中国と台湾、永遠の別離のはじまり  早川 友久(李登輝元総統秘書)

 「一つの中国」を主張する中国は、台湾が中国とは別の実体として存在することを意味する「一中一台」や「二つの中国」を認めず、台湾を「核心的利益」と位置づけ、祖国統一という名の併呑を図ろうとしている。その主張の根拠は「九二共識」や「92年合意」とも言われる92年コンセンサスにあり、蔡英文政権に「92年コンセンサス」を受け入れよと再三再四迫ってきた。

 習近平時代に入り、その主張をいっそう強く押し出すようになり、2017年10月の第19回中国共産党大会では「祖国完全統一の実現は、すべての中華民族の共同の願望」と宣し、2019年1月2日の「台湾同胞に告げる書」発表40周年記念大会においては「台湾同胞は……国家の完全なる統一、民族の偉大なる復興を無上の光栄な事業として受け止めるべきだ」などと演説した。

 しかし、この演説に対して台湾の蔡英文総統は間髪をおかず「我々はいまだかつて『92コンセンサス』を受け入れたことがない。台湾の民意の圧倒的多数は『一国二制度』に強く反対しており、これは『台湾コンセンサス』である」と反駁している。

 実は、92年コンセンサスの受け止め方は、中国と台湾では異なる。中国は「双方とも『一つの中国』を堅持する」という受け止め方で、いわゆる「一中」解釈だが、台湾の中国国民党は「一中各表」(双方とも『一つの中国』は堅持しつつ、その解釈は各自で異なることを認める」と解釈してきた。

 ところが、その中国国民党の受け止め方に変化が表れた。去る3月7日に行われた中国国民党主席の補選において、若手の江啓臣氏は92年コンセンサスを時代遅れだと批判して当選した。

 驚いたことに、対抗馬だった●龍斌・前副主席も中国との関係を見直すと主張し、中国よりと見られていた中国国民党の主席選挙候補者の2人とも中国と距離を取ると主張したのだった。(●=都の者が赤)

 習近平氏は、3月9日に中国国民党主席に就いた江啓臣・新主席に祝電を送らなかった。いかに中国国民党の主席とはいえ、「一つの中国」を認めない新主席に祝電を送れるはずもなく、送れば江氏の主張を認めたと受け取られかねない。メディアは極めて異例と報じたものの、当然といえば当然の対応だった。

 92年コンセンサスは、中国の海峡両岸関係協会と台湾の海峡交流基金会が1992年に香港で行った協議に由来するが、当時、総統だった李登輝氏や協議当事者だった辜振甫・海峡交流基金会理事長はどう受け止めていたのだろう。その後、どうして台湾と中国の共通項と理解されていったのだろう。

 台湾を自国領と主張する中国が、その拠って立つところを示すのが92年コンセンサスだ。「一つの中国」を押し通したい中国の論拠ではあるが、確実に揺らいできている。李登輝元総統秘書の早川友久氏が詳しく論じているので下記に紹介したい。

—————————————————————————————–中国と台湾、永遠の別離のはじまり  早川 友久(李登輝元総統秘書)【WEDGE infinity:2020年3月22日】https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19063

 「92コンセンサスなんて存在しない。当時、台湾の最高責任者だった私が言うんだから間違いない」と李登輝は言う。

 92コンセンサスとは、1992年に台湾と中国の間で「合意したとされる」もので、内容は「台湾と中国双方が『ひとつの中国』の原則は堅持しつつも、その解釈についてはそれぞれに裁量を与える」というもの。解釈については台中双方に食い違いがあるのだが、台湾側の主張は、台湾と中国で「どちらが正当な中国か」をいつまでも争っていては話し合いのテーブルにつけないので、とりあえず同じ「中国」という基礎の上に立っているのだから、お互いの主張は置いておいてまずは話し合いましょう、という合意だ。

◆中国との関係を見直しはじめた親中派

 先日、国民党主席選挙が行われ、まだ40代の江啓臣が当選した。1月の総統選挙で大敗したことで、主席の呉敦義が辞任したのを受けての選挙だったが、この選挙そのものも台湾がすでに新しい時代に入ったことを象徴する結果になったのではなかろうか。

 選挙は江啓臣と●龍斌の一騎打ちで行われた。江啓臣は台中出身の立法委員で48歳の若手。かたや●龍斌は、蒋介石夫人の宋美齢から寵愛を受けた●伯村の息子で台北市長や副主席を歴任した、いわばこれまでの国民党内では典型的なエリートとされた経歴を持つ。(●=都の者が赤)

 この候補者2人が揃って「見直し」を示唆したのが、「92コンセンサス」だ。ただし、この「92コンセンサス」は文書にも残されておらず、口頭で結ばれたと国民党が主張するばかりの代物だ。しかし、これまで国民党は「ひとつの中国」を拠りどころとしてこの合意に縋(すが)ってきた。その見直しを示唆した若手の江啓臣が主席に当選したわけだが、これは国民党の大転換点になる可能性をはらんでいる。

