――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習27)

【知道中国 2361回】                       二二・五・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習27)

たしかにおばあさんが死んでいる。だが、小さなクラウスのおばあさんだった。彼女は小さなクラウスに辛く当たっていたが、いつもそうしているようにおばあさんの遺体の隣に寝た。懇ろに葬ろうとしたわけだ。その夜、大きなクラウスが忍び込み、小さなクラウスと勘違いして手にした斧をおばあさんの頭に向けて振り下ろした。日頃から小さなクラウスに馬鹿にされていると恨みを抱き、仇討ちを狙ったというわけだ。

『小克労斯和大克労斯』でアンゼルセンは「富農の貪欲で残忍な様子」を告発しているわけでも、「貧しい人々に同情」しているわけでもなく、どうやら富農の間抜けな守銭奴振りを嘲笑い、その一方で「貧しい人々」の「機知に富んだ頭脳」の小賢しさを暴き出し告発しているように思える。やはり『小克労斯和大克労斯』は階級闘争の物語ではなかった。

だが、あの時代の“素直”な子どもたちは、『小克労斯和大克労斯』から「富農の貪欲で残忍な様子」を憤り、その「哀れな末路を痛快に思」ったことだろう。「真っ白な紙にはなんでも描くことが出来る」との毛沢東の“鉄則”は、そのまま実践されていたようだ。

共産党が『人民日報』を軸に官製メディアを大総員し、全国で反右派闘争の渦を巻き起こすことになった57年7月、『小工芸』(湖北人民出版社)、『?追我逃 ――中年級児童游戯――』(少年児童出版社)、『従石頭到紙』(少年児童出版社)が出版されている。

『小工芸』は「廃物利用の簡単な工作」によって「小さな友達の知恵を啓発し、学習と労働の良き習慣を養うこと」を目指し、廃物でおもちゃを作る工程を紹介したもの。

たとえばナスでブタを、イカの骨で小舟を、大型マッチ箱の空き箱で幻灯機を、分厚いザラ紙でジェット戦闘機を・・・さすがに政治教育の雰囲気は感じられそうにない。

『?追我逃』は跳び箱、平行棒、繩などを使い5種類の運動能力(走る、跳ねる、投げる、登る、平衡感覚)を向上させることを目指した解説書。政治教育とは無関係だ。

 次の『従石頭到紙』だが、「小さな友人諸君、キミたちは知るべきなんだよ。古代人はどのようにして字を書いたのか。どんなもので書いたのか。何処に書いたのか、を。するとキミたちは、きっとこう言うだろう。『誰にそんな知恵があったの。気が遠くなるような昔のことなど、ボクたちに伝えることができるの』って」と、『小工芸』や『?追我逃』とは違い、子どもたちに「優秀な中華民族」という意識の刷り込みを狙う。

中国人の地質学者や考古学者が歴史以前の世界を旅し、様々な地層の内部にまで出かけて行ったり、人類の祖先の住まいを訪問して彼らの当時の生活ぶりを研究した結果、遙かに遠い昔の原始人は岩山の洞窟に住んで狩猟や木の実などを採って生活していたことが判った。石を細工して道具などを作って狩猟したが、絵も描いていた――こんな説明文の後に、「そんなことがあったのか。原始人は絵を描けたの」と子ども口調で素朴な疑問を示した後で、「そうなんだよ。文字のお母さんこそが絵なんだ。最初、原始人は字を書くことを知らなかったというわけさ。その頃は、字なんてなかった。だけど絵は描けたよ」と優しく噛み砕いて答えている。

「毛筆も鉛筆も、紙もなかったんでしょう。どうしたら絵が描けたの」

「だから、磨いた石や骨が彼らにとっての筆記用具だったんだ」

「じゃあ、紙は」

「彼らが住んだ洞窟の大きな石の壁さ。それから平らな石の表面や獣の骨・・・これらのものが彼らにとっての“図画用紙”だったんだね」

かくして竹簡、木簡にはじまり、優秀な中華民族が世界で最初に紙を発明し、紙は用途を拡げたと説明し、「人々の知恵と労働が色んな種類の紙を生みだした。だからボクらは紙を無駄にせず、丁寧に扱おうね」と、「小さな友人諸君」に猫撫で声で囁いた。《QED》


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