――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習30)

【知道中国 2364回】                       二二・五・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習30)

『民間少年游戯』は「前言」で、「これらの遊びが文字で伝えられることは稀で、大部分が祖父から父へ、父から子へと伝えられ残されてきたものであり、庶民の生活感に溢れている。それらは我が国労働人民の智慧、勇気、朴実な姿を明示し、我が国労働人民の積極、楽観、勤勉、それに労働をこよなく愛する思想感情を表現している」と記す。この書きぶりから判断するなら、中華人民共和国が労働者の国家であるというタテマエを忘れているわけではなさそうだ。それにしても、なんとも大仰な表現であることか。

 ここで集録されている60種の遊びの中には、「摸盲盲(おにごっこ)」「抜河(つなひき)」「打陀螺(ベーごま)」「造房子(いしけり)」「拍球(まりつき)」「跳橡皮筋(ごむとび)」「抓飛子(おてだま)」など、かつて日本の子どもが遊んだものもあれば、同じようだが違うもの、また想像もできそうにない遊びもある。

たとえば「蜈蚣行走(むかできょうそう)」。沢山の鼻緒がついた板を大勢で履いて「オイチニッ、オイチニッ」と声を揃えて競争した運動会の思い出があるが、中国では全員が両手を地面につけて体を支え、前の人の腹を後頭部に載せ、両脚を背負いながらの前進。ラクチンそうな先頭を除き、残り全員はツラそうだ。先頭にならなかったら遊びたくはない。立ったまま、しかも負担が全員平等な形の日本の百足競争に較べ、理不尽で不平等な遊びだ。全員苦しいのに耐えろ。楽しむのは先頭の1人だけであることを、幼い時から体に叩き込ませようとするのか。ならば独裁政権は国民に「蜈蚣行走」を強いているわけだ。

興味深いのが、文革時代に流行った模擬手りゅう弾投げなどの戦争ゴッコのような遊びが一切紹介されていないこと。やはり、そんな物騒な遊びは子供にはさせられないとでも思っていたのであろうか。なにはともあれ、この頃はまだ子どもが子どもらしく振る舞えたのだろう。遊んでいる様を描いたイラストを見ていると、子どもたちの陽気で屈託のない歓声が聞こえてくるようにも思える。

だが、この本が出版された8年後には文革が勃発し、この本を使って無邪気に遊んだに違いない子どもたちは過激で残忍な紅衛兵に変身していったことを、やはり忘れてはならない。

閑話休題。

 1957年11月、ソ連の「10月革命40周年記念式典」に参加するためモスクワを訪問した毛沢東に対し、フルシチョフ第一書記は「ソ連は15年で米国を追い越す」と豪語した。そこで「それなら我が国は15年で超英――鉄鋼などの主要工業生産高で世界第2の英国を追い越し、勢いのままに�美――超大国の米国に追いついてやりますよ」と、毛沢東の敵愾心にスイッチが入ってしまった。毛沢東は鉄鋼生産高を経済力と思い込んでいたようだ。

毛沢東からするなら、フルシチョフはスターリンを全面批判した許し難い人物である。 「アンタに言われたくない」の類の売り言葉に買い言葉。大人気ないといえばそれまでだが、これが後の大悲劇を生んだ大躍進政策の発端であった。

 帰国後、毛沢東は「超英�美」の実現に向けて野心的で超強気な方針を打ち出す。58年8月下旬に中央政治局拡大会議(北戴河会議)を召集し、鉄鋼増産運動・人民公社建設を柱とする大躍進政策を決定する。かくて国を挙げて「ソ連、ナンボのもんじゃい」となった。

かくて直後の58年9月には、「老幹部の教育用」に「関連する歴史変動の全体構造を叙述し、各時期の歴史的条件の全面的分析と党の路線・政策の研究に重点を置」いたとの編集方針を示す『中国共産党歴史簡編』(上海人民出版社)が出版されている。

だが読み始めれば直ぐに分かることだが、“客観公正”な編集姿勢は微塵も感じられない。積極果敢・徹頭徹尾・一瀉千里・終始一貫・・・驚くばかりの毛沢東賛歌なのである。《QED》


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