台湾海峡危機、新たな不安 バイデン政権の不透明な「対中姿勢」 矢板 明夫(産経新聞台北支局長)

【産経新聞:2021年3月6日】

 米国のバイデン政権が1月20日に発足して以降、中国は台湾に対し軍事的、外交的な圧力を強めている。台湾海峡上空に軍用機を頻繁に出動させ、挑発行為を繰り返すほか、主要農作物の台湾産パイナップルを禁輸とするなど経済面で実質的制裁を始めた。米国は駆逐艦を台湾海峡に派遣するなど、台湾支持の姿勢を示しているが、対中融和的姿勢を時折見せることもあり、台湾の外交関係者を不安にさせている。「バイデン政権下で台湾海峡危機は高まりつつある」と警告する軍事専門家もいる。

◆前政権との落差

 台湾が実効支配している南シナ海の離島、東沙(とうさ)諸島に駐屯する海巡署(海上保安庁に相当)と台湾海軍陸戦隊(海兵隊)は3月1日、中国軍による武力侵攻を想定した軍事演習を実施した。同23日に台湾がスプラトリー(南沙)諸島で実効支配するもう一つの離島、太平島(たいへいとう)でも同様の演習が行われる。

 2つの演習は、中国軍の挑発行為に対抗する目的がある。中国軍は1月31日から2月21日まで、渤海、黄海、東シナ海の3つの海域で軍事演習を実施した後、3月1日から広東省の雷州半島沖で再び軍事演習を開始した。

 中国軍の演習の中に「東沙諸島攻略を視野に入れた上陸作戦が含まれる」と伝える台湾メディアがある。台湾空軍元副司令官の張延廷氏は産経新聞の取材に対し「中国軍が台湾を武力侵攻するさまざまなケースを想定しているが、まず離島を攻撃し、国際社会の反応を試す可能性がある。地理的に考えると、東沙諸島が一番危ない」と指摘した。

 東沙諸島で1日に行われた台湾側の軍事演習は、領土を守る決意を内外に示すことを目的にしている。これまで、台湾軍が軍事演習を実施する際、米軍の飛行機や艦船が情報収集などを目的に現場の近くに出没することが多かったが、この日、東沙諸島付近で確認されなかったという。

 バイデン政権発足後、米軍は空母を南シナ海に派遣し、2月4日と24日、第7艦隊に所属する駆逐艦に台湾海峡を2度通過させるなど、台湾を支援する姿勢を見せていた。しかし、台湾紙の軍事記者は「積極的に中国に対抗しようとしたトランプ政権と比べて、バイデン政権は中国軍の挑発に対応する行動しかとっていない印象だ。両政権の中国に対する態度には大きな温度差がある」と指摘した。

◆恐れる「香港の次」

 バイデン米大統領は2月10日、中国の習近平国家主席と約2時間、電話会談を行った。中国による香港への統制強化、新疆(しんきょう)ウイグル自治区での人権侵害などに言及したうえで、台湾に対する中国の挑発行為についても触れ「地域で独断的な行為」と指摘して懸念を表明した。

 台湾の外交評論家の宋承恩氏は「昨年の米国大統領選挙の期間中、親中派と批判されたバイデン氏だが、就任後、中国に対し言うべきことをしっかりと言っている印象だ」と評価したうえで「これから中国に対し経済制裁に踏み切るかどうかを見極めたい」と話した。

 中国当局が最近、香港で民主派への弾圧を拡大し、昨年に施行した香港国家安全維持法違反の容疑で多くの立法会元議員を逮捕し、起訴した。しかし、この件についてバイデン政権の中国批判はほぼ口頭にとどまり、今のところ、有効な策を打ち出せていない。

