「台湾に送ったワクチンで大量死」報道の真相  栖来 ひかり(文筆家)

【東洋経済ONLINE:2021年6月24日】https://toyokeizai.net/articles/-/436201

 長らく台湾に住む日本人として、日本のニュースサイトに掲載される台湾の関連記事を見ながら違和感を抱き始めたのは、台湾で感染が拡大した2021年5月後半からだろう。「台湾のワクチン接種は周回遅れ」「現実的な漢族のDNA」「日本人の台湾幻想、妄想」といったネガティブな言葉を多用し、台湾のワクチン政策がうまくいっていないことを批判する記事が出始めた。

 さらには、「多くの台湾人がワクチンを求めて中国に殺到」「実は台湾人はアストラゼネカ製ワクチンをまったく歓迎しておらず、日本は余り物をよこしたと思っている」「在台日本人も中国製ワクチンを打ちたいと思っている」「日本で使われていないワクチンを送るのは毒を送るのと同じ」「漢人である台湾人は実はしたたかで信用できない」といった記事が目につくようになった。

◆「日本が送ったワクチンは毒」?

 こうした記事のソースの多くが、いわゆる「中国寄り」「反与党政権」の台湾メディアという共通点もあった。記事中に例として取り上げられた日本人の意見もかなりの少数派と思うが、それが台湾全体のことのように語られているのを見て、怒るというより呆れてしまった。

 台湾で感染が広がったのは突然だった。そのためワクチンを求める声は急激に高まり、それに見合うワクチン入手が遅れていることは確かで、それは政府のワクチン対策に問題がある。それに対する建設的な意見や議論ならばもちろん必要だ。とはいえ、さまざまな理由が重なってそうなってしまったのは、台湾で暮らしてニュースや中央感染指揮センターが連日行う会見を見ていれば何となく理解もできる。台湾は、ただでさえ多くの国際機関から排除され、国際社会のなか「一人ぼっち」で頑張ってきたのだ。無条件に何でも仕方がないとかばうわけではないが、あまりにひどい書きっぷりではないか。

 なにより、台湾についてそこまでネガティブに日本の読者に伝える目的は何だろう。筆者らの経歴を見るとメディアでの経験も多く、中国や台湾での駐在経験もあるようで、台湾事情にはかなり詳しそうだが。とくに問題を感じたのが、2021年6月4日に日本から提供された124万回分のアストラゼネカ製ワクチンが台湾へ到着した後の一連の報道だ。台湾から日本への感謝が伝えられ、日台双方で高まっていた友好ムードに冷や水を浴びせるような記事が散見された。

 その中には、一見冷静に出来事を説明しているように見えるが、実態と異なることや根拠のないことをちりばめた悪意の塊のような文章が少なくない。しかも、「日本から台湾に送られたアストラゼネカ製ワクチンで大量死」、「ワクチンを送った日本に対し反日感情が高まって台湾で暴動寸前」というきわめて扇情的な記事もあった。

 台湾人で北海道大学法学研究科助教の許仁碩氏は、これらの記事の論点や傾向を整理してどういった性格のものかを分析している。許氏は、「今は日台関係が良いので影響も限定的だが、何かしら日台関係に摩擦があるときには、これらの論調が含む問題に日本人が気づけるかどうか」と指摘している。私もこれには同感で、日本読者の台湾リテラシーが試される危うさを感じており、この状況は楽観できず、こうした記事の目的を注視していかなければならないと考えた。

◆公式データでもわかるワクチンの有効性

 そして、こういった悪意を持ったネガティブな情報に対抗するために、台湾のこれまでの歴史や現在の立場について、もっと日本の方々に理解を深めてもらうのが効果的だと考え、筆者も「まさかの時の友こそ、真の友──日本のワクチン支援、台湾人を感動させたもうひとつの意味」という記事を書いた。

 台湾では2021年6月14、15日から、日本が提供したアストラゼネカ製ワクチンの接種が、高齢者を対象として行われている。そして接種後に死亡が相次いでいるというニュースが流れ、接種を不安に思っている人も確かに少なくない。ただ、これは、接種への不安を感じている人の多い日本やその他の国々と同じ状況だろう。

 中央感染指揮センターの陳時中部長はこれに対し、同じくアストラゼネカ製を承認している韓国やイギリス、アメリカと比較して台湾が特別多いわけではないこと、死亡原因は追跡調査を行ってきちんと明らかにすること、ワクチン接種はリスクよりも有効性のほうが大きいことを強調した。

 さらに言えば、多少の不安感はあるとはいえ、それを日本のせいにする台湾人はめったにいない。不満の矛先を向けているのは台湾政府に対してであって、ましてや暴動寸前というのはまったくのデタラメである。

