン様式を基調とし、「明治の建築王」と称される辰野金吾が好んだもの。いわゆる「辰野式」と呼ばれるものであった。

 庁舎内の部屋数は152に及んだ。総督官房室の他、内務局、文教局、財務局、殖産局、警務局などの部署があった。勤務する職員は常時1000人程度と言われ、出入り業者らを含めると、1500人を超える人が庁内で働いていた。

◆空襲と台湾総督府

 完工以来、権力の象徴として君臨したこの建物だが、やはり戦禍だけは免れることができなかった。1944年10月12日から始まった台湾地区への空襲では中央塔が被弾した。そして、翌年5月31日の台北大空襲の際には建物の右翼が被弾した。この時に倒壊したのは、中央塔脇のエレベーターと階段、その間にあった事務室にとどまったが、炎を消すのに3日間を要したと言われている。

 この時、館内にいた人々は地下室に避難していたが、全員が生き埋めになるという悲劇も起こった。この空襲で死者は100人を数え、対家屋面積比の83%に当たる箇所が被害を受けたとされている。

 終戦を迎えると、台湾は蔣介石率いる中華民国国民党政権の統治下に入った。台湾総督府も「台湾省行政長官公署」と改名された。そして、国民党が共産党との内戦に敗れ、国体そのものを台湾に移してくると、この建物は中華民国の総統府として使われることとなった。

◆総督府を修復した人物

 終戦を迎えると、台湾総督府は統治機関としての機能を失った。疲弊し切った総督府に庁舎を修繕する余裕はなかったが、修復は台湾人技師と留用された日本人技師が担うことになった。

 この時に重要な役割を演じたのが故・李重耀氏だった。李氏は総督府修繕の他、桃園神社の保存や戦後の衛生機関の整備などで知られる人物である。18歳で台湾総督府財務局営繕課の技師となり、戦時中は台湾総督官邸(現台北賓館)の防空壕(ごう)の設計コンペで入選した経験もある。

 庁舎の修復は行政長官・陳儀の命令によるものだった。李氏は日本人技師から受け継いだ建築士としての誇りを胸に、職務に没頭したという。

 工事は1947年に始まった。まず、しなければならなかったのは館内のがれきを運び出すことだった。これは牛車で約1万台分に相当し、延べ8万人の工員を要した。当時はインフレの嵐が吹き荒れており、物価が非常に不安定だった。現金は意味をなさないので、李氏は米を確保し、給金としてこれを分配したという。当時の世相を如実に物語るエピソードである。

◆一般公開されるようになった権力機関

 現在、この建物は館内の一部が開放されており、外国人旅行者でも参観は可能だ。平日の午前中に開放される常設展示空間の他、年に6回の特別開放日には総統の執務室やホールなども見ることができる。台湾の歩んできた道のりが紹介され、地方事情や伝統芸能を学べる企画展示もある。なお、政権によって展示内容の選別や紹介方法が変わるのは台湾らしいとも言える。為政者たちの意図を冷静に判断しつつ、参観を楽しみたい。

 同時に、展示物を見ていると、台湾と日本がいかに深く関わってきたかを思い知らされる。半世紀にわたった日本統治時代は現在、客観的な評価が下され、台湾史の一部として扱われている。そういった側面を受け止めながら、歴史を振り返りたいものである。

            ◇     ◇     ◇

片倉 佳史(かたくら・よしふみ)台湾在住作家。1969年、神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)等。

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