台湾の民主化とともに歩んだ志村けんさん  黄 文雄(文明史家)

【黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」:2020年4月1日】*小見出しは、読者の便を考慮して編集部が付していることをお断りします。

◆1980年代から90年代にかけて爆発的な人気を博した台湾通の「志村健」

 先週のメルマガでは、志村けんさんが新型コロナウイルスに感染したことが台湾でも大きく報じられたことをお伝えし、その回復を祈念しましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 志村けんさん(台湾では「志村健」と表記)は台湾通でも知られています。よく通っていたという台湾のマッサージ店には、彼の写真が掲げられているほどです。

 台湾では1980年代から90年代にかけて志村さんの番組が流され、爆発的な人気となったことから、台湾人にとっても志村さんは非常に認知度が高いのです。

 蔡英文総統も、日本語で哀悼の意を表しました。そのことは、普段あまり台湾のことを報じない日本のメディアも報道しています。

 台湾は1987年に、38年間という世界最長の戒厳令が解かれ、その後の民主化へとつながっていきます。その過程にあるなかで、それまで禁止されていた日本文化が次第に流入していきました。

 志村さんの番組も、まさにその時期に台湾へ入ってきたわけです。最初は日本で録画した海賊版をケーブルテレビで流すということから始まり、やがて日本のテレビ局と契約を結んで正式に放送されるようになったとのことです。

 長らく国民党政府に抑圧されてきた台湾人にとって、日本の文化はひたすら輝かしく、まさに「自由」の象徴でした。とくにお笑いなどは、その最たるものでしょう。

 1895年から1945年までの50年間、日本統治下にあった台湾は、日本の影響が強いため、戦後、中国大陸から渡ってきた蒋介石の国民党政府は、日本語や日本文化を禁止しました。

 そして1947年2月28日の2・28事件(台湾人市民による反政府デモと国民党政府の衝突)をきっかけに、国民党政府による台湾人弾圧(白色テロ)が開始、1948年には戒厳令が発せられ、以後、1987年まで台湾人は国民党政府の抑圧に苦しめられてきたわけです。

◆ケーブルテレビが広めた日本文化と民進党支持

 それだけに、日本統治時代を過ごした台湾人にとっては日本への郷愁があり、また、その下の世代にはアジアのトップを走る先進国としての憧れがありました。戒厳令が解かれる少し前には、すでに日本の漫画やアニメが海賊版として台湾に入ってきていました。

 また、1980年代には台湾でケーブルテレビが次第に普及したことも、水面下で日本文化が広まる一因となりました。山間部が多い台湾では、通常の地上波の電波が届きにくいため、民間業者によるケーブルテレビの設置が進んだのです。

 このケーブルテレビについては、放送の自由度が高く、国民党政府の統制外であったため、当初、国民党政府はケーブルテレビを非合法としましたが、すでに戒厳令末期にあった台湾では政府による取り締まりも実効性がなく、むしろどんどんケーブルテレビが発展していったのです。

 当時の台湾では、地上波の台視、中視、華視が「老三台」と呼ばれ、すべて国民党が牛耳っていました。これに対してケーブルテレビは4番目のテレビメディアとして、「第四台」と呼ばれるようになります。

 現在の政権与党である民進党が結成されたは1986年ですが、ちょうどケーブルテレビの普及時期と重なります。国民党が牛耳る「老三台」に対抗する形で、民進党はケーブルテレビを利用して支持を広げていきました。

 そしてそのケーブルテレビで志村けんさんをはじめとする日本の番組が海賊版で流され、多くの台湾人に大きな影響を与えたというわけです。

 1987年に戒厳令が解かれ、1993年には地上波とケーブルテレビの全面自由化となり、ここで合法なかたちで日本文化も一気にテレビメディアで流されるようになりました。

 そして1990年代末には、台湾では日本大好きな若者たち「哈日(ハーリー)族」が社会現象になります。台湾の若者はこぞって最新の日本の流行を取り入れ、また、日本を訪れる台湾人も大幅に増加していくのです。

◆中国語ウィキペディアが志村さんの死因を「武漢肺炎」から「台湾肺炎」に改竄

 ある意味で、日本の国民的スターである志村さんのお笑いは、台湾においては、民主化、自由化とともに歩んだ象徴的な存在でもあったのです。

 だから台湾でも志村さんの死去はショックをもって伝えられたわけです。台湾の政界、芸能界からも多くの追悼コメントが出されています。

 志村さんにインスパイアされて、「陽婆婆」という面白おかしいお婆さんのキャラクターを作り出してコントを披露している芸人の陽帆氏もその一人です。彼は志村さんを「小さいころからもっとも好きな日本の芸人だった。尊敬できる先輩を失って悲しい」とコメントを出しています。

 台湾メディアは、志村さんと交友があった台湾人の哀悼コメントを掲載、テレサ・テン氏との共演話など、台湾とのつながりを示すエピソードを数多く紹介しています。

 一方で、中国語のウィキペディア「維基百科」では、志村さんの死因が「武漢肺炎」から「台湾肺炎」という表記に改ざんされたということが報道され、台湾人の怒りを生んでいます。台湾のテレビ番組のキャスターは「世界中でこんな恥知らずな行いはない」と激怒しています。まったく卑劣な行為です。

 このように、多くの台湾人は志村さんに特別な感情を抱いているわけです。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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