っていた迫田勝敏(さこだ・かつとし)氏は現在、桃園県にある開南大学の応用日本語学
科で日本語を教えつつ、東京新聞・中日新聞の嘱託記者として記事を書いている。
本誌でも「台湾ダイジェスト」に掲載された記事を紹介させていただいている。鋭い筆
鋒と分析が好評だ。
6月号では「一意孤行」「何も変えない」馬英九をテーマに書かれている。他紙の論評で
は見られない「愛台湾」を貫くベテラン政治記者の分析だ。味読されたい。
「総統罷免」―試練の台湾民主政治
【台湾ダイジェスト:6月号】
「聞きましたよ。見ましたよ」─身内ともいえる聨合報などの世論調査でも、支持率
(満意度)が急落したため、馬英九総統も態度を変えた。それまでの世論調査の結果には
「政治操作だ」と一蹴してきたのとは180度の転換だ。だがそれも口先だけ。実際にはなん
の路線変更もない。予定通り2期目がスターとした。蛙の面になんとやら、か。「最後の手
段は総統罷免」と野党側は意気込むが、その道は遠く、厳しい。
◆異例、就任式当日の反対デモ
「司法の公正さや透明度を高め…」と馬英九総統が総統府の中の就任式で過去四年の成
果を自画自賛しているとき、外では台湾団結連盟(台連)などが「台湾の主権を守れ」と
抗議デモし、大きく引き伸ばした馬総統の顔写真に次々と怒りの卵を投げつけていた。
民選総統になって五回目の就任式だが、今回ほど激しい怒号の中での就任式はなかっ
た。司法への政治介入だと批判し、前任の陳水扁前総統の釈放を求めるグループは総統府
前の路上で座り込みを続けていたが、就任式数日前の明け方に急襲した警官隊に排除され
た。
19日の民進党主催のデモは10万を超える人が雨の中、参加した。翌20日の台連主催のデ
モには民進党幹部も壇上に上がり、地方でもデモがあった。参加団体の主張は様々。値上
げ反対から、司法改革、原発反対、一国二区反対…。怨嗟の声がそれだけ広がっていると
いうことだ。
◆夫人にも一意孤行の馬総統
馬総統はデモ直前に、「民衆の不満には思いやりの心をもって理解したい」とし、低姿
勢で緊急記者会見を始めた。「最近の政策は、みなさんの不便や不安を引き起こし、すま
ないと思う」としたうえで「改革の道は永遠に上り坂だ」と政策実施に理解を求めた。
謝るわけでなし、政策変更するわけでもない。結局は何も変えないということ。実際、
焦点となっている米国産の牛肉問題では米国との貿易協定締結には不可欠だと予定通り輸
入解禁を訴え、証券取引所得税も実施の方針は不変。電力料金の値上げも実施を遅らせ、
三段階に分けただけで上げ幅は変えなかった。
就任式の当日、総統府玄関で夫人を置き去りにして、自分だけさっさと入場、夫人が険
しい顔をして咎めていた。馬総統はよく「一意孤行(頑固で人の意見を聞かず独断的に行
う)」と批判される。夫人に対してでさえ一意孤行なのだから、一般民衆に対して独断専
行なのはやむをえないことなのか。
◆やはり出てきた「一国二区」
しかし、独断専行を許せば、台湾を中国に売り渡されてしまうのではないか、と心配す
る向きは多い。果たして、就任演説には「一国二区」論が出てきた。中国は一つで、二つ
の地区、つまり台湾と大陸に分かれているという主張で、民進党などは統一へ向かう第一
歩と批判している。
実際、中華民国憲法では大陸地区と台湾地区と明記し、馬総統は「歴代3人の総統もこれ
を変えていない」と断言した。だが、李登輝元総統は在任中、中国との関係を「特殊な国
と国の関係」と変えた。陳水扁前総統は「一辺一国」とそれぞれ別の国だと主張した。前2
代の総統は、憲法改正こそできなかったが、事実上、一国二区を否定している。馬総統の
発言は過去にとらわれ、現在を見ていない。歴史家ならともかく、政治家としてこれはい
かがなものか。
馬総統は就任式後の記者会見で中国との「平和協定」について「締結の切迫性はない」
とし、そのための公民(住民)投票の計画もないとし、統一に向かうのではという不安払
拭に努めた。
◆総統罷免、長く、厳しい道程
だが、平和協定は昨秋、馬総統自身が言い出したことだ。それを「今は切迫性はない」
という。ならば最初から言わなければいい。だから馬発言を鵜呑みにする人はあまりいな
いだろう。ではどうする。野党側はやはり「拒馬」で、罷免を求めて一部が動き出した。
台湾の憲法では総統罷免は、立法委員総数の4分の1の提議で、3分の2の同意で成案、そ
れを公民投票にかけ、有権者の過半数の投票で、有効投票の過半数の賛成で成立する。し
かし総統就任後一年間は罷免できない。しかも立法院は与党国民党が過半数だ。
そこで民進党の長老、辜寛敏氏らは国民党の立法委員の罷免運動を展開し、一人ひとり
と引き摺り下ろし、野党議員を増やそうと呼びかけている。公民投票実現までは長い道程
になる。だが、これが李元総統が「やり残した」という民主改革なのかもしれない。
(ジャーナリスト・迫田勝敏)