台北の総統府と二二八記念館で、長年ボランティアで日本語のガイドをしてきた蕭錦文(しょ
う・きんぶん)さんの話をしたい。
蕭さんは若い頃に軍隊に志願して日本兵としてビルマで戦った。九死に一生を得て台湾に帰って
きたが、その後、共産党との戦争に敗れて台湾に逃げてきた国民党の中国人が台湾人を虐殺した二
二八事件に巻き込まれた。
新聞社を経営していた親類が迫害を恐れてどこかに逃げたため、蕭さんは行方を白状しろと拷問
された。何も知らない蕭さんは答えようがなく、ひどい拷問を受けてもう少しで殺されるところ
だったが危うく命は助かった。しかし、一連の迫害によって蕭さんの弟さんは銃殺された。
私は2003年に初めて蕭錦文さんのお話を聴いて感激し、それ以来台湾で何度かお会いした。
総統府では日本時代に建てられて今も使われているこの建物の素晴らしさを説明し、4代総督の
児玉源太郎の時に民政長官となった後藤新平の大活躍によって台湾が発展したこと、「自分が死ん
だら台湾に埋葬するように」の言葉通りに台湾に葬られた七代総督の明石元二郎がいかに素晴らし
い人物だったかなどを強調し、蕭さん自身が日本を愛する思いを語ってくれた。
二二八記念館では、かつては同じ日本人であった台湾人の悲劇を知ってほしいと、涙ながらに訴
えていた。
「私は日本兵に志願して、日本のために一生懸命戦いました。お金なんかいりません。ただひとこ
と、よくやったという言葉が日本からほしいんです」
私は蕭さんの言葉に胸を打たれた。
「日本は大東亜共栄圏をつくるために戦って負けました。しかし欧米の列強国に占領されていたア
ジアの国々はみんな独立できたではありませんか。
これがまさに日本の目指していた大東亜共栄圏の姿ではありませんか」と言う話は、目からうろ
この驚きと感動だった。
また、蕭さんは総統府や二二八記念館を訪れた日本人に、教育勅語のコピーを配っていた。「こ
んな素晴らしい教えを捨てた日本人は馬鹿です。
親に孝行し、兄弟・夫婦は仲良く、友を信じ、博愛の心で人々に接し、勉強に励み、社会のため
に働きましょうという教えを否定して、いったい戦後の日本は何を教えているのですか」と、蕭さ
んは教育勅語を知らない日本人に教育勅語を教えていた。
実は昭和34年生まれの私はそれまで教育勅語をよく知らず、蕭さんに教えてもらって感銘を受け
た。
ご高齢のため蕭さんのガイドはもう聞けないが、台北に行ったらぜひ総統府と二二八記念館を見
学してほしい。
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