錦糸町から消える「台湾鉄道弁当」 河崎 真澄(産経新聞論説委員・特別記者)

錦糸町から消える「台湾鉄道弁当」 河崎 真澄(産経新聞論説委員・特別記者)

【産経新聞「TOKYOまち・ひと物語」:2022年1月18日】https://www.sankei.com/article/20220117-O3KBSVHXXNI7PIODYOYWYSLEHM/?368685

 日本に暮らす台湾人や台湾好きの日本人らに、20年近くも愛されてきたJR錦糸町駅南口(墨田区)の台湾料理店「劉(りゅう)の店」が1月末、静かに店を閉じる。旅情をそそった「台湾鉄道弁当」が一番人気だった。店主兼料理人の劉俊茂(しゅんも)さん(73)が、「来日して今年で50年になる。引退してゆっくり過ごしたい」と閉店を決めた。最終日の31日、店内の食器類や調理器具などをチャリティー販売し、心臓病の子供を救う「明美ちゃん基金」(産経新聞厚生文化事業団運営)に全額を寄託することにしている。(河崎真澄)

 台湾南部の嘉義(かぎ)県で生まれた劉さん。料理人として働いていたとき、台湾を訪れた日本人経営者に腕前を見込まれ、長野県の温泉ホテルに誘われたという。

 昭和47(1972)年のこと。田中角栄政権の日本が、中国と国交正常化して台湾とは断交した年だ。劉さんも政治に振り回された一人だが、台湾と行き来しながら腕を磨いてきた。

 劉さんは「子供のころから日本映画が好き。ずっと日本に行きたかった」と話す。「当時は1日3カ所で仕事を掛け持ちし、必死に働いても収入は月に10万円足らず。だが、節約に節約を重ね、10年ほどしてようやく、西武池袋線東長崎駅近くに自分の店をもった」という。

 その店は「何度も倒産の危機に瀕(ひん)したが、自分の料理方法とメニューにこだわった結果、お客さんが次第についてきてくれた」と懐かしそうに振り返った。

◆排骨の味を伝え

 昭和20年の終戦まで、50年にわたって日本の統治下にあった台湾では、日本風の「駅弁文化」が根付いている。とりわけ骨付き豚肉を揚げ焼きした排骨(パイコー)と、温野菜をご飯に乗せた伝統の味付けの「台湾鉄道弁当」が定番だ。

 試行錯誤を続けた劉さんは、素揚げの手法で作った排骨の味に自信をもって看板メニューにした。平成15年にJR錦糸町駅南口近くで「劉の店」を開き、さらに人気が人気を呼んだ。

 新型コロナウイルス禍が広がっておよそ2年。海外旅行もままならなくなり、?台湾ロス?を募らせた日本人らが逆に本場の味を求めて「劉の店」に行列を作ることも少なくなかった。

 ただ劉さんは、「50年前に縁あって日本に来て、ずっと働きづめ。半世紀を機に、家族や趣味の写真撮影のために店をたたみ、残る人生を日本や台湾で過ごしたい」と考えたという。

◆チャリティーも

 劉さんが編み出した排骨調理法は、ある映画監督の紹介で知り合った名古屋の台湾料理「驛(えき)の屋」を切り盛りする台湾出身女性、正田千媛(ちえ)さんにすでに伝授済みだ。劉さんは「千媛さんがこの台湾排骨の味を、日本各地に広めてくれるでしょう」と期待している。

 同時に、「この50年間お世話になった日本と日本人に、少しでも恩返しできないか」との願いがある。

 料理が食べられる最後の営業日は30日。31日は午前9時から、店でチャリティー販売を予定している。

 金属製の弁当箱や大小の皿など食器類、中華鍋など調理器具で計数十点を店頭に並べる。また、個展も開いたことのある劉さんが撮影した日本や台湾の風景写真数十枚も、チャリティー価格で販売する予定だ。

 売り上げの全額を寄託する「明美ちゃん基金」は産経新聞の報道をきっかけに誕生し、過去55年以上、200人を超える幼い命を救った実績がある。この基金を選んだことについて、劉さんは「助けが必要な子供たちに少しでも貢献できるよう、信頼できる新聞社がしっかり管理する基金にお願いしたい」と話した。

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「劉の店」(03・5600・2118)はJR錦糸町駅南口から徒歩1分。墨田区江東橋3の12の5。

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