――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習70)
表紙を開くと「雷鋒同志に学ぼう」(毛沢東)、「全軍の同志は雷鋒同志を手本として学び、毛主席の立派な戦士になるべきだ」(林彪)、「雷鋒同志から、明確なる階級の立場、言行一致の革命精神、滅私奉公の共産主義の風格、自らを顧みないプロレタリア階級の闘志を学ぼう」(周恩来)――60年代末の北京の最高首脳陣が寄せた讃辞の後に、トラック整備中の雷鋒の“英姿”を捉えた写真が配されている。
彼が毎日きちっと記していたかは不明だが、「一九五八年×月×日」から亡くなる直前の「一九六二年八月十日」までの日記が収められている。最も多く収録されているのが61年、62年の分で、他の年は抄録といったところ。なにはともあれ、興味深い記述を拾うと、
■58年×月×日=「河の流れは滔々と海に注ぎ、海上に真っ赤な太陽が昇る。六億人民が頭を上げて望めば、毛沢東の光が四方を照らす。どんなに暗い隅っこでも、暖かい太陽に再会する。嗚呼、偉大なる領袖・毛沢東。宇宙の万物をしてすくすくと成長させる。偉大なる領袖・毛沢東は、我らを勝利と解放に導いた。我らを生産建設に教え導き、困難と貧困とを葬り去った。我らを教え導き敵に勝利し、祖国を繁栄と富強に変え給うた」
■59年×月×日=「毛主席よ、父のようだ。毛沢東思想は、まるで太陽だ。父は常に私を心に抱き寄せ、太陽は私を成長させてくれる」
■60年1月8日=「今日は一生忘れることができず、我が生涯最大の幸福と光栄の日だ。新しい戦の持ち場に着任し、黄色の軍服を身に着け、光栄にも人民解放軍に入隊した。今日、数年来の願いが実現したのである。形容しようのない心の高鳴りと万感の喜びを痛感する。我が生涯最高の幸福だ。〔中略〕この革命の大家庭において首長(=毛沢東)は両親に勝り、戦友は兄弟より親しい。党が導く人民の軍隊であればこそ、である」
■60年11月8日=「我が人生で永遠に忘れられない一日だ。今日、光栄にも偉大なる共産党に入党し、自分にとって限りなく崇高な理想を実現したのである。〔中略〕全人類の自由、解放、幸福を実現するため、どんなに高い山岳でも、大海でも、大きな河川をも恐れず、党と人民の事業のため、たとえ火の海であれ刀の山であれ、敢えて立ち向かおう。頭は断たれ骨は砕けようが、紅い体と赤い心は永遠に変わらない」
――完璧な洗脳から造り出されるのは“毛沢東教の殉教徒”であり、毛沢東思想でプログラミングされた人間サイボーグだ。3期目突入を目前にした習近平政権の国民に対する姿勢から判断して、どうやら習近平は雷鋒的人間像の拡大再生産を望んでいるような。
中国で出版されたわけではないが、ここで『中国政策』(エレン・H・バーネル編 サイマル書房)を紹介しておくのも一興だろう。それというのも、民主世界の中国に対する“ユルい見方”が往々にして、いや確実に後世に、それも“超弩級”の禍根を残すからである。
中国全土を疾風怒濤の渦に巻き込んで激しく展開されていた文革の帰趨が毛沢東派の勝利で定まった頃の1969年1月末、日米政界の要人らはロスアンゼルスに近いサンタ・バーバラで豪雨と嵐の2日間を過ごしながら、「ASIAN DILENMA」について熱く語り合った。
『中国政策』(英語原題は『ASIAN DILENMA』)は、「サンタ・バーバラ会議」の内容を「1970年の課題・中国問題の歴史的総括と問題提起」との副題を付して公表したものだ。
同書は、�中国封じ込め策は冷戦時代の悪しき産物。�北京政府を国連から締め出す方針は時代錯誤――と強く批判し、日米両政府に両政策の放棄を強い調子で提言している。
日本側の参加者は藤山愛一郎を団長に、赤城宗徳、宇都宮徳馬、江崎真澄、黒金泰美ら当時の佐藤政権下で反主流派を形成していた自民党AA研究会の中核メンバー。対するアメリカ側はウィリアム民主制度研究センター理事長を団長にフルブライト上院外交委員長、エドワード・ケネディ上院議員など民主党リベラル派の重鎮たちである。《QED》