――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習97)
ヴェトナム訪問団の半年ほど前に訪中したニコラエ・チャウシェスク書記長夫妻を筆頭とするルーマニアの共産党・政府代表団の記録である『中羅両国人民的戦闘友誼万歳』と『中越両国人民牢不破的戦闘団結』を読み比べてみると、またまた外交文書のカラクリだ。各頁に記された「羅」の文字を「越」に換えれば、内容がほぼ一致してしまうのである。
だが両書の間で一か所だけ明確に違っている部分がある。『中羅両国人民的戦闘友誼万歳』に記されている「親密なる戦友の林彪副主席」への言及が、『中越両国人民牢不破的戦闘団結』には一切見当たらない。まるで林彪という人物が中国共産党内には存在してはいなかったかのように。
そこに確実にいたはずの「親密なる戦友の林彪副主席」が、半年後には存在したことすら公式に完全に否定されている。中国の権力闘争における敗者の悲哀と形容するには、余りにもミジメだ。このように負ければ賊軍以下だから、断固として負けられない。だから闘争は陰謀渦巻き、自ずと陰湿な形を取る仕組みになっている。
振り返って見れば劉少奇以来、林彪、四人組、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽と権力闘争の敗者を並べてみると、敗北後の扱いはほぼ同じ。四人組以降の敗者は“生きた死体”とでも形容できそうな状況に置かれたまま。名誉も矜持も剥ぎ取られながらも、それでも生き続ける。それもまた、強靱な意志に支えられた厳しくも凄まじい余生と考えるべきだろう。
以前、湖南省の片田舎の山中の旧い寺を訪れた際、「ここが西安事件を引き起こした後に蔣介石に逮捕された張学良が1年間幽閉されていた場所」と教えられた。本堂裏手の窓が小さく、薄暗く、湿気を含んだネットリとした空気の淀む小さな建物だった。こんな劣悪な環境で、明日の命も判らないままに、なにを支えに敗残の身を生きながらえたのか。
その時、権力闘争における敗者の執念のようなものに加え、一気に処罰するわけでもなく、ひたすら敗者をネチネチと苛め抜く勝者の強靱で執念深い精神が、その小さな建物に渦巻いていたように痛感し、慄然たる思いに駆られたものだ。
閑話休題。
ここからは児童少年向けの書籍に移り、先ず『在毛沢東思想哺育下成長』(人民出版社)を取り上げたい。
劉少奇抹殺を文革の第1段階とするなら、『在毛沢東思想哺育下成長』が出版された当時は第2段階だったといえるだろう。つまり毛沢東は劉少奇殲滅の先兵として用済みとなった紅衛兵をお払い箱にして都市から追放し、返す刀で林彪を葬り去ってしまった。次は人民解放軍内の林彪系を排除し、その影響力を極力殺ぐ段階に突き進んだのではなかったか。
その一方で、毛沢東は紅衛兵に代わる新しい支持勢力を育てることに腐心する。そこで登場するのが、年端も行かない子どもを煽てあげて作り出された紅小兵である。なんせ彼らは、紅衛兵たちのように理屈を弄ばないし反抗もしない。素直そのもの。右向けといえば右を向き、アイツが敵だと指差せば遮二無二突撃する。毛沢東思想で純粋培養された、無邪気であるがゆえに残酷で凶暴さを備えた“最新・最強兵器”であった。
表紙を開くと、毛沢東の筆跡で「好好学習、天天向上(よく学び、日々向上)」のアリガタ~い8文字が。頁を繰って目次に目をやると、「毛主席は私に力を与えてくださった」「集団の財産はこれっぽっちも失ってはならない」「石のように硬い心は、さらに紅く」「お父さんのように、革命の車を一生懸命引っ張るぞ」「小学生から思想教育を」「革命のために学習だ」「毛主席の教えに従って事を為せ」「敢えて“私”と戦うぞ」「解放軍のおじさんの教え」「貧農・下層中農に学ぶ」「革命の後継者となることを誓う」――各章の表題から毛沢東の教えに忠実たらんと努める紅小兵の激情が迸るが、痛々しくも虚しいばかり。《QED》