昨日発表された秋の叙勲者として、台湾で俳句を作り続ける黄霊芝氏に旭日小綬章が授
与されることになったことを昨日の400号を迎えた本誌でもお伝えした。
黄霊芝氏と親しいある日本人の方がお祝いの電話を入れると、黄氏は「場違いな気がす
る」と述べ、「叙勲が決まったら、日本の報道陣は10社インタビューに来たけど、台湾は
1社だけだった」と話していたという。
昨日配信した共同通信記事を東京新聞が掲載していたので続報としてご紹介するが、こ
の中に「なぜ屈辱の言語で書くか」とよく聞かれたとある。
実は、『台湾俳句歳時記』で第3回正岡子規国際俳句賞を受賞した平成15年(2003年)11
月、日経新聞に「俳句に託す台湾の心−日本語で創作活動、ただ自分のためだけに」と題
した文篇を寄稿しており、その中で次のようにつづっている。
よく聞かれる。言葉を奪われたことをどう思うか、と。だが、世界の歴史を繙けば、あ
る国が他の国を侵略し、ある民族が他民族の言語を奪うことなど、当たり前に繰り返され
てきたことだ。弱者が強者に逆らえるはずもない。今さら何を言うつもりもない。
私は日本語で考え、学び、創作してきた。妻は私に台湾語で小言を言い、それを息子が
北京語でなだめる。何の不自由もない。私は多分、今後も日本語での創作を続けるだろう
。誰のためでもなく、ただ自分のためだけに。
原稿用紙にして5、6枚ほどのエッセイなのだが、言葉に無駄がないのに驚かされた。
日本人の作家でもこのような研ぎ澄まされた文章にはめったにお目にかかれない一文だっ
た。一読をお勧めしたい。
メルマガ「日台共栄」編集長 柚原 正敬
初の台湾人俳句会で寄与 黄霊芝氏に旭日章
【11月3日 東京新聞Web版】
【台北3日共同】台湾で戦後初の台湾人俳句会を設立した黄霊芝(本名・黄天驥)氏
(78)に対し、日本文化の紹介に長年寄与したとして、旭日小綬章が授与されることが決
まった。秋の外国人叙勲受章者の一人として3日、日本政府が発表した。
黄氏は戒厳令下、植民地時代の言葉として日本語への風当たりも厳しかった1970年に台
北俳句会を設立。現在も会員約60人で毎月第2日曜に月例会を開く。
授章の知らせを受けた黄さんは「(立派なことは)何もしていないのに、なんでわたし
に…」と意外に思ったという。
「なぜ屈辱の言語で書くか」とよく聞かれた。日本統治下で17歳まで教育を受けた黄氏
にとって「一番得意な言葉は日本語」。日々の暮らしの中の思いを俳句で書き留めていく
ことは「自然なことだ」と言う。
「日本人はにんにくを臭いと感じ、台湾人や朝鮮人は芳しいと感じる。言語が何かは関
係なく、にんにくを芳しいと思って詠んだものは、台湾文学だ」が持論だ。
今気に入っている自分の句は「初蝉に雨、雨、雨、雨」。先陣を切って土から出てきた
が、毎日雨。日差しの中で思い切り鳴き声を上げることなく、短い命を終えるセミを思っ
て詠んだ。