李登輝にとって憧れの存在だった「兄」との絆  早川 友久(李登輝元総統秘書)

【WEDGE infinity「日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔」:2019年7月30日】

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16897写真:李登輝さんご一家(後列右:李登輝元総統、後列左:兄・李登欽さん、前列右から、父・李   金龍さん、祖父・李財生さん、母・江錦さん、兄嫁・奈津恵さんとその子供達(写真:筆者   提供)

 前々回、李登輝の子供たちのことについて書いた(参照:李登輝はなぜ、娘たちに日本語を学ばせなかったのか)。今回もその続きとして、李登輝の家族をテーマに書いてみたい。

 李登輝が子供たちに「何を勉強しなさい、どこの学校に行きなさい」といった強制をしたことは一度もなかった、ことはすでに述べた。では、こうした価値観、あるいは教育の方針がどのように形成されたかというと、李登輝自身がそのように育てられたからだという。

◆子供たちの自主性を尊重した李登輝の父

 父の李金龍さんは、日本統治時代は警察勤務であり、当時の本島人(台湾人)のなかでは「エリート層」に属するといえた。また、実家も裕福であったために、いわば地元の名士として、戦後は農協の理事長や、県議なども歴任するなど名の知られた人物であった。

 李登輝や、兄の李登欽(日本名は岩里武則)に対して愛情をそそぐ一方で、教育そのものについては何ら強制をすることはなかったという。兄の登欽は父親の跡を継いで警察官となった。弟の李登輝は台北高校在学中には「世界史の教師に」と夢を抱くが、当時の日本統治下では本島人が高等教育機関で教職につくことは不可能という現実があり、方向転換を余儀なくされた。

 そうしたなか、満洲鉄道で勤務していた先輩から仕事の面白さを聞いたことや、新渡戸稲造の著書に出会ったこと、幼い頃から農民の苦しい生活ぶりを目の当たりにしていたことから農業経済学を志すようになった。結果、かつて新渡戸が教鞭をとった京都帝大を第一志望として内地留学を果たすのである。

 こうした兄弟の進路決定に、父は何ら反対することも強制することもなかったという。自分自身がそのように育てられたからこそ、李登輝も子供たちの自主性を尊重し、自由に進路を選ばせたのだろう。

◆李登輝とは似ても似つかない「小柄な父」

 父の李金龍さんは、李登輝が総統在任中の1995年に98歳で亡くなっているが、その4年前の91年に日本を旅行したときの写真を見たことがある。2007年6月に李登輝が念願の「おくのほそ道」散策の一環で、栃木県の日光を訪れたときのことだ。歓迎会場となったレストランに「李金龍先生 日光訪問」と題されたパネルに写真が飾られていたのだ。

 このときの李登輝の挨拶を印象深く覚えている。父親を引き合いに出し、「日光に寄らずして帰ることは、私の心が許さない。親父が日光を訪れた時は90歳を過ぎていた。私はまだ90歳になっておりませんよ。まだまだ歩けます!また来ます!」などと力強く語り、万雷の拍手を浴びたのだ。

 写真を見ても分かるように、李登輝の父はずいぶんと小柄な人だった。そのため「山から伐りだしたばかりの大木に粗っぽく目鼻を彫ったよう」と『台湾紀行』で司馬遼太郎に形容された180センチを超える李登輝とは似ても似つかない。そのため、反李登輝派からは「李登輝の本当の父親は日本人である。だから日本びいきなのだ」などとしょっちゅうデマを飛ばされている。ただ、李登輝自身は「父は確かに小さかったが、母親は背が高かった。私は母親に似たんだ」と言う。戦後まもなく病死した母親だったが、確かに当時としては、かなり背の高い女性だったようだ。

◆李登輝にとって憧れの存在だった「兄」

 この両親のもとに生まれ、慈しまれて育った二人の息子たちだったが、李登輝の見方は少し客観的だ。「親父は兄貴のことを殊の外、買っていたと思う」と。小さい頃から、近所のガキ大将的な存在だった兄は、弟がいじめられているとすぐさま駆けつけて助けてくれた。

 水泳にしても野球や剣道にしても、何をやらせても得意だった兄は、弟である李登輝からみても憧れの存在だった。何をするにも兄を手本として付いていくようなところがあったという。だから「親父は兄のほうに期待をかけていた」というようなことを李登輝が言っても、そこには嫉妬めいたものは感じられない。むしろ、言葉の端々に「尊敬する、大好きだった兄貴」というような兄弟愛を感じるのだ。

 その兄は1943年(昭和18年)から台湾で始まった海軍志願制度に応募して合格する。当時は警察官として勤務し、すでに妻と幼い子供が二人いる身の上だった。台湾日日新報に掲載された李登欽のインタビューには「出来ることなら第一線でお國のために華華しく活躍したいと思つてをりましたがそれが本當になりました(中略)これからは立派な帝國海兵としてお役に立つ日の一日も早く來ることを願ふばかりです」と語っている(昭和18年9月22日付)。

