台湾で消えていく「日本」 源 一秀(読売新聞台北支局長)

台湾で消えていく「日本」 源 一秀(読売新聞台北支局長)
【読売新聞:2012年3月12日】
http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnworld/20120309-OYT8T00528.htm?from=navlc

 台湾は陳水扁・民進党政権が発足した2000年ごろから、厳しい対日本認識を見せてきた
「国民党史観」から距離を置き、日本統治時代を冷静に評価する社会的風潮が出始めた。

 これを受け、各地で廃虚と化していた旧日本官庁の瓦屋根の木造宿舎などを復元して宿
泊施設やレストラン、カフェとして再利用する動きが広まった。身近な「異国情緒」に
「昭和レトロ」が加わり、台湾の現代っ子の心をくすぐるのだ。

 築80年くらいのものが多く、日本国内であれば、取り壊しの対象となるものがほとんど
だ。オンボロの日本家屋が生まれ変わるのを見るのは、日本人としてはうれしい。

 日本統治時代の製糖工場職員宿舎群内の事務所跡。いまはレストランとして利用されて
いる。

 しかし、一つ寂しいのは、新たな価値を見出される「日本」がある一方、確実に消えて
いく「日本」があることだ。

 最近、中部・南投県霧社から近い山中に住む少数民族であるセデック族のバカン・ノミ
ンさん(89)に出会った際、この思いを強くした。

 日本統治時代、地元のセデック族子弟ばかり約40人が通う小学校で、4年生まで日本人の
先生の教育を受けた。日本名は「ハシモト・サダコ」。かつて日本語を話した近所の同級
生たちはすでになく、日本語を日常で使う機会はない。

 それでも、日本語で話し始めたバカン・ノミンさんはすっかり「ハシモトさん」になっ
てしまった。何しろ「私は『蕃語(ばんご)』(少数民族語)と日本語しか話せない」。
ふと、「小学校で習った日本語の歌が歌えます」と披露してくれることになった。学校で
習う日本語を平素から使おう、と子どもたちに呼びかける歌だ。

 「今日の仕事も済みました 急いで(通学の)用意をいたしましょう」「覚えた国語、
帰ったら 親兄弟にも教えましょう」「皆さん国語を習いましょう」。

 ハシモトさんはこれを畑仕事の手伝いの時や学校に友達と通う時に歌ったという。年齢
から考えて、少なくとも80年の歴史はある。曲名は分からず、誰の作詞、作曲かも分から
ない。ただ、子どもが仕事を終えて学校に行くという歌い出しから想像するに、貧しい農
家が多かったハシモトさんの地域限定のもののはずだ。

 「立派な国に生まれたね 国の言葉を知らぬのは この上もない恥だから 一生懸命習
いましょう」。こんな歌詞も入る。台湾を植民統治した日本の押しつけがましさを感じる
一方、貴重な歴史の資料でもあるのは確かだ。

 続いて、霧社周辺の村落の名を日本の鉄道唱歌のメロディーで歌う替え歌も披露してく
れた。これも今となっては、おそらく知る人はいないものだ。

 しきりに感心していると、珍しい歌をもっと歌えるという。「頭のなかにいっぱいある
から」。学校で習った歌を毎日歌い続けてきたという。今となっては聞かせる人も一緒に
歌う人もおらず、自分の楽しみのために歌う。

 別の取材があり、立ち去らざるを得ず、聞けずじまいとなってしまったが、80年もの
間、日本人がいなくなった田舎で、ずっと「日本」を大切にしてくれていたなんて感激だ
った。

 「また来ますから、ぜひ、いっぱい聞かせてください」とお願いすると、ハシモトさん
は笑顔で承諾してくれた。今度は思う存分、いろんな歌を録音させてもらうつもりだ。

 そして、日本家屋を修復してできたカフェに持ち込んで、それを聞きハシモトさんの心
の中で温められてきた「日本」を独り占めさせてもらおうかと考えている。

*写真:台北市内で美術品展示や喫茶スペースとして再活用されている日本統治時代の公
    務員宿舎
*写真:日本統治時代の製糖工場職員宿舎群内の事務所跡。いまはレストランとして利用
    されている
*写真:バカン・ノミンさん

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