全ての日本人に読んでもらいたい『台湾は台湾人の国』

身の危険も顧みず愛する台湾と台湾人のために尽くしてきたすさまじい行動
の記録

 許世楷・駐日台湾代表と盧千恵夫人の共著『台湾は台湾人の国』(はまの出版)
は、多くの方がその感銘を述べています。
 高座日台交流の会事務局長で『『台湾少年工と第二の故郷』の著書のお1人であ
るの石川公弘氏(石川台湾問題研究所代表)が、高座日台交流の会の会報に下記
の紹介記事を掲載していますので、ご紹介します。
 本書は全国書店で発売されていますが、割引価格での購入をご希望の場合は、
日本李登輝友の会へ、お名前とFAX番号を記してメールかFAXにてお申し込みくだ
さい。折り返しFAX専用申込用紙をお送りします。ただし、代金前払いですのでご
了承のほどお願いいたします。割引価格の詳細につきましてはホームページをご
覧ください。                         (編集部)

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全ての日本人に読んでもらいたい本
許世楷・盧千恵著『台湾は台湾人の国』
                 
                 高座日台交流の会 事務局長 石川 公弘

 本書は、現台湾駐日大使(台北駐日経済文化代表処代表)夫妻の書かれた祖国
台湾に対する燃えるような愛情の書です。私はこの書物を二度にわたって読みま
した。一度は日台稲門会の講演会で講師としてお呼びした許世楷大使を紹介する
ために、二度目は本会報に図書紹介をするためです。

 二度目は、メモを取りながら真剣に読みました。著者は、台湾に生まれたがた
めに経験しなければならなかった厳しい戦いの日々を、あたかも祖父母が孫たち
に話でもするように、淡々とわかりやすく書いています。さりげなく書かれたた
った一行の文章に、私は著者の万感の思いを汲み取り、たびたび涙しました。そ
れぞれの章で、私が特に感銘を受けた部分を紹介します。

■第一章 私たちは台湾人
 私たちは台湾人であって、中国人ではない、というのが本書を通じての著者の
一貫した考え方です。
 中国系だが中国人ではない。台湾人を中国人というのは、
アメリカ人をイギリス人だと言うのと同じなのだと。台湾人を中国人だと考える
ところに、今日いろいろな問題が発生しているのです。

■第二章 台湾独立運動家 33年の戦いの日々 その一
 この章には、夫妻の人生における最大の危機であった強制送還事件が書かれて
います。
「国民党は私たちの運動を潰すため必死になっていました。当時の法務大臣が台
湾へ行き、台湾が長崎県大村の収容所にいた百数十人の台湾人麻薬犯を引き取る
代わりに、日本は国内にいる台湾人反政府運動家6人を引き渡す、という密約が
交わされました。
 激しい反対運動の効果もなく、まず柳文郷という人が送還されました。次が許
世楷でした。それを知った日本の多くの知識人が救いの手を差しのべてくれまし
た。勤務していた津田塾大の藤田タキ学長(元労働省婦人少年局長)は、「許先
生は私たちの宝です。津田塾大学全体で守りましょう」と言ってくれましたし、
日本を代表する民法学者の我妻榮東大名誉教授は、法務省へ行って自ら保証人に
なってくれたばかりか、東大時代に首席を争った岸信介元総理にまで、「もし許
世楷を強制送還するようなことがあれば、人権上の大問題だし日本の恥だ」と働
きかけてくれました。それを受けて岸信介さんも、真剣に法務省へ掛け合ってく
れ、最大の危機を乗り切ることができたのです」。

■第三章 台湾独立運動家 33年の戦いの日々 その二
 この章で感動するのは、台湾で逮捕され拷問を受けている政治犯の救援に献身
する夫妻の姿勢です。
 日本政府から再入国を認められるようになった許夫妻の活動は、世界的な広が
りを見せます。
 台湾で謝聡敏氏が再逮捕されたときには、ロサンゼルス領事館の前で釈放を求
めるデモをしました。参加者は許世楷夫妻とまだ小学校と中学へ通うお子さんを
含め、たった八人でした。当時はまだ国民党の特務が怖くて、だれも公開の場の
運動には参加できなかったのです。小さな子どもを連れてのデモ、よほど自分た
ちのやっていることに信念がなければできないことです。
 