 間違った情報が日本で広まることへの危機感を持ち、公式の統計データを用いて日本人向けにツイッターで解説する台湾人もいる。ツイッターでそういった公式データを分析した結果を公表したkaito2198氏によれば、2021年6月20日時点でのワクチン接種後の死亡者は64人。そのうち90歳以上は15人、80歳以上が32人、70歳以上は8人、69歳以下は9人となっている。接種してから亡くなった時間も、接種当日から接種4日後までとまちまちだった。kaito2198氏のような民間パワーが、正しい情報を見つけ解説して広めるなど、フェイクニュース対策の協力者の役割を担っている。

 死亡者の95%に基礎疾患があり、とくに透析を受けている方が多い。そのほか認知症や糖尿病、高血圧、腎不全、冠状動脈性心疾患、がん、心臓病といった慢性病を抱え、寝たきりの方もいた。また、台湾では祝日となる端午節(2021年6月14日)で食べるチマキをのどに詰まらせた人や、接種前に転倒して死亡したといったデータも紛れ込んでいたという。

 実際に、台湾で昨年2020年に、75歳以上の高齢者で亡くなった人は1日平均260人。今回のワクチン接種ではほとんどが75歳以上を対象としていたが、3日間合わせてもその数には及ばない。

◆日本からのワクチン送付に台湾は本当に感謝している

 一方で、新型コロナウイルスを原因とする死亡率は、台湾は突出して高い。介護施設でのクラスターや家庭内感染など、高齢者への感染が広がっているためだ。接種後に死亡した後期高齢者の人数を約50人とした場合、(ワクチン接種と直接的な関係がどれほどあるかは不明だが)死亡率は0.0087%である。一方、コロナに感染した場合の死亡率は22%だ。データ上の有効性は火を見るより明らかである。

 だからこそ、高齢者への接種が一刻も早く望まれていたタイミングで到着したのが、日本が提供したアストラゼネカ製ワクチンだった。筆者の周辺でも、ご年配の多くが「接種ができて本当にホッとした、日本に感謝している」との声を聞いたほどだ。

 それでも、世界的に有効性が高いと言われるモデルナ製やファイザー製のほうを接種したいと望む人も少なくない。日本では、台湾がアストラゼネカ製のワクチンしか承認していないと思われているようだが、そうではない。たんにその時はアストラゼネカ製しか入手できなかったのが実状だ。

 とはいえ、日本からのワクチンが到着した後に、それまでアストラゼネカ製の悪口をさんざんテレビで言っていたメディア関係者や富裕層が、自主診療のクリニックへ配布された同社製ワクチンを抜駆けしてこっそり打っていたことが明るみに出ている。またその後、中央感染指揮センターは各国と比較しながら同社製よりもファイザー製のほうが接種後の死亡例が多かったことも示している。当事者やご遺族に「こんな死亡データがあるので、あきらめてください」という話ではない。結局、どのワクチンも未知数であることには変わりないのである。

 それでもやはり、熱が出るなど身体に負担がかかることは考えられ、基礎疾患のある人には充分な事前検討が必要であろう。本当に信頼できないならば打たずとも良いし、台湾でも日本と同じくワクチン接種は強制ではない。

 以上のような台湾の実状が日本に伝わることがないまま、「反日」「大量死」「暴動」というセンセーショナルなワードを並べた報道が、日本のメディアでなされた。そのため、在台日本人の中には、「台湾で死者が相次いで対日感情が悪化しているんでしょ?」などと心配するメッセージを日本にいる家族から受け取った人もいる。

 台湾政府は現在、フェイクニュースを捏造した人に高額な罰金を処している。また受け取ったフェイクニュースを誰かに流しただけでも罪に問われる。何をもってフェイクニュースとするかを、政府という権力機関が判断できることには当然、議論の余地はあるだろう。しかし、台湾の人権団体が異議を唱えているのは、あまり効果の上がらない高額な罰金や特定メディアへの攻撃といった「手段」であって、安全保障や公共福祉を脅かす大量の「フェイクニュース」に台湾がさらされているという問題は共有しており、解決手段として透明性ある情報公開を求めている。それほど切羽詰まった「情報戦争」の渦中にいるという自覚が台湾にあるのだ。

◆台湾では情報ソースと目的に敏感

 フェイクニュース、とくに現在の蔡英文政権に関するものがとてもひどかった2018年ごろ、筆者も個人のフェイスブックでフェイクニュースに事実を列挙して反論したことがあった。すると、多くの「捨てアカウント」の持ち主から攻撃を受けた。こういった攻撃は台湾で「網軍」と呼ばれ、ネット軍隊とでも言えるだろうか。コメントが中国で使用される「簡体字」で記されたり、その内容もかなり汚い罵倒語を使って書き込まれていた。こうした「網軍」によってフェイクニュースが作られ、拡散され、世論が攪乱される。