◆「哲学」の重要性を説いた若き日の李登輝

 実はその3ヶ月ほど前の台湾日日新報には、李登輝自身がインタビューに答えた記事が掲載されている。「私も志願する 信念を語る岩里君」と題され、李登輝は「軍隊の制度は吾々が自己の人間を造る所であり、色々と苦しみを忍んで自己を練磨し明鏡止水の境地に至るに是非必要な所だと信じてゐる」などと自分自身の考えを述べている。

 同時に「近く内地に行くこととなってゐるが内地に行つたら日本文化と結びつきの深い禪の研究をしたいと思ふ」や「現在の哲學が軍人に讀まれていぬといふ所に現代の學問の危機があるのではないだらうか」などと語っている。

 もちろん当時は戦時体制であり、かつ台湾は総督府の管理化にあった。当時台湾における最大の新聞であった台湾日日新報でさえ、総督府の意に染まない記事は載せられない状況だったことは想像に難くない。そのため、李登輝の発言も、日本統治下における教育制度を評価するなど、当局の顔色を伺いながらの部分がありつつも、禅を学びたいとか哲学を学ぶことの重要性などに言及しているところは、往年の李登輝の哲学観がこの青年期からすでに形成されていたことの証左といえるだろう。

 ただ、李登輝が「結局教育と徴兵制が本島人が日本人として生まれ變つて行く大きな要件ではないかと思ふ」と発言しているように、志願兵制度に応募しなければ「日本人」として見なしてもらえなかった当時の台湾社会のあり方も垣間見える。

◆あんたならどう思うか。その気持ちを記事に書けばいい

 日本の統治下にあり、戦争という庶民には抗えない時流の中で、愛息子二人ともが「志願する」と発言し、両親はどう捉えただろうか。

 海軍志願兵となった兄の李登欽は、訓練のために高雄で招集された。ある夏の暑い日、その兄と李登輝は高雄の街で会っている。「どうでもいいようなことを何時間も話した」と李登輝は言い、写真館で二人の写真を撮ってもらったという。これが兄と弟の今生の別れであった。結局、海軍上等機関兵として出征した兄は昭和20年2月15日、フィリピンのマニラで戦死している。

「私は兄が大好きだった。だから今でもベッドのなかで時折り思い出すことがある。そうなるとどうしても泣けてしまうんだ」と、李登輝は兄のことになるとまるで80年以上昔に戻ったかのようだ。

 兄の李登欽は散華した英霊として靖国神社に祀られているが、李登輝は2007年6月に念願の参拝を果たした。夫人や孫娘を伴っての昇殿参拝だった。訪日そのものがなかなか叶わず、総統を退任してから7年後のことだった。「なぜ今まで、総統になる前に参拝しなかったのか」と言う人もいる。確かに、副総統だった時代、李登輝は何度かトランジットで東京を訪れているから、参拝することは可能だったはずだが、「いや、その頃は兄が靖国神社に祀られているなんてことは知らなかった」というのだ。

 ついに、靖国神社に来られたときのことを李登輝は今でもこう話す。

「父は兄が戦死したと聞いても決して信じなかった。だから家には祭壇もなければお墓もない。兄の霊を慰めるものがなにもない。そんな我が家に代わって靖国神社はずっと兄の霊を慰めてくれた。だから私は兄に会いに来ると同時に、靖国神社にどうしても感謝を伝えたかったんだ」

 このときの訪日では、李登輝が靖国神社を参拝するかどうかが、日台メディアの大きな注目を集めた。日本到着後も、ことあるごとに尋ねられたが、李登輝は毎回こう答えていた。

「60年以上会っていない兄貴が靖国神社にいる。弟の私が東京まで来ている。あんたならどう思うか。その気持ちを記事に書けばいい」と。

◆血まみれだろうが幽霊だろうが、もう一度会いたい

 李登輝と兄の絆を示すエピソードがもうひとつある。

 戦争が終わり、李登輝も京都帝大での学業を途中で切り上げざるを得ず、内地から台湾へと戻ってきた。祖父が「早く帰ってこい」と熱心に呼び戻したという。そこで不思議な話を聞いた。

 当時李家にいた若いお手伝いさんが真夜中、兄が自分の子供たちを蚊帳の外から見つめているのを何度も目撃したという。その兄は血まみれだったそうだ。お手伝いさんはすっかり怖がってしまい、暇をもらって家に帰ってしまったという。

 その話を聞いた李登輝は、兄貴が子供たちに会いに来た、と直感した。それならば、血まみれだろうが幽霊だろうが、大好きだった兄貴だからもう一度会いたい、と寝ずの番を始めた。一ヶ月近く、真夜中じゅう起きて兄が現れるのを待っていたが、ついに出て来てはくれなかったという。

 「おかげで体重が10キロ近く減ってしまった」と今でも思い出したように李登輝は言うが、それほどまでに慕った兄との絆が偲ばれるエピソードである。

 李登輝と兄が最後に撮った写真は、現在も靖国神社の遊就館に飾られている。

             ◇     ◇     ◇

早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業後、金美齢事務所の秘書として活動。2008年に台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。

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