■第四章 台湾に新しい憲法を
 独立運動家として、また政治学者として、著者は自分たちの求める国家像を憲
法草案として示すことを思い立ちます。初めての台湾共和国憲法草案です。
 1988年暮れ、鄭南榕という雑誌社の社長が台湾でその出版を計画します。まだ
台湾独立などタブーの時代でした。
 その雑誌は爆発的に売れ、台湾はたいへんな騒ぎになりました。国民党政府は
大いに慌て、鄭南榕氏を反乱罪で告発し、検察庁へ出頭を命じます。しかし鄭南
榕氏はそれに従わず、「警察は生きた私を逮捕出来ない。捕まえられるのは私の
屍だけだ」と述べ、会社のビルに籠城、雑誌を出し続けました。
 遂に業を煮やした警察が、ガスバーナーで鉄柵を切断して突入したとき、氏は
用意していたガソリンを被って火を放ち、泰然と自ら命を絶ちました。これを機
に、台湾の言論の自由は一気に前進しました。
 「精魂こめて書いた憲法草案を理解してくれた鄭南榕さんを、主人は心から同
志と考え、立て籠もっている間も、日本とアメリカに救援をお願いしてかけ回り
ました。しかし救うことはできませんでした。私にとっても、主人にとっても、
大きな心の痛みとなっています」と盧千恵夫人。

■第五章 台湾再発見の旅
 この章では、台湾人は戒厳令時代に、山へも海へも行けなかったという話が印
象に残りました。
 山へ入るには警察に申請を出し、登山証をもらわなくてはなりません。一般人
の海水浴も禁じられていました。ほんの少し前まで、政府の都合の悪いことを言
ったら、いつどこへ連れていかれるかわからない、今の北朝鮮のような暗黒の国
だったのです。

■第六章 台湾人意識の高まり
 1992年、国民党政府のブラックリストが解除され、許世楷氏は33年ぶりに、盧
千恵夫人は38年ぶりに台湾へ帰ります。空港には数千の台湾人が、帰国できずに
海外で戦ってきた人を迎えました。
 帰台後、お二人が努力されたのは、台湾人意識と人権意識の高揚でした。許世
楷博士は、台湾の歴史、地理、言語などの「台湾学」を、すべて台湾語で教えま
した。中山公園と改名されていた公園を、元の台中公園に戻す運動もしました。
正名運動のさきがけでした。
 夫人は台中にアムネスティ支部を創設しました。「台湾独立運動家の主人と結
婚し、パスポートを取り上げられ、あげくの果てに強制送還されそうになったと
き、はじめて人権という言葉が身にしみました。これまで台湾は他国の人たちか
ら支援される人権輸入国でしたが、これからは政治的に圧迫されている他国の人
たちを支援する人権輸出国になりたい」と述べています。
 
■第七章 台湾と日本 国交正常化への夢
「戒厳令下にある故郷の、口を封じられた人々の声を代弁したために」三十数年
も帰国できなかった許世楷夫妻は、自分たちの命さえ狙っていた大使館へ、大使
として赴任することになりました。感慨深いものがあるようです。
 許世楷大使は、自信を持って言います。「台湾が中国に呑み込まれることは絶
対にない。それは、台湾が民主、自由、人権という世界史の主流に乗っているか
らです。一党独裁、反民主、反自由、反人権の中国こそ、変わらなくてはならな
い国です」。
 そして、「日本はどうか中国とも仲良くしてください。その場合、中国と仲良
くするために、台湾を犠牲にすることだけは止めてください。親台湾派は反中国
、親中国派は反台湾というのも極めて日本的な発想です」と言われます。

 本書は、台湾最高の知識人が、身の危険も顧みず愛する台湾と台湾人のために
尽くしてきた、すさまじい行動の記録です。この命懸けの献身によって多くのこ
とをやり遂げながら、お二人には得意になったり奢ったりするところが全くあり
ません。今も日本国中を、信ずるところを語りつつ東奔西走しています。
 本書を読むことで、読者は台湾と日本の歴史を理解し、自由と民主主義と人権
と言う貴重な価値観で結ばれた両国関係の重要性を知ることでしょう。また国家
の暴力という風雪に耐えて、信じ合い支え合ってきた三代の家族の絆の強さを知
ることでしょう。台湾に関心をもつ人だけでなく、全ての日本人にぜひ読んでも
らいたいと願って、本書を紹介します。

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