産経新聞「歴史に消えた唱歌」(3)─台湾編:「親」と慕われた日本人教師

産経新聞「歴史に消えた唱歌」(3)─台湾編:「親」と慕われた日本人教師
日本人教育者や現場の教師の熱意によって生まれ育まれていく「台湾独自の唱歌」

 産経新聞が4月3日からオピニオン面で「歴史に消えた唱歌」を連載しはじめた。執筆は
文化部編集委員の喜多由浩(きた・よしひろ)記者。

 日本統治時代の台湾や朝鮮では独自の唱歌が多数作られ、当地の子供たちに愛され歌わ
れていたが、戦後はそれらの唱歌が忘れ去られていった。そこで、喜田記者は「かつて日
本が統治した地域で子供たちに愛唱された唱歌。戦争をはさんで忘れ去られていった『幻
の唱歌』を追う」として、連載が開始された。

 この「歴史に消えた唱歌」は、日本統治下の台湾や朝鮮を舞台にしていることから、そ
の統治の実態にも触れざるを得ない。歴史教科書やNHK「JAPANデビュー」問題を
持ち出すまでもなく、日本は台湾や朝鮮を「侵略」して住民を「弾圧」したとするような
歪んだ歴史観が未だにくすぶっている現在、この記事はバランスのとれた公平な史観で書
かれていると思う。何より、現地の教師たちがいかに熱心に教育に取り組んでいたかを明
らかにしている。

 下記に、昨日の第3回分を紹介したい。今回も「台湾」である。本誌でも紹介した王育
徳著『「昭和」を生きた台湾』が取り上げられ、3月27日に本会が開いた「被災地応援チャ
リティコンサート」にも駆けつけていただいた阮美[女朱](げん・みす)さんも登場する。

■ 台湾、朝鮮にもあった「幻の唱歌」(産経新聞:2011年4月3日)
  http://sankei.jp.msn.com/life/news/110403/art11040307280001-n1.htm

■「唱歌の父」が台湾で描いた夢(産経新聞:2011年4月10日)
  http://sankei.jp.msn.com/life/news/110410/art11041007380001-n1.htm


歴史に消えた唱歌(3)「親」と慕われた日本人教師
文化部編集委員 喜多 由浩
【産経新聞:2011年4月17日】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110417/art11041707580004-n1.htm

 今月刊行された、台湾独立運動の父、王育徳(1924〜85年)の回想録『「昭和」を生き
た台湾青年』は日本時代の台湾社会を描いた貴重な記録である。とりわけ、著者の公学校
(小学校に相当)や中学時代のエピソードが興味深い。当時の台湾人の青少年たちと、日
本人教師との絆の強さや信頼関係がしのばれるからだ。

 そこに、こんな記述がある。終戦後、台湾の支配者が日本人から中国人(国民党)に代
わったときの話だ。

 「たいていの台湾人は日本人に同情的であった。すでに五十年間の日本時代のあいだに、
本島人(台湾人)と内地人(日本人)のあいだには強い絆が生まれていたのだ。(略)日
本人は厳しかったが、真面目で裏表がなかった。(略)とくに一から教えてくれた教師や
技師は、台湾人にとって恩人でもあり、親のような存在でもあった」

 同書には一方で、中学時代の著者が日本人生徒に「民族的ないじめ」を受けたエピソー
ドもちゃんと出て来るから、公平で、ありのままの感想とみていいだろう。

■日本人、台湾人の別なく

 1895(明治28)年、台湾の領有権を得た日本は台湾に近代教育を導入すべく、各種の学
校を創設する。台湾人の児童が通う公学校、主に日本人子弟が通う小学校…。台湾人でも
日本語能力が高い児童は小学校に行くことができたが、多くは裕福な良家の子女で、その
数も、全体の1割程度に制限されていた。公学校と小学校は使う教材が違い、設備面でも
「格差」があったというから「対等だった」などというつもりはない。

 だが、少なくとも児童と向きあう日本人教師の熱意に「格差」はなかった。

 再び『「昭和」を生きた台湾青年』に戻ろう。良家の出身であった王育徳少年も学齢期
になると、兄たちが通った小学校を受験するが、不合格。3年次の編入試験にも落ちてし
まう。泣く泣く通った公学校で、王少年は、厳しくも温かい情熱で接してくれた日本人教
師と出会うのである。

 「なあ、育徳、末廣(公学校)だっていい学校だぞ」「あいつら(小学校)に負けるも
のか、負けやしないさ」

 日本人教師は、劣等感に苛(さいな)まれた王少年を励まし、自宅にまで呼んで補習を
行い、王少年を名門中学に合格させる。もちろん謝礼など一切取らない。

 王以外にも、こうした日本人教師との思い出を持っている台湾人は少なくない。『台湾
二二八の真実−消えた父を探して』の著書で知られる阮美[女朱](82)は、台湾人ながら
小学校に通った組だ。「台北の小学校でしたが、台湾人はクラスに5人だけ。でも、先生
は差別するどころか、むしろ私たち台湾人児童をかわいがってくれましたよ」と振り返っ
ている。

