に代えて主席の朱立倫氏を公認候補とする前代未聞の荒業を繰り出し、朱氏も新北市長を3ヵ月休
み、選挙で敗れたら市長に戻る措置を取るなど、日本では考えられないまさに「なんでもありの台
湾選挙」。
しかし、朱氏自身が「総統選挑戦は『不可能的任務(ミッション・インポッシブル)』だとし、
困難さを認めている」というのだから、国民党はいったいどうなっているのか。鵜飼支局長がその
事情を詳しくレポートしています。
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(@台北)なんでもありの台湾選挙
【朝日新聞:2015年10月28日】
■特派員リポート 鵜飼啓(台北支局長)
「この間、皆さんを失望させたと思う。申し訳ない」。10月22日朝、台湾の与党、国民党の朱立
倫主席は台湾南部・台中市の国民党支部前で、集まった100人ほどの支持者を前にそう口にした。
朱氏はこの5日前、台北で開かれた党の臨時党代表大会で、来年1月16日にある総統選の同党公認
候補に指名されていた。その後台湾メディアのインタビューを相次いでこなし、10月22日に地方で
の選挙運動を本格的に始動させた。
謝罪で運動を始めなければならないのには、わけがある。
5日前まで国民党の候補として総統選を戦っていたのは、洪秀柱立法院副院長(国会副議長)
だった。党内の手続きを踏んで7月の党代表大会で正式に公認されていた。だが、中国との統一志
向の強さや相次ぐ失言で支持率が伸び悩み、大会を開きなおして無理やり引きずり下ろしたのだ。
投開票日まであと3カ月と迫る中での異例の交代劇だった。
「台湾の選挙は何が起こるか分からない」
何人もの人にそう聞かされてきた。洪氏の交代を求める声は同党内にずっとくすぶっていたが、
朱氏自身は「すべて制度に従って進める」と強調していた。国民党関係者も直前まで「交代して欲
しいが、洪氏が自ら引かない限り辞めさせるすべがない。最悪だ」とこぼしていた。時間も迫り、
正直「洪氏のままで行くのだろう」と思っていたところで急展開した。「やっぱり何があるか分か
らない」と改めて思い知らされた。
ただ、朱氏が総統候補になっても最大野党・民進党の公認候補、蔡英文主席が優位に立つ構図は
変わらないとの見方が大勢だ。もともと人気が高かった朱氏は党の次世代リーダーと位置づけられ
ており、総統選立候補の待望論が強かった。だが、昨年11月の統一地方選で国民党が歴史的惨敗を
喫し、総統選も劣勢になるとの予測が強まったことを受け、地方選で新北市長に再選されたことを
理由に立候補を見送っていた。
そもそも朱氏が最初から立候補していたらこんな混乱に陥らなかったといえ、政治家としての決
断力に疑問符がついたほか、なりふり構わぬ候補すげ替えにイメージも悪化している。
ケーブルテレビ局TVBSが10月18、19両日に行った世論調査では、蔡氏の支持率が46%なのに
対し、朱氏は29%。同6、7日の同局の調査では蔡氏が48%で、交代させられた洪氏が24%だった。
朱氏の登板でも大きな追い風になってはいない。朱氏自身も「希望は捨てない」と語りつつも、総
統選挑戦は「不可能的任務(ミッション・インポッシブル)」だとし、困難さを認めている。
代えても負ける確率が高いのなら、なぜ代えなければならなかったのか。
今回の総統選にはもう一つ同時に行われる選挙がある。国会議員に当たる立法委員選だ。この選
挙への影響を考慮した可能性が高い。
台湾には「母鶏帯小鶏」との言葉がある。母ニワトリがひよこを率いるといった意味だが、注目
を集める総統候補の人気が各地で立法委員の選挙を押し上げるという意味でよく使われる。洪氏の
場合、率いるどころか、迷走して足を引っ張っているとの不満が強まったのだ。
「このままでは自分も落選してしまう」。そんな恐怖感で多くの候補者が党指導部を突き上げ
た。国民党の現有議席は定数113のうち65。これが40議席を割り込むとの見方もあった。現職の廖
国棟立法委員によると、委員間で洪氏の交代を求める署名集めが行われていた。「委員の大半がも
うこれ以上我慢できないという感じだった」という。
朱氏は臨時党大会で指名を受諾した際、次のように危機感をあらわにした。「このところ、総統
選だけでなく立法委員選でも多数を失うとの懸念が出ていた。国民党が過半数を失い、3分の1、4
分の1に満たない議席数になってしまったら、民進党は憲法改正などを狙ってくる可能性が非常に
高い。少なくとも立法院の過半数を守らなければならない」。
台湾の憲法改正は、立法院で4分の3の委員が出席し、出席者の4分の3が賛成すると住民投票が行
われる仕組みだ。4分の1以上の議席がないと住民投票を確実に阻止できないことになる。その後の
選挙運動でも、朱氏は「民進党が地方だけでなく、中央を抑え、立法院でも過半数を取ったらどう
なるか」と「危機カード」を連発。総統選での逆転は無理にしても、立法院の議席を少しでも増や
したいとの思いがにじむ。
朱氏が総統候補になったことで、地方に張り巡らせた党組織が活気づいているとされ、党内では