◆「王様は裸だ」と直言した李登輝

 そもそもこの「92コンセンサス」という言葉は、国民党が下野する直前の2000年4月に突如として登場したものだ。前月に民進党の陳水扁が総統に当選し、台湾史上初の政権交代が決まっていた。そこに当時、対中国外交を管轄する大陸委員会の主任委員(大臣に相当)を務めていた蘇起が「存在する」と言い出したのがこの92コンセンサスだった。当時の台湾でも一大論争になったが、のちに2008年から発足した国民党の馬英九政権が「一つの中国」を原則とするこのコンセンサスを中国外交の基礎としたため、再び大論争が起こった。そこで飛び出したのが冒頭の李登輝の発言である。

 1990年代初頭まで、台湾と中国はいまだ「国共内戦中」という建前のもと、双方の交流は途絶えていた。しかし、総統だった蒋経国は戦後国民党とともに中国大陸から敗走してきた外省人兵士の里帰りを解禁するなど、台中間の平和的な交流の萌芽が芽生え始めていた。

 急逝した蒋経国の跡を継いで総統に就任した李登輝は、台湾の民主化と中華人民共和国との対等な関係構築のために動き出した。91年には、双方が内戦中という状況を終わらせるため、国家総動員法にあたる「動員戡乱時期臨時条款」を廃止した。これによって、中国大陸は中華人民共和国が、台湾は中華民国が統治していることを実質的に認めたのだ。

 実際、それに先立つ2年前、李登輝は党大会での挨拶で「当面、われわれが一時的に大陸で統治権を有効に行使できないことについて、われわれはこれを直視する勇気を持たなければならない」と発言している。それまで「いつかは中国大陸を取り戻す」と嘯いていた国民党の長老たちに「王様は裸だ」と直言したのが李登輝だった。

 そこからいよいよ台湾と中国は双方で窓口機関を設立し、交流拡大のための話し合いを進めていくのだが、この間、92コンセンサスという文言や内容が表に出てくることは一度としてなかった。

 李登輝は、月刊誌などのインタビューで92コンセンサスにふれることはあったが、そのたびに「あれは国民党が中国人と手を繋ぐために作り出したものだ」と言ってはばからなかった。さらには台湾側の窓口機関の代表を務めていた「辜振甫からもそんな報告を受けていない」という全否定状態なのだ。

 しかし、馬英九はこの「92コンセンサス」を基礎とした中国との交流拡大を旗印に掲げて当選した。2000年から8年間の陳水扁政権では、中国との関係が希薄になり経済が悪化、陳総統が台湾独立色を強めに出しすぎたために国際社会(とくに米国)の支持も失ったことから、台湾と中国の交流(とくに経済交流)拡大を掲げた馬英九に有権者の支持が回帰したのだ。

 馬英九政権期にはECFAと呼ばれる中国との実質的なFTAが締結された。ところが、馬政権はあまりにも中国と接近しすぎたため、民意のサーキットブレーキが「ヒマワリ学生運動」として発動。中国との関係拡大までは認めるものの、あくまでも台湾と中国は別個の存在を守らなければならないという有権者のバランス感覚が働いた結果ともいえる。

◆李登輝と蔡英文の共通点

 その後、再び政権交代で総統となった民進党の蔡英文は当初から「92コンセンサスの存在を認めない」と主張し続けてきた。2012年の政権発足以来、中国が蔡政権にかける圧力はひとえに「92コンセンサス」を認めよ、受け入れよ、というものだ。つまり、台湾は「一つの中国」の枠組みのなかに存在することを迫るものだ。

 李登輝と蔡英文の共通点がここにある。李登輝は、中国大陸は中華人民共和国が有効的に支配しているが、そのかわり台湾は中華民国が有効的に統治していることを主張した。この時点では「中華人民共和国vs中華民国」の関係だが、李登輝は、中華民国が「いつかは大陸を取り戻す」という主張を止めさせた。これにより「中国」という鎹(かすがい)によって繋がっていた中華民国と中華人民共和国の関係を断ち切ったのである。

 蔡英文も、基本的にはこの立場を踏襲している。中国の画策で毎月のように国交断絶があろうと、中国からの観光客数が激減しようと、それでもなお92コンセンサスを受け入れないのは、あくまでも台湾は「中国という枠組み」の外にあるという立場を堅持しているからにほかならない。

◆中国と台湾、永遠の別離のはじまり

 今般、92コンセンサスの見直しに言及した江啓臣が国民党主席に就任した。92コンセンサスは、国民党の正式名称「中国国民党」が示すとおり、台湾を「中国」の枠組みのなかに置くものだ。「中国」が国民党のレゾンデートルともいえるだろう。

 しかし、1月の総統選挙で国民党が大敗したように、もはや台湾の有権者の心のなかに「中国」はほとんど存在していない。中国との経済関係緊密化や、交流拡大には賛成しても、中国との統一を希望する台湾人の数は、昨年12月の時点で「すみやかに統一」「どちらかというと統一」の割合を合わせても9%弱だ(政治大学選挙研究中心)。

 江主席の「どう見直していくか」の方向性は不透明だが、仮に国民党が「92コンセンサス」を時代遅れのものとして「依拠しない」方向に舵を切れば、いよいよ国民党の「台湾化」が始まることになるだろう。そして、それは中国がどんなに台湾に執着しようとも、中国と台湾の永遠の別離になる可能性をはらんでいる。

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早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)、栃木県足利市生まれ。早稲田大学人間科学部卒業後、台湾総統府国策顧問だった金美齢氏の秘書に就任。2008年、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所の秘書に就任。台湾・台北市在住。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。

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