台湾の国史館館長らが2・28事件の「元凶は蒋介石」とする報告書を公表

タブーだった蒋介石責任論を陳水扁総統も支持

 昨2月28日は台湾の228事件記念日だった。この事件のことは、日本でも中学校の歴史
教科書である扶桑社の『新しい歴史教科書』に登場したことがあるが、昭和11年(1936年)
2月26日に陸軍の青年将校らがクーデターを起こした「2・26事件」があるので、混同して
いる向きも少なくないようだ。
 これは、1947年(昭和22年)2月27日夜、台北市内の闇たばこ取り締まりをめぐる市民
殺傷事件を発端に起こった、国民党による台湾人虐殺事件のことである。日本の2・26事件
と区別するために「2・28台湾人虐殺事件」とでも命名したいところだ。
 それはともかく、これまで台湾ではこの事件の首謀者は誰かを口にすることはタブーだ
った。まだまだ戒厳令下で特務機関が目を光らせていた時代の記憶が色濃く残っているの
である。
 最近、『漫画 台湾二二八事件』と『台湾二二八の真実』の著者である阮美[女朱]さんを
招いた講演会で阮さんと黄文雄先生がトークショーを行ったが、そこで黄文雄先生にして
「今でも恐怖感がある」と吐露されたことに驚かされた。日本人にはわからない恐怖感で
ある。しかし、台湾の人々にとっては、228事件やその後に続く白色テロ時代の記憶は未だ
に生々しいようである。
 だから、この事件の責任者が誰なのかを口にすることは憚られてきた。タブーとなって
いた。知ってはいても公言することはできなかった。公言すれば、暗殺されるかもしれな
いという恐怖感があったためであるという。
 事件から59年目の今年、台湾総統府の歴史研究機関「国史館」の張炎憲館長らが、「事
件の元凶は蒋介石」とする報告書を公表し、陳水扁総統も支持した。
 台湾人はなぜ228事件の元凶が蒋介石だと判っているのに、その責任を追及しないのかと
いう疑問の声を聞く。怠惰であるということさえ言う日本人がいる。しかし、台湾の戦後
史をよくよく知れば、日本人にはその恐怖感はよくわからないかもしれないものの、一知
半解の台湾理解からは抜け出せるだろう。
 台湾の戒厳令は1987年(昭和62年)7月15日にようやく解除された。まだそれから18年し
か経っていないのである。米軍の占領から50年以上も経つのに、未だにウォーギルトイン
フォメーション・プログラムの桎梏から抜け出せない日本なのである。同じ苦悩を有する
台湾がようやく歩みだそうとしていることを、しっかりと目に焼き付けて欲しいものであ
る。
 その点で、未だに蒋介石が日本を救ってくれたという「蒋介石神話」を信じている日本
人がいるが、これこそ目覚めて欲しいものだ。
 ここに、本会理事でアジア安保フォーラム幹事の宗像隆幸氏が2002年に発表した「蒋介
石神話の創造」を掲載し、その資としたい。
                  (メールマガジン「日台共栄」編集長 柚原正敬)


2・28事件「元凶は蒋介石」、台湾総統府機関が報告書
【2006年2月28日付 読売新聞】

 【台北=石井利尚】国民党軍が1947年に台湾住民を武力弾圧した2・28事件につ
いて、台湾総統府の歴史研究機関「国史館」の張炎憲館長(58)ら民進党に近い学者グ
ループが、「事件の元凶は蒋介石」とする報告書を公表した。
 事件当時、蒋介石は国民党総裁として南京にいたが、報告書は!)台湾情勢を把握してい
た!)援軍を台湾に派遣した−などとした。
 国民党政権下で「蒋介石責任論」はタブーとされてきており、陳水扁総統は「人々が心
の中で感じていた真相が表に出た」と述べた。これに対し、国民党は、「政治的な動きだ」
「台湾内の対立をあおるもの」などと強く反発している。


『蒋介石氏元凶説』陳総統が支持−1947年の台湾人虐殺事件
【2006年2月20日付 東京新聞】

 【台北=佐々木理臣】台湾の陳水扁総統は十九日、台北市内で演説し一九四七年の国民
党政権による台湾人虐殺事件「二・二八事件」に関し、当時の国民党最高権力者、蒋介石
氏が事件の責任者であるとする研究報告を支持する姿勢を示した。
 「蒋介石元凶説」を、総統が支持したのは初めて。同事件五十九周年を前に、政府系外
郭団体が十九日の集会で「蒋介石こそ事件の元凶。最大の責任がある」との報告書を発表。
従来、責任を負わされていた陳儀・行政長官らより責任が重いとしたことに、集会に参加
していた陳総統は「責任の所在を明確にすることが民主を成熟させる道だ。歴史を歪曲(
わいきょく)することはできない」と述べた。
 台湾政府は九五年に当時の李登輝総統が事件について公式に謝罪。被害者や遺族への補
償も始まった。だが真相は解明されておらず、与党・民進党を支持母体とする陳総統は「
蒋介石元凶説」への支持を打ち出すことで、蒋氏と関係深い野党の国民党をけん制したも
のとみられる。

◆メモ <2・28事件>
 1947年2月27日夜、台北市内の闇たばこ取り締まりをめぐる市民殺傷事件を発端
に、中国からの外来政権、国民党が全島的な武力弾圧を開始。戒厳令が敷かれ数万人の犠
牲者が出たとされる事件。戦後、大陸から来た中国人に対する台湾出身者の根強い不信感
の原因になっている。