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*ブログでは関係写真を掲載。
やって来ました潜入取材! というほどのものではありません(笑)。
「釣魚台(中国語で尖閣諸島のこと)は中華民国の領土」と主張し続けて40年の老舗
(そんなに昔からあったのか!)、「中華保釣協会」の記念シンポジウムが開かれたので
こっそり(でもないけど)出席して来ました。
会場は台北市内の世新大学。もともとジャーナリストを養成する専門学校でしたが、現
在は大学に昇格。大陸委員会の主任委員を務める頼幸媛女史もこちらの出身。ジャーナリ
ズム研究では、政治大学と並ぶ有名校です。
ポスターにもパンフレットにも「世新大学主催」と書いているのでどうにも気になり、
受付に駆り出されていた学生に「世新大学のどこの部署が主催なの?」と尋ねると「どこ
が、じゃなくて、世新大学そのものが主催です」という答え。なるほどパンフレットの最
初のページにも、頼鼎銘学長の挨拶文がバッチリ入っています。いくら私立とはいえ、こ
うした高度に政治的な運動を大学がバックアップしちゃっていいんでしょうか。ちなみに
協賛は国立清華大学図書館と中華保釣協会です。
会場に入ると出席しているのは総勢50名くらい。ただ、どうも雰囲気が台湾人っぽくな
い人もちらほら。後で分かったことですが、どうやら香港やマカオをはじめ、海外から参
加している人が半分くらいいるようです。
もっと感情的な雰囲気を想像していたのですが、シンポジウムはむしろ学術的に淡々と
進められていて意外でした。学生たちもちらほらいましたが、どうも彼らは手伝いに動員
された様子。
午後4時過ぎ。シンポジウムが終わると、「釣魚台公園」に移動して最後のセレモニーを
行うとのこと。いつの間にそんな公園作っちゃったんでしょうか。もともとはシンポジウ
ムをちょっと覗いて帰ろうと思っていたのですが、くっついて行くことにしました。
到着してみると、なんとその公園とは林森北路と南京東路の交差点にある通称「林森公
園」、行政上は「14号公園」となっています。ご存じの方も多いと思いますが、ここは日
本時代「三板橋」と呼ばれた地域で、日本人墓地となっていました。戦後、中国から敗走
してきた国民党の下級兵士たちが、この墓地に住み着き、墓石を梁や床石にしてバラック
を建てていました。
1997年頃、当時の陳水扁・台北市長により、この地域の浄化が行われ、違法に住み着い
ていた人々は補償金をたんまりせしめて郊外へと移って行きました。もちろん、その中に
は、中国大陸から着の身着のままで拉致同然に連れて来られた下級兵士も多数おり、一概
に非難することは出来ないのですが。
「外省人=加害者、台湾人=被害者」という、台湾を知り始めたばかりの人が抱きやす
い図式はステレオタイプ以外の何ものでもありません。整備が決まったこの地域に住む
人々を追ったドキュメンタリー「陳才根的鄰居們(陳才根と隣人たち)」(呉乙峰監督)
を見るとそれがよく分かります。
さて、セレモニーが始まりましたが、さすがに屋外ということと、台湾社会からは必ず
しもコンセンサスを得られていない「保釣運動」の団体、ということで警察も出動してい
ます。
参加者を代表して、香港からやって来たおじさん(たぶん幹部)が挨拶。広東語なまり
の中国語なので何言ってるかさっぱり分かりません。続いてアメリカのヒューストンから
わざわざ帰って来たというおばさん。このおばさん、保釣運動が始まった1971年からずっ
と参加しているそうです。残念ながら今日は保釣運動の元祖親玉、馬英九総統はお越しに
なっておりません。
その後、若者二人がギターとドラムで保釣運動をテーマにした歌を披露。みんなが口ず
さんでいるところを見ると有名な歌なんでしょうか? 最後にみんなで「還我釣魚台〜(尖
閣を返せ〜)」とスローガンを叫び、ボードにサインして終了です。通りかかる台湾人が
胡散臭そうに見ているのが印象的な会合でした。
最後に一つ。
世新大学でのシンポジウム会場に飾られていた花の中に、国家安全会議の胡為真・秘書
長から贈られたものがありました。国家安全会議といえば、総統直属の安全保障政策を決
定する機関です。
時には強制上陸や海上保安庁の巡視船への攻撃など、暴力闘争も辞さない団体に政府高
官が祝いの花を贈る。これはまさに馬英九総統が保釣運動そのものを支持している(支持
しているどころか、そもそもこの運動を始めた首謀者が、ハーバード留学時代の馬英九氏