【日本台湾交流協会『交流』5月号:2024年5月25日発行】https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2024/05/2405_02hattori.pdf*掲載媒体の都合により、改行をほどこしたことをお断りします。
1.はじめに
このたび、当協会台北事務所主催の文化事業の一つとして短歌についてのイベントを実施した。
短歌とは、詩歌の形式の一つで、五・七・五・七・七の三十一音からなる短い詩であり、古くは奈良時代の『万葉集』の作品にも見られる日本の伝統文化の一つである。
日本国内では最近の短歌ブームで短歌を詠む人も増えているようである。
台湾では、その歴史的背景から日本語世代が中心となって立ち上げた「台北俳句会」、「台湾川柳会」、「友愛会」等、日本の和歌や日本語を愛好する団体が長く活動を行っており、毎月台北でそれぞれの例会が開かれている。
短歌については、「台湾歌壇」が半世紀余りに亘って活動を継続しており、平成26年春の外国人叙勲においては当時「台湾歌壇」の代表を務めていた蔡焜燦氏が旭日双光章を受章するなど日本でもその活動は高く評価されてきた。
近年、短歌をたしなむ日本語世代が年々減少する一方で、日本の漫画やアニメ等の影響で日本の伝統文化に関心を持つ若者が一定数いるところ、特に日本語を学ぶ台湾の若い世代に対して、日本の伝統文化である短歌という新たな切り口から、自らの日本語スキルをさらに高め、より深く日本文化を理解してもらう一助として、台北事務所広報文化部で今回のイベントを実施する運びとなった。
2.台湾短歌大賞
(1)作品の募集
2024年3月3日のイベント開催に併せて、同年1月中旬より約1ヵ月間、「台湾短歌大賞」と題し、オンライン上の投稿フォームを作成して広く一般から短歌の作品を募集した。
作品のテーマは「台湾」に関することやもの、場所などであれば自由に創作可能とし、また台湾人に加えて日本人も応募可能とした。
台湾での短歌のコンクールは筆者の知る限り初めての試みであり、企画の段階からやや手探りな状態ではあったものの、北嶋徹・台湾歌壇前事務局長にも助言を頂きながら作品の募集を開始し、当協会のホームページ・フェイスブックに加え、台湾歌壇や今回のイベントにご後援を頂いた台湾日本人会にも協力を得て広報を強化した結果、大方の予想を上回る278首の作品が集まった。
(2)応募状況
今回の応募者を年齢からみると、60歳以上が84人と最も多かったが、次いで12歳〜30歳の応募が68人と、企画段階で特にターゲットとしていた若い世代からの応募が多くあった。
また、30代、40代、50代からも総じてバランスよく応募があり、さらに最年少は小学生、最高齢は恐らく95歳と、幅広い世代から今回の企画へ関心が寄せられたことが分かる。
応募者の居住地からみると、台湾では台北、新北、台南、台中、高雄、桃園などの大都市に加え、新竹、彰化、雲林、嘉義、屏東、宜蘭など各地から応募があった。
また、今回は日本からの応募も可能だったため、台湾への特別な思いを寄せる日本に住む方々からも多くの作品が投稿された。
応募者の職業からみると、会社員が最も多く、次いで学生という結果だった。
短歌は、五・七・五の俳句や川柳と比べると日本語学習者にとって創作難易度が高いと言われがちではあるが、上記の通り、若い世代からの応募が多くあったことを考えると、今回のイベントを通じて短歌に挑戦してくれた学生や大学卒業間もない社会人が多くいることが分かる。
応募作品に対する選考は当所で行った。
選考委員には外部から、若手歌人の三原由起子氏(3月3日も講師として参加)、朱秋而・台湾大学日本語文学科教授、三宅教子・台湾歌壇事務局長が加わり、厳正なる選考を経て、下記(3)イ.の通り優れた作品8首が選出された。
(3)3月3日のイベント
ア.講演
本講演の講師として、歌人の三原由起子氏をお招きし、筆者と対談する形で、短歌の魅力などについてお話しいただいた。
三原さんは、福島県双葉郡浪江町の出身。
高校時代から短歌を詠み始め、1997年第1回全国高校詩歌コンクール短歌部門優秀賞受賞。
2013年第24回歌壇賞候補。
これまでに出版した著書2冊はふるさと浪江町の作品が多く収録されているほか、表紙デザインに台湾の客家花布(花柄生地)が用いられ台湾を詠んだ歌も収録するなど、台湾好きな三原さんならではの一面もうかがえる。
対談の中で三原さんからは、「短歌は、(自身にとって)感情を表現するのに適した詩形で、感情を込める下の句から作り始めることが多い。
紙とペンがあればすぐ作ることができるのも魅力」などとお話があった。
会場の参加者も、熱心に話に耳を傾け、中にはメモを取る姿も見られた。
イ.受賞作品の発表と表彰
講演に続いて、「台湾短歌大賞」1名、「交流協会台北事務所代表賞」1名、「副代表賞」2名、「広報文化部長賞」1名、「台湾日本人会賞」1名、「台湾歌壇賞」1名、「日台交流賞」1名の計8名の方の発表と、その中でイベント当日に出席できた4名の方の表彰式を行い、賞状と副賞をお渡しした。
「台湾短歌大賞」花燈を下げ手つなぎて娘(こ)とゆきし元宵の宮いま杖とゆく(台中・林聿修さん)
