た『台湾いろはかるた』の資料を探しているそうです。
記念式典で配布された資料を下記にご紹介します。お心当たりのある方は、ぜひ内田副
住職に連絡をお願いします。
『上毛カルタ』に影響を与えた『台湾いろはかるた』の資料を探しています。ご協力を
お願い致します。
◆連絡・問い合わせ先
〒371-0105 群馬県前橋市富士見町石井1227 珊瑚寺 内田堯重
TEL:O27-288-3503 携帯:090-5418-4582
E-mail:hi.uchida@coffee.ocn.ne.jpまたはsangoji@i.softbank.jp
手島仁『群馬学とは』(朝日印刷工業株式会社、2010年)より
(7)須田清基と台湾いろはかるた
◆台南市役所嘱託
羽鳥又男が台南市長時代に、須田清基が市役所に嘱託として勤務していました。清基も
又男と同じくクリスチャンでした。須田は1888(明治21)年8月21日にいまの安中市板鼻に
生まれ、安中教会の柏木義円から受洗しました。救世軍士官学校、聖書学院、台北神学校
で学びました。1919(大正8)年12月から台湾で自給伝道を開始、日中戦争下に子供達の教
育のため、『台湾いろはかるた』をつくりました。
『上毛かるた』は、浦野匡彦の精力的な活動によって誕生し、浦野は「上毛かるたの
父」と呼ばれていますが、『上毛かるた五十年の歩み』(財団法人群馬文化協会、平成9
年)にも書いてあるように、かるた制作のアイデアを提供したのは、須田清基でした。
◆台湾いろはかるた
私は初任で県立中央高等学校の教壇に立ちましたが、同校に須田清基の長男にあたる須
田献東先生が居られました。残念ながら『台湾いろはかるた』についての文献的な史料は
残っておらず、子供の時にかるたを覚えたという献東先生の記憶だけが唯一の頼りで、半
分近くを思い出して頂きましたので、それを紹介します。
『台湾いろはかるた』
い いともかしこし 台湾神社
ろ 六氏(先生)まつる 士林の芝山巖
ほ 北港のマソか マソの北港か
れ 歴史は古し 赤嵌楼
む 昔を語るゼーランジャ城
あ 阿里山 檜神木 三千年
に 新高は 日本一 高い山
ゆ 湯気けぶる 北斗草山(ソウザン) 一巡り
き 北白川(宮) 祀る 台南神社
る ルソン 香港 南に伸び行く 高雄港
ひ 東海岸(ヒガシカイガン) 断崖絶壁 三十里
は バシー海峡 照らすガランビ 大燈台
き 杵つく音に 暮れ行く 日月潭(ジツゲツタン)
お 乙女等の 恨みは深し ロンビ湾
し 新竹の名産 ビーフン 粉白粉(コナオシロイ)
せ 赤衣(セキイ)の義人祀る 五木廟
せ 千仭(センジン)の渓谷 花蓮のタロコ峡
み 南の空の守り 屏東(ヘイトウ)飛行場
ね 熱帯と温帯分ける 北回帰線
な 波静か セイシ湾の海水浴場
か 嘉南平野 お米は年に 二度とれる
た 淡水峡(タンスイケイ) かかる鉄橋 東洋一
て 帝国大学 台湾学府の 総本山
た 台内(タイダイ)を結ぶ玄関 基降港(キロンコウ)
ん んと働け五百万 総動員
『上毛かるた』に「ゆかりは古し 貫前神社」「昔を語る 多胡の古碑」「天下の義人
茂左衛門」「繭と生糸は 日本一」「ねぎとコンニャク 下仁田名産」などの読み札が
あるように、台湾いろはかるたは須田清基を介して上毛かるたにも影響を与えました。