台湾の「民意」と米国からNOを突きつけられた馬英九政権

昨日、4日付の「産経新聞」に掲載された山本勲・産経新聞論説委員の論考「馬英九
政権の危なっかしさ」を紹介したが、同じ4日付の「フジサンケイビジネスアイ」紙で
も「中国に引き寄せられる馬英九政権」と題して、馬英九政権の中国傾斜を危惧すると
ともに、その原因を馬総統の外交理念の希薄さと指導力不足に求める論考を発表してい
た。

 昨日の本誌で、山本氏の論考の次に「参考資料」として、総統選挙時から1ヵ月ごと
の台湾の世論調査を掲載したが、この数字に明らかなように、馬総統の支持率は急落し
ている。

 宮崎正弘氏が「正論」9月号で指摘しているように、支持率に加え、台湾株式市場の
株価も下っている。宮崎氏は「1800ポイントも『下馬』し、就任45日にして20%の下落
を示した」と紹介したが、それ以降も株価は下がり続け、対中投資規制緩和を発表した
翌日の7月18日には総統就任時の9068ポイントから6815ポイントと2253ポイント、25%
も下落しているのである。

 尖閣問題が起こってからは、対日強硬路線をとった国民党所属立法委員への支持率も
急落している。「遠見」の6月26日発表の世論調査によれば、「満足:27.2%、不満:
49.4%」と圧倒的に不満を抱いている国民が多いのだ。

 つまり、台湾の「民意」は対日関係の悪化を望まず、急激な対中接近も望んでいない
ということだ。

 台湾の「民意」は汚職体質となった陳水扁総統や民進党への嫌気もあって、景気浮揚
策を掲げて「私も台湾人」と叫んだ馬英九氏を選んだ。日本でも台湾でも、常に現状を
維持しようとする傾向が強い「民意」は、急激な変化は望まない。とはいうものの、馬
政権の媚中的とも見える中国への擦り寄り方や対日関係の悪化に、台湾の「民意」は明
らかにNOを示したのである。

 山本氏は、アメリカがF16の追加輸出を当面凍結する米当局の方針を紹介している。
アメリカもまた、馬政権の中国傾斜にNOを突きつけたのである。

 この背景には「『米国務省内の対中融和派の意向』とも、『中国に急接近する馬政権
の動向を慎重に見守る必要が生じたため』などとさまざまの観測が流れている」という。

 台湾の専門筋によれば、「アメリカが精密武器の供給を恐れている。台湾と中国の関
係がよいということは、例えばF22の機密が中国に筒抜けになる可能性があるからだ」
と指摘し、それ故、「アメリカは今後、精密な武器を台湾に提供することはないだろう」
とまで述べている。実は、日本の専門家も同じように指摘しているのである。

 馬英九政権が中国との関係改善をはかるのはいいとしても、馬総統自身からも中国国
民党要人からも「台湾に向けた1300基のミサイルを撤去せよ」という声は、聞かれなく
なった。

 馬英九総統としては選挙公約の「633経済振興策」(6%以上の経済成長率、3%
以下の失業率、3万ドルの国民所得)を果そうとしての中国宥和政策なのだろうが、中
国傾斜としか見えないのは、中国を刺激しないような発言が目立つからで、ミサイル撤
去など言うべきことを言わないからだ。日米関係の重要性を国民に訴えないからでもあ
る。

 それにしても、台湾が中国に取り込まれて困るのは台湾そのものであり、日本であり
アメリカだ。日本は中国だけに顔を向けるのではなく、中国国民党の馬英九政権だから
こそ、台湾に顔を向けて毅然とした姿勢を示すべき時なのである。

 下記に山本氏の「中国に引き寄せられる馬英九政権」を紹介したい。

                   (メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬)


中国に引き寄せられる馬英九政権
【8月5日 フジサンケイ ビジネスアイ「山本勲の観察中国」(23)

■指導力不足 見えぬ外交理念

 中台関係の現状維持を唱える台湾の馬英九政権が、発足2カ月にして早くも中国ペー
スに引き込まれつつある。対照的に日本との関係は陰り、陳水扁前政権時代に悪化した
米国との関係修復も進んでいない。馬英九総統の外交理念が明確さを欠くうえに、与党
・中国国民党内での指導力も不足しているためだ。