 台湾政治は大まかに言えば、その支持・志向性によって2つの色に分かれる。1つは中華人民共和国に融和的な「藍」陣営と、リベラル的な政治志向をもち台湾の主体性を志向する「緑」陣営(現在の与党・民主進歩党も緑)だが、「網軍」はどちらにも存在する。つまり、台湾では日々熾烈な情報戦が双方で繰り広げられているということだ。

 フェイクニュース法規制が敷かれてから、情報戦はさらに巧妙になっている。こうしたことが日常的な台湾では、少なくない人が情報リテラシーに敏感だ。また、メディア側もその報道姿勢が「藍」か「緑」に分かれ、そのソースがどこのメディアかで、その信憑性を各個人が判断する。「藍」側のメディアには多くの中国資本が入っているとも言われる。このような事情から、台湾で暮らした経験があったり、長いあいだ台湾に興味を持ってきた日本人は、台湾に関する記事がどのような目的を持っているかをある程度は判断できるだろう。

 しかし台湾への関心がこの数年、急激に高まってきたなかで、そういった台湾に関するメディアリテラシーを日本人の多くは持っていないように思う。台湾に関心がそれほどなかった時代であれば、前述したような記事の影響はごく限定的だったかもしれない。

 だが、とくに2020年になってコロナ対策で台湾のデジタル大臣であるオードリー・タン氏など台湾人に注目が集まり、タピオカに続き台湾パイナップルが日本でブームとなるなど台湾への関心が強まっている現在、フェイクニュースでさえこれほど広がるというのは、台湾情報の価値が高まったからと言えるのではないか。

 そう考えれば少し皮肉ではあるが、このことは1つの必要性を示している。つまりデマやフェイクニュースに惑わされず、「日台友好」という関係をきちんと機能させていくためには、現状を知るだけでなく歴史や地理、社会政治といったさまざまな角度からの台湾理解を進めながら情報を判断するのが重要ということだ。

 台湾の在日大使館にあたる台北駐日経済文化代表処の謝長廷・代表は自身のフェイスブックで、「日本提供のワクチンに対する行きすぎたバッシングは、以降の日本からのワクチン支援に影響する」と投稿した。これは台湾の一部の人々に向けたコメントだが、同時に日本に対しても同じことが当てはまる。

◆「親日」を超えた公平な台湾理解が必要

 前述したような記事を多くの日本人が信じた結果、日本世論は「もう台湾にワクチンを送るのは遠慮しよう」という流れに発展するかもしれない。1つの記事が作り出したデマが、多くの台湾の方の感謝の気持ちを踏みにじり、台湾人の生命に影響をもたらす事態になるといっても過言ではないのだ。

 フェイクニュースは、実に巧妙に作られる。すべてがウソというわけでもない。しかし、かなり極端な「ホント」を拡大し、そのうえで虚実取り混ぜて作成される。さらに、「安倍晋三前首相が主導」といった政治家の名前を入れることで、政治的な志向を異にする人たちの関心を引き寄せる状況も見られた。

 そういった一部の人たちにとり、こうした台湾情報は現政権を攻撃できる材料でしかないように思える。また、「日本で使っていないアストラゼネカ製ワクチンを提供するのは申し訳ない」という、多くの日本人がどことなく持っていた後ろめたさを実に刺激したことについては、卑劣の一言に尽きる。

 「台湾は親日だから好き」「敵の敵は味方」といった考えも危うい。台湾はかつて日本の植民地であり、歴史的にも政治的にも、そして心理的にも解決されていない問題は、実はまだ残っている。さまざまなバックグラウンドを持つ人で構成される多様社会であり、日本に関心がない、またはよく思っていない人ももちろんいる。「親日だから、そうした不満を言わないはず」という決めつけは、公平・平等な相互理解を妨げる。

 互いに問題点をしっかり指摘し合い、解決をともに探ることができ、ともに明るい未来を目指す「真の友情」を求めるのであれば、それこそどんなデマやフェイクニュースにも惑わされない、強い結びつきが必要とされるだろう。悪意のある情報やデマは「ウイルス」であり、本物のウイルスと同じく素早く伝播し、人の命を奪うことさえある。そして、手を変え品を変え、これからも次々と現れるだろう。それに対抗するためには、お互いにきちんと知っていく、正確な情報や多角的な理解の深まりこそが「ワクチン」なのではないだろうか。

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