「50議席はいける」「過半数に届く可能性だってまだある」との楽観的な見方も広がり始めてい
る。ただ、国民党の組織力は以前ほど強くないと見られる上、地方選で民進党が大勝したことで民
進党になびいた地方の有力者も多い。実際の影響はまだ見通しにくい。
そもそも、今回の総統選をめぐる国民党の対応は異例続きだった。台湾では戦後長らく、国民党
が一党独裁を敷き、強固な支配体制を築いていた。総統選の民選が始まったのは1996年のこと。民
選初代の国民党候補は現職だった李登輝氏。2000年、04年の総統選は李氏のもとで副総統を務めた
連戦氏、08、12年は現総統の馬英九氏が公認候補となってきた。3人はともに事前に党内で総統候
補の地位を固めていた。
だが、今回はこれまでのように、「この人が総統候補」というような有力政治家はいなかった。
そこで同党史上初めて、候補を選ぶ予備選が6月に行われたのだ。
「有資格者」と見られていたのは朱氏のほか、呉敦義副総統、王金平立法院長(国会議長)だっ
た。だが、呉氏は馬政権の不人気のあおりもあって一般受けが悪く、立候補の環境が整わなかっ
た。王氏は馬氏と折り合いが悪く、家族が強く反対した。
3氏が動きを見せない中、「ほかの人の立候補を促す」と立候補を表明したのが洪氏だった。立
法院副院長とはいえ、王氏の影に隠れ存在感は薄い。台湾全体での知名度にも欠ける。当初は「泡
沫(ほうまつ)候補」の扱いだったが、立候補を届け出てその資格を満たしたのは洪氏だけだっ
た。国民党の決まりでは、予備選の候補者が1人しかいない場合は世論調査の支持率が30%を超え
れば公認される。洪氏はこのハードルを超えられないのでは、との予想が大方だったが、46.2%
の支持を獲得した。
一時は台湾メディアで「洪秀柱現象」ともてはやされたが、洪氏ならくみしやすいとみた民進党
支持者が調査に「支持」と回答したと見られ、めっきがはがれるのも早かった。馬英九政権は中台
は「『一つの中国』だが、『中国』が何を指すかはそれぞれで解釈する」という「一中各表」とい
う立場を対中政策の基本に据える。だが、洪氏は中台がともにより大きな中国に属するという「一
中同表」を訴えた。もともと「一中各表」を不十分と批判する統一派の学者が唱えていた考え方
で、こうした言動は国民党の考えと反する「急進統一派」と受け止められた。一時はこうした政策
は封印したが、その後も失言が相次ぎ、支持率は10%台に低迷した。
朱氏は指名受諾後のテレビインタビューで、「(洪氏を公認した)7月の党代表大会を開かない
ように、という声もあった」と明かした。だが、洪氏は「選挙の勝敗よりも、理念を広めることが
大事」と訴え、玉砕覚悟の選挙戦を展開。選挙での勝利を優先する党指導部と、洪氏の選対本部の
関係も緊張した。
朱氏は洪氏と3度直接会談して撤退を迫ったが、「決定的な転機となったのは洪氏の山ごもり
だった」という。洪氏交代論が盛んになっていた9月初め、洪氏が突然選挙運動を中断し、「しっ
かり考えるため」と寺にこもったのだ。交代論を封じるための動きと見られるが、「馬総統でさえ
も知らなかった。私ももちろん知らなかった」と不快感をにじませた。党と洪氏は意思疎通さえも
できない状況に陥っていたのだ。
洪氏を降ろして自分が出る、というのは朱氏にとっては苦渋の決断だったに違いない。だが、洪
氏が候補のままで突き進めば国民党は壊滅的敗北を喫する可能性があった。そうなれば今回立候補
を見送って次の20年の総統選に照準をしぼった朱氏にとっても、大きな打撃になる。指導力の欠
如で党を大混乱に陥れた張本人と位置づけられ、総統選立候補の芽も摘まれかねない状況だった。
ここで打って出て少しでも党勢を回復できれば、党内での立場をある程度守ることができるかもし
れない。そう計算したのではないだろうか。
一方、引きずり下ろされた洪氏。これで終わりかと言えば、そうでもないのかもしれない。もと
もと党内での影響力はほとんどなかった洪氏だが、総統選のキャンペーンを通じて一定の支持を得
た。台湾では、戦後国民党の台湾移転に伴って中国から台湾に移ってきた人たちを中心に、中国へ
の郷愁の念が強い人たちも残る。数は少ないが、こうした人たちは国民党政権のもとで政治、経済
の中枢を担ってきた。だが、近年、民主化などの影響で「台湾は中国とは別」と考える人たちが大
きな力を持つようになってきた。中国寄りの人たちにとっては、洪氏は思いを代弁してくれる頼も
しい存在に映る。
公認を取り消された後、党大会の会場を後にした洪氏に「党主席を目指せ」との声がかかってい
た。総統選と立法院選で国民党が大敗して朱氏の責任論が浮上すると、今度は逆に洪氏が盛り返す
ことも考えられ、洪氏は一定の影響力を行使できる余地を残した形だ。
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鵜飼啓(うかい・さとし)
台北支局長。1993年入社。青森、岡山支局を経て、中国重慶市に語学留学。香港、ワシントンの特
派員、国際報道部次長、論説委員などを務め、2013年4月から現職。45歳。