 日米が馬政権との“距離感”を測りかねる一方、中国は国民党への工作を通じて背後
から新政権を操ろうとの動きを強めている。

 5月20日に馬英九氏が新総統に就任するや中国、日本、米国との間で時代の変化を象
徴する出来事が相次いでいる。5月28日に国民党の呉伯雄主席が北京で胡錦濤・中国共
産党総書記(国家主席)と1949年の中台分断後、初の政権党間トップ会談を行った。

 胡主席が四川大地震への台湾の支援に「深く感謝」し、「中華民族の団結と互助」を
称揚すれば、呉主席は「骨肉相つらなる中華民族の感情」で被害者への哀悼を表した。
まさに台湾海峡両岸の「中華民族の同胞愛」あふれる会談」となった。

 席上、双方は主権をめぐる争点を棚上げし、経済交流から話し合うことで合意した。
これに基づき6月12日には中台の交流団体間のトップ会談を10年ぶりに北京で再開、翌
日には7月4日からの中台間の週末直行チャーター便就航で正式合意した。

 こうした交渉の進め方自体が中国方式だ。中国では政府の後ろで共産党がすべてを指
揮する。これを「以党治国(党を以て国を治める)」という。

 すでに全面的に民主体制に移行した台湾では、権力の最高執行機関は選挙で選ばれた
政権であり、そのトップの総統である。にもかかわらず馬英九政権は対中交渉の開始時
点から相手の“土俵”で相撲を取らされたわけだ。

 国民党内には連戦名誉主席など、選挙民の付託を受けない親中派政治家も少なくない。
中国はまず彼らを取り込んで国民党を動かし、馬政権に圧力をかける作戦に出ている。
さらに馬総統は中国との交流拡大による経済浮揚を唱えて当選したから、中国は経済カ
ードも切れるわけだ。

 中国の重圧が効き始めたか、馬総統はかつてのように中国への民主化要求やチベット
など少数民族政策への批判をしなくなった。8月12日から1週間、外交関係のあるパラグ
アイ、ドミニカを訪問する予定だが、中国を刺激しないよう、初外遊をつとめて地味な
扱いにしようとしている。これには台湾の親中派新聞、聯合報でさえ批判しているほど
だ。

 対照的に台湾遊漁船が日本の領海内で海上保安庁の巡視船と衝突して沈没した6月の
事件では、対日強硬姿勢が目立った。腹心の劉兆玄・行政院長(首相)が「日本との開
戦の可能性も排除しない」と述べて日台関係が緊張し、日本を驚かせた。

 事故に対する日本側の謝罪を機に馬政権も事態の沈静化に動いたが、同様の事件は今
後も起こりかねない。馬総統自身、かつて日本の尖閣諸島領有に反対する活動家だった。
現在は「平和的解決」を主張しているが、基本的立場はなんら変わっていないからだ。

 台湾の在日代表機関、台北経済文化代表処の許世楷代表(事故当時)は事件後召還さ
れ、台湾の与党議員などから「屈辱を受け」辞任した。その後任に何人もの名前が挙が
りながら、なかなか決まらず、4日現在で着任していないのは、馬政権下の日台関係の
難しさを象徴している。

 対米関係も微妙だ。ブッシュ米政権は馬総統の「統一も独立も武力行使もしない」対
中政策を当初は歓迎したが、最近は「急速な中台接近に不安を感じ始めた」(米台関係
筋)ようだ。

 米太平洋軍のキーティング司令官は7月16日のワシントンでの講演で、台湾空軍の主
力戦闘機となっているF16の追加輸出を当面凍結する米当局の方針を明らかにした。

 馬政権の登場で「当面、中台の武力紛争が発生する可能性が非常に低下した」(キー
ティング司令官)ことが表向きの理由だ。これには「米国務省内の対中融和派の意向」
とも、「中国に急接近する馬政権の動向を慎重に見守る必要が生じたため」などとさま
ざまの観測が流れている。
 
 ともあれ中国の急軍拡に台湾が手をこまぬいていれば、「台湾が中国と対等に交渉を
することさえ難しくなる」(ランディ・シュライバー前米国務次官補代理)との懸念も
強まっている。日米中台の4角関係が揺れている。

                         (産経新聞編集委員兼論説委員)