本会のホームページに「古い記憶のメロデイ」というサイトをリンクしています。これ
は台湾の日本語世代の方で「大正11年の台湾生まれ、退職してから30年になります。平常
うろ覚えの古い唄を歌いながら自転車で散歩山登りして、日に一度静座します。パソコン
いじりはホンの初歩なのでこのホームページつくりは精いっぱいですが頑張ります」と作
成したサイトです。
「思い出の曲」「台湾の古い旋律」「軍歌、戦時歌謡」「台湾の校歌 其の他」「台湾
古楽」などとともに「童謡・唱歌」もアップしていて、そこに、本日の産経新聞「歴史に
消えた唱歌」が取り上げた「ペタコ」もあります。
「ペタコ」のメロディと3番までの歌詞が付いていて、「ペタコ」という鳥の解説もして
います。
なお、本日の産経新聞「歴史に消えた唱歌(5)大正デモクラシーに乗って」を読ん
だ、千葉県の冨澤賢公氏から、下記のようなお便りもいただいています。
この「ペタコ」という鳥の名前は『台湾のいもっこ』蔡徳本著(竹岡書店)の中に載っ
ています。それは鳥としてではなく、白いヘルメットをかぶった刑務所の憲兵としてです。
身に覚えのない罪で蔡徳本さんが囚われて、九死に一生を得た経験を書いた本です。白
色テロで無実の罪で囚われの身になった台湾人が処刑される朝に、白いヘルメットをかぶ
った国民党の憲兵が牢屋から彼らを連れ出すとき、長靴の足音がカッカッと響き聞こえて
きます。仲間の台湾人が口々に「ペタコが来た」と叫びます。白いヘルメットの国民党の
憲兵を頭の白い小鳥の「ペタコ」になぞらえてそう呼んだのです。
何回目かの李登輝学校でも李登輝先生は「ペタコ」の話をされました。今日の新聞記事
は台湾人にとって身近な鳥だったのだろうと書いています。戦後の台湾人の悲しい歴史の
中に埋もれた「ペタコ」という名前を別な面で紹介いたしました。
台湾の人々にとって身近な鳥ゆえに、刑務所で符号としても用いた「ペタコ」。見に覚
えのない罪を着せられて投獄される、蒋介石や蒋経国時代の「白色テロ」と呼ばれる暗黒
時代、密告社会が再び台湾に訪れることのないよう願いたいものです。
■ 古い記憶のメロディ
http://www.geocities.jp/abm168/index.html
■ 古い記憶のメロディ「ペタコ」
http://www.geocities.jp/abm168/index.html
ペタコ
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平
1
ペタコ おっかさんに 白い ぼうし もろた
ペタコ 白いぼうし かぶってる
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
2
ペタコ なくときに 白い ぼうし ふった
ペタコ 白いぼうしふってないた
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
3
ペタコ あそぶにも 白い ぼうし かぶる
ペタコ 白いぼうしであそんでる
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
「ペタコ」は台湾、琉球南部にしか棲息していない雀より稍(やや)大きい小鳥です。
「ペタコ」と言う鳥名は台湾語から来たもので(ペタコ=白い頭)、学名は「シロガシラ」
と呼ぶ。
童謡「ペタコ」を作成した経緯については「周明徳」さんの記述に拠ると昭和2年(19
27)4月4日、野口雨情は中山晋平、佐藤千枝子(歌手)らと童謡の演奏普及旅行で台湾に
来た。
野口雨情伝(金の星社発行)の記述によれば、彼は台中神社境内の森でペタコが囀(さ
えず)る音を聞いてこの童謡が出来たと言う。雨情はこの小鳥につき「頭に白い毛がある、
雀のように人家近くへ来て啼く」と説明していた。
台中神社は台中に在り、日本領台当初人口は1500人弱だったが、明治36年(1903)には
台中公園、諸官衙、学校、銀行、会社が相次いで設立され人口は10倍程に増加し、街区は
整然とした新興都市で「小京都」の雅名があった。
台中公園は台湾の由緒ある公園で明治41年(1908)縦貫鉄道(基隆─高雄間)全通式は
閑院宮殿下を迎えてここで挙行された。台中神社はこの公園の中にあり、大正元年(19
12)に竣工、翌年県社に列せられ、参道の大鳥居は高さ16m強のコンクリート銅版巻きで
熱帯樹の森に囲まれた幽静な環境であった。
この時、南国の春の情緒を味わいつつ境内をそぞろに歩いていた彼は綺麗な音で囀(さ
えず)る日本では見かけない奇妙な格好をした小鳥の群れを目撃した。白色ベビー帽を被
ったようなペタコの群であった。可愛らしい小鳥の群れよ! 忽然と霊感が湧いた次第で