台湾で昭和天皇の特別客車を公開

行啓から81年目、併せて台湾総督が島内巡行に使用した専用客車も公開

 大正12年(1923年)4月中旬、皇太子裕仁親王殿下(後の昭和天皇)は摂政の宮
として12日間にわたって台湾に行啓されています(皇太子殿下は大正10年11月25
日から、大正天皇がご病気のため、天皇に代わってお務めに当たる摂政に就かれ
ていた)。
 4月16日に基隆へ上陸し、27日に基隆から出港されるまで台北、台中、台南、
高雄、澎湖島と巡る11泊12日の長旅でした。ご訪台当時、皇太子殿下は満21歳。
台湾全島で盛大な祝賀行事が催され、その数232ヵ所にも及んでいます。
 台湾には今でもこの行啓の時の話が生々しく伝えられています。日本李登輝友
の会は去る5月20日に行われた総統就任式に招待され、黄文雄常務理事を団長に「
総統就任式参列訪台団」として台湾を訪問した折に金瓜石を訪れ、「太子賓館」
という建物を見学しました。生憎、改修中で中は見学できませんでしたが、名前
からもわかるように「皇太子殿下が泊まられた」と今でも広く信じられている建
物です。
 この建物は元々鉱山会社の貴賓館で、行啓より後の昭和初年に建てられている
ことから、ご宿泊の事実はありません。しかし、行啓後、この地に勅使が差遣さ
れること5、6度の多きに及び、当初は勅使お迎えのために建てられた建物だった
ため、いつの間にか「皇太子殿下が泊まられた」と信じられるようになったとい
います。
 戦後は、蒋介石などが鉱山訪問の折に休憩し、また何応欽将軍が狩猟のときの
常宿として使われていました。
 去る6月8日、9日の両日、その行啓の折に乗られた特別客車が一般公開されま
した。台湾メディアの関心も高く、多くの新聞・テレビが報道しています。7日付
の共同通信と12日付の時事通信は、その模様を次のように伝えていますのでご紹
介します。                          (編集部)
■6月7日付共同通信
 1923年に日本統治下の台湾を視察に訪れた昭和天皇(当時は皇太子)が乗った
特別客車が7日、台北市にある南港操車場の車庫で初めてメディアに公開された。
 青い車体の側面に白い線が入った客車は12年に台北で製造。客室や寝室など5部
屋に仕切られ、ヒノキやチーク材などで造られた内部の壁や梁(はり)には四季
の花の絵や菊の彫刻がほどこされている。
 戦後は蒋介石総統の専用客車となったが、66年の視察を最後に使われなくなり
、車庫に保存されていたという。8、9の両日、一般公開される。
■6月12日付 時事通信
 皇太子時代の昭和天皇が1923年の台湾行啓で使った特別客車がこのほど、台北
市内で一般公開された。
 1912年に製造されたブルーの客車は、内装に台湾産ヒノキを使用、至る所に精
巧なヨーロッパ風の彫刻が施されている。戦後は蒋介石総統の専用車として使
われ、66年を最後に「引退」し、その後は車庫に保管されていた。
 特別客車とともに日本統治時代の台湾総督が島内の巡行に使用した専用客車も
公開され、見学に訪れた人たちはしきりにカメラのシャッターを押していた。
 客車の存在を聞き付け、購入話を持ち掛ける日本人もいるというが、鉄道局
は「売却はあり得ない」としており、将来、博物館での展示を考えている。



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