中国を翻弄しつづけた李登輝元総統  近藤 伸二(追手門学院大学教授)

【エコノミストOnline:2020年8月27日】https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200825/se1/00m/020/046000c#cxrecs_s

*転載に当り、原題「『空砲だ。恐れることはない』中国のミサイルにも動じなかった李登輝元総統 中国 を翻弄したその『スパイ網』の正体」を改題しました。

 台湾の民主化に力を尽くし、7月30日に死去した李登輝元総統の12年間の政権運営は、台湾の統一を目指す中国との戦いでもあった。李氏はあらゆる手段を駆使して、強大化する大国と渡り合った。

 1988年に総統に就任した李氏は対中戦略を大転換し、対話路線にかじを切った。91年には中国側との実務会談に踏み切ったが、実現の下地をつくったのが密使のやり取りで、双方は香港などで密会を重ねた。

 さらに李氏は、総統府に国家統一委員会を設置し、国家統一綱領を制定した。統一に前向きと見せかけて、「中国の民主化」という条件を付けるなど高いハードルを設定した。李氏は後に「『統一』の動きに歯止めをかけておくことが狙いであった」と自著で明かしている。

 中国は当初、現実路線の李氏に一定の期待感を持っていた。密使の協議で、中国側は国家統一綱領について歓迎の意を表明している。李氏が中国を手玉に取っていた様子が浮かび上がる。

 李氏は95年に訪米し、母校コーネル大学で台湾の存在を世界にアピールする演説を行った。訪米は密使ルートで事前に伝えていたが中国は激しく非難し、ミサイル演習で威嚇した。

◆スパイも活用

 96年の初の総統直接選挙でも、中国は李氏の得票を減らそうとミサイルを発射したが、李氏は「空砲だ。恐れることはない」と住民を鼓舞した。実際にミサイルには本物の弾頭は搭載されていなかった。これは中国で活動していた台湾人スパイの情報に基づいていた。

 このように李氏は密使やスパイという水面下のパイプまで活用して中国を翻弄(ほんろう)し続けた。李氏は育った背景から「台湾人の心を持ち、日本人の思考方法と欧米の価値観を持つ。同時に中国的な社会、文化背景の中で生きている」と言われた。李氏が中国の出方を読めたのは、中国人の思考回路を熟知していたからだろう。

 ただし、李氏が対中関係で主導権を握れたのは、90年代までは経済力で台湾が優位だった点も大きい。李氏は中国の急成長を脅威に感じ、対中投資は1件5000万ドルを上限とし、インフラやハイテク分野は禁止するなどの制限を設けた。東南アジアなどへの投資も奨励したが、台湾企業の対中進出の勢いを止めることはできなかった。

 退任後、急進独立派政党の結成を主導したことなどで、李氏の政界への影響力には限界もあったものの、台湾の主体性を重視し、圧力に屈しない対中スタンスは現在の蔡英文政権にも引き継がれている。

 政治と経済の板挟みの中、どう中国と対するかは、日本も含めた各国の悩みだ。米国が経済的な損失を覚悟してでも中国に強硬な態度で臨む今、李氏の対中政策から学ぶものは少なくない。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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