 台湾の外交関係者は不安を抱き、「米国をはじめ、国際社会が香港の現状を事実上容認するようなことがあれば、中国は次に台湾に牙をむくかもしれない」と危惧する声もある。

◆善意を中国無視

 中国を「最も手ごわい競争相手」と位置付けているバイデン氏は、米中間の対立を軍事対決ではなく、話し合いを通じて解決していく方針を明らかにしている。蔡英文政権もバイデン政権の対中方針に合わせる形で、中国と対話する準備を水面下で始めた。

 蔡氏は2月19日、安全保障と対中政策を所管する閣僚人事を刷新した。国防部長(国防相)に邱国正(きゅう・こくせい)・国家安全局長、大陸委員会のトップである主任委員(閣僚)に邱太三(きゅう・たいさん)・前法務部長(法相)をそれぞれ任命した。「新たな局面を迎えた地域情勢や国際情勢の変化に対応した人事だ」と総統府の張惇涵(ちょう・じゅんかん)報道官が説明した。

 国防部長と大陸委員会主任委員の前任はいずれも「タカ派」として知られ、トランプ前政権の中国封じ込め政策に合わせて立法院(国会)での答弁や記者会見などで、中国を痛烈に批判することが多かった。

 これに対し、新しく対中担当となった邱太三氏は、「ハト派」として知られる中国問題の専門家だ。就任あいさつで邱氏は、「一つの中国」原則を認め合ったと中国側が主張する「1992年コンセンサス」について「受け入れられない」と語り、蔡政権の従来方針を維持する一方で、「両岸の交流再開が必要だ」と強調した。

 台湾側は人事刷新を通じて中国側に善意のメッセージを送ったが、無視される結果となった。中国政府の対台湾部門の報道官は邱氏を批判する記者会見を開き、台湾側の交流開始要求を拒否した。その直後、中国は台湾産パイナップルの輸入禁止を発表し双方の対立をさらに激化させた。

◆米は支持強化を

 習近平政権には、トランプ前政権と一緒になって中国に対抗してきた蔡英文政権と関係改善するつもりはないようだ。

 中国政府で対台湾政策を主管する台湾事務弁公室が運営するウェブサイト「中国台湾網」は2月中旬、「両岸の統一は次の世代まで待てない」と題する論文を掲載し、大きな波紋を広げた。

 同論文は、蔡氏の民進党政権を「台湾独立を推進する勢力」と批判したうえで、「台湾独立が台湾の多数派の選択になったとき、血を流す戦争は避けられない」とも強調した。

 台湾の軍事評論家の呉明杰(ご・めいけつ)氏は「バイデン政権はどこまで中国に対抗する気なのかまだ見えない。中国も台湾も米国の本気度を手探りで模索している。この不透明な状況が台湾海峡における軍事的危機を高めている側面がある」と指摘した。

 駐米台北経済文化代表処代表(駐米大使に相当)の蕭美琴(しょう・びきん)氏をはじめワシントンに駐在する外交官は今、バイデン政権の高官に対し台湾が置かれている危機的な現状を丁寧に説明し、台湾への支持強化を求める活動を展開している。

 蕭氏は1月20日のバイデン氏の大統領就任式に、台湾代表として1979年の米台断交後初めて招待された。台湾メディアは「歴史的快挙」と報じたが、台湾の外交関係者には「主催したのは超党派で構成する大統領就任合同委員会であり、蕭氏の招待は必ずしも政権の意向を反映したものではない」との冷静な声もある。

 そうした中、米共和党のスコット上院議員とレッシェンサラー下院議員が2月中旬、中国の台湾侵攻を未然に防ぐため、大統領に一定の武力を行使する権限を付与すべきだとする「台湾侵略未然防止法案」を上下両院に再提出した。

 同法案は昨年にも提出されたが大統領選などの日程と重なったため、審議されなかった。再提出は台湾外交の成果だが、法律成立まで、まだ多くのハードルが残っている。

 民進党幹部は「中国の圧力に屈することなく、主権と尊厳を守らなければならない台湾は米国の力強い支持がほしい。米議会と世論に訴えて政権を動かすしかない」と話している。

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