まだ寒さが残る秋田市郊外の国際教養大学で17日、先月急逝した中嶋嶺雄氏の大学葬が
あり、参列した。
県設置の大学に準備段階からかかわり、理事長兼学長をつとめた氏は晩年、「大学の改
革者」として名をはせた。来年の開学10周年を前に、大黒柱を失った関係者の嘆きははか
りしれない。
就職率100%、多くは1部上場企業という。この短期間に、グローバルに活躍する人材を
地方で育て、「秋田の奇跡」とまでいわれた中嶋氏の奮闘ぶりに惜しみない賛辞が贈られた。
私は本紙「正論」欄の担当時から最近までお世話になった。直接聞いた話の一端を書い
てみたい。
全授業を英語で進め、外国人留学生との寮生活、海外留学を義務づける国際教養大は、
グローバル化を見据えたカリキュラムが脚光を浴びた。しかし氏の真骨頂は、大学のあり
方を根底から改めたガバナンス(組織統治)だろう。
教職員は、副学長を含め3年任期とし、給与は評価に基づく年俸制を導入した。採用する
教員は模擬授業が課され、5人の審査員の集計点数で可否を決めた。
中嶋氏は正論に、専門の現代中国論で健筆を振るったが、大学改革でも発信していた。
大学行政に進むきっかけは、正論の原稿だった、と述懐していた。
米国の大学で教鞭(きょうべん)をとり、学生たちが教員を評価するシステムがあるこ
とを知り、「この評価制度を日本に」と書いた。これが当時の文部大臣の目にとまり、政
府に呼ばれるようになった。
「平成16年の法人化まで、国公立大の外国人教員はわずかで、学部長や学科長にもなれ
ない『知の鎖国』状態、冷戦崩壊やIT革命による世界の激変に対応できていませんでし
た。東京外語大の学長として成せなかった分まで改革を、と考えたのです」
葬儀には羽田空港の運営会社の関係者の姿もあった。アクセスの良さを利用し、羽田を
「知の拠点に」との中嶋氏の発案で国際シンポジウムを企画、5月末に2回目を計画してい
た。「横浜でのアフリカ開発会議を前に、アフリカをテーマに考えていました。その座長
がいなくなり、根本的に練り直しです」と肩を落とした。
改革プランは大学だけではなかった。折しも足踏みばかりの民主党政権が自民党にかわ
り、「知の開国」への動きに拍車を、と張り切っていた。いまは改革が後戻りすることの
ないよう祈りたい。(編集委員 平山一城)