最高賞の「台湾短歌大賞」を受賞した林さんは、今年95歳になられ、台湾歌壇などを通じて台湾で長年短歌を詠んできたという。
「この度は未熟な作品をおとりあげくださり誠にありがたく恐縮に存じます。
皆様のお励ましに報わせていただけますように、命の限り短歌を学んでまいりますので、どうぞ引き続きお導き賜りますようにお願い申し上げます。
本日は体調を崩しまして参列する事ができませず、失礼させていただきます。
ありがとうございました。
」とハッとするほど達筆な手書きの手紙を寄せてくださった。
「日本台湾交流協会台北事務所代表賞」淡水に柔らかく降る春雨を集めてきみと作る阿給(日本・遠藤雄介さん)
受賞者の遠藤さんからは、「大好きな台湾と日本の交流を短歌に詠めること自体をただただ楽しみましたので、受賞の報に驚き、また大変光栄に思っております。
日本の『油揚げ』の音から転じた『阿給』は日台交流の象徴のようであり、その短歌を台湾で尽力されている皆様に読んでいただけたという機会に、改めて感謝いたします」と日本からメッセージが届いた。
「日本台湾交流協会台北事務所副代表賞」(2名)阿里山鷲、雲海の果てに、手を伸ばし、昨日の約束、花の朝露(新北・曹立徳さん)
受賞者の曹さんは、日本舞踊の西川流に携わる中で、和歌をテーマにした踊りに触れる機会があり、短歌に興味を持たれたとのこと。
今回の作品募集をきっかけに、阿里山で見た壮大な光景に自身の家族への思いを重ねて、初めて取り組んだ短歌で受賞した驚きと喜びをコメントした。
台南の空気は甘い箸持って空中に振って綿飴ゲット(台南・杜宜庭さん)
台南在住の杜さんは、故郷の台南の特徴を歌に詠み込もうと考え、作った作品だったとのこと。
若者らしい軽やかな作風が評価されての受賞となった。
「日本台湾交流協会台北事務所広報文化部長賞」あたたかい台湾だから人もまた豆花みたいなやさしさがある(日本・冨田真純さん)
冨田さんは、旅行で訪れた際に触れた台湾の人たちの暖かさを大好きな豆花に例えて詠んだと日本からメッセージを寄せてくれた。
「台湾日本人会賞」ルーローファン異国の地より戻り来て故郷の味と舌鼓打つ(台北・藤本紀子さん)
台北に住む藤本さんは、外国から台湾へ戻ってきた台湾人のご主人が好物のルーローファン(魯肉飯)を味わう様子を歌にした。
ご主人への思いが伝わってくるよい作品である。
「台湾歌壇賞」しゅぽしゅぽと畑を走る五分車は糖都虎尾のど甘い記憶(雲林・李玉璽さん)
雲林在住の李さんは、故郷・虎尾の象徴的な風景を歌に詠み込んだ。
台湾の中南部にはかつて多くの製糖工場が建設されたが、その一つの虎尾製糖工場は1909年の創立当時、「東洋一」とも称された大規模な工場であり、虎尾は「糖都」(砂糖の都)とも呼ばれたという。
砂糖の原料であったサトウキビなどの運搬のため、製糖用鉄道が活用されたが、この鉄道のレール幅が世界標準の約半分だったことから、「五分車」と呼ばれていた。
この製糖用鉄道は今も一部残され、サトウキビ収穫の季節になると虎尾の街を走り抜けるのを見ることができる。
李さんは、大学で漢詩を専門に教えており、今回の受賞作品を基に漢詩を作り、受賞式の場で台湾語で漢詩を吟じるというパフォーマンスを披露してくれた。
「日台交流賞」少年ら片瀬の浜で円になり故郷偲んで「椰子の実」歌う(日本・石川公弘さん)
日本在住の石川公弘さんは90歳。
小学校校長だった父が、台湾少年工が多く住む宿舎の舎監に転じたため、少年時代、台湾少年工は非常に身近な存在だった。
戦後、長らく連絡が途絶えたが、戒厳令が解かれ父が亡くなった後の1992年から再び元・台湾少年工との交流が始まり、「高座日台交流の会」(高座会)の会長を長年務めた。
受賞作品は、この台湾少年工を詠んだものである。
今回の受賞は、台湾少年工が日本の教科書に掲載されることが決まり、また「高座会」台湾側の会長を長年務めた李雪峰さんが亡くなられたのと同じタイミングだったとのことで、非常に運命的なものを感じられたとメッセージを寄せた。
ウ.作品の講評
最後に、当日の参加者の応募作品すべてについて、講師らより講評やアドバイスを行った。
参加者同士は知り合いではなかったものの、それぞれの作品に込めた思いや作品の背景などが会場に共有されることで、短歌を通じて双方向の交流が生まれ、会場があたたかい雰囲気に包まれた。
3.おわりに
今回、初めて台湾で短歌のコンクールが開催され、どれほどの作品の応募があるか企画段階では予想がつかなかったが、278首もの作品の応募があり反響の大きさに大変驚き、台湾の日本語を学ぶ方々の層の厚さを改めて実感することとなった。
「どの作品も台湾についての思いが込められており、(選考のために)読んでいても大変楽しく、応募数は多かったがあっという間に読んでしまった」と講師の三原由起子さんも仰っていたが、まさにその通りであった。
今回のイベントを通じて、短歌のように日本の伝統文化という切り口から、日本語の面白さや奥深さを味わってもらえていたら幸いである。
今回の事業へご協力いただいた方々及び素敵な作品をご応募いただいた方々へ感謝申し上げたい。
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