 もちろん当時は、台湾、朝鮮などの外地に赴任する者には、多額の手当がついたという
から、「好待遇」にひかれてやってきた教師もいたに違いない。だが、台湾総督府の初代
学務部長に就いた伊沢修二(1851〜1917年)がそうであったように、ほとんどの日本人教
師は新天地に教育の理想を描き、高い志と情熱を持って、海を渡ったのではなかったか。

 彼らは、子供たちに近代教育を授け、厳しく鍛え上げた。もちろん、台湾人、日本人の別なく、である。
 
 やがて誕生する「台湾独自の唱歌」は、こうした日本人教育者や現場の教師の熱意によ
って生まれ、育まれていく。

■「独自の唱歌」が必要だ

 最初に伊沢が台湾に導入した唱歌教育は儀式や生活指導、さらには日本語教育のツール
(道具)として行われた。初期のころに使われたのは内地(日本)と同じ唱歌である。

 ところがそのうちに、現場の教師たちからクレームが寄せられるようになった。内地の
唱歌ばかりではなく、「台湾の自然や風俗に則した独自の唱歌がほしい」というのである。
なぜならば、内地の唱歌に歌われている内容が台湾の事情とかけ離れているために、子供
たちが楽しく歌うことができないからだ。

 劉麟玉著『植民地下の台湾における学校唱歌教育の成立と展開』には、当時の教育雑誌
などに掲載された、日本人教育者や現場の教師による侃々諤々(かんかんがくがく)の意
見が紹介されている。そのいくつかを見てみよう。

 《日本の歌で描写される風景や事物が台湾にふさわしくないから、本島(台湾)の唱歌
をつくるべきである。野辺に咲くスミレやたんぽぽを摘む乙女の代わりに、(台湾では)
無骨(ぶこつ)な水牛が草を食っている。元寇や豊島の軍歌も適当ではない》

 《「雁(かり)」や「カラス」は台湾において普通見られず、「お正月に羽子板やまり
をついて」という情景も、台湾人の子供には想像しにくい。「広瀬中佐」「勇敢なる水兵」
などの歌を教えても理解はできない》

 中には日本語能力がまだ十分ではない台湾人児童のために、「台湾語の唱歌を作るべき
だ」という意見まであった。

 相模女子大准教授の岡部芳広(47)=音楽教育=はこう言う。「日本人の教育者には、
熱心な人が多かった。もちろん(同化を前提とした)『植民地教育』という大枠の中でだ
が、『いかに子供たちによい教育を与えられるか』ということを真剣に考えていたのです。
だから、唱歌においても、台湾の子供たちの生活に即した教材を求めたのでしょう」

 ただし、当時の台湾の唱歌教育はまだ“行きつ戻りつ”の状況であった。1896(明治29)
年、内地に先駆けて、唱歌は必須科目となったが、1904年には「随意科目」に“格下げ”
されてしまう。父母らの反対があったためだ。伝統を重んじる良家では、「唱歌などは低
俗なもので、特に男子がやるべきものではない」という意識が強い。日本時代の朝鮮でも
同様の反対があったという。

 唱歌教育を行う人材や教材も不足していた。伊沢が台湾総督府学務部長在任時や、台湾
を離れた(1897年)後も、ゆかりの人材を次々と台湾に送り込んだことは、すでに触れたが、
音楽の専門家となると、人材は限られてくる。

 こうした中で、高橋二三四(ふみよ)は台湾総督府傘下学校の「初めて」の、そしてあ
る時期まで「唯一」の音楽(唱歌)教師であった。

 1896年9月、東京音楽学校(現・東京芸大)を卒業したばかりの高橋は、伊沢の誘いに
応じ、台湾へ渡る。台湾総督府の国語学校(後の師範学校)の教員となり、1906年、病気
のためにいったん帰国するが、再び台湾に戻り、11年まで国語学校で教鞭(きょうべん)
をとった。

 高橋はまた『弔殉難六氏の歌』(1900年)『煙鬼』(01年)『台湾周遊唱歌』(10年)
など台湾で初めて独自の唱歌を作った作曲者である。

 『弔殉難六氏の歌』は1896年、土匪(どひ)に襲われて亡くなった6人の日本人学務部
員を題材にしたもので、前回触れた『六士(氏)先生』のもと歌になったとみられる。

 『煙鬼』とはアヘンを吸う人のことで、その害毒を子供に教える内容だ。『台湾周遊唱
歌』は日本の「鉄道唱歌」をもじり、台湾の名勝を巡ってゆく。ユニークなのは、当時の
台湾では鉄道が全島に開通しておらず、船で行く区間があることだ。

 高橋が作った唱歌は、残念ながら現在、そのほとんどが人々の記憶に残ってはいない。
ただし、「独自の唱歌」の機運は後進に引き継がれた。

 そして、1915(大正4)年、多くの独自の唱歌が収録された初めての「公学校唱歌」集
が発行されるのである。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)

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