――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習193)
『紅色道路』(寧宇 上海人民出版社)の「内容提要」には、こんな解題が記されている。
「著者は全身に漲る政治的熱情を込めて、我らの偉大な時代とその時代の主人公を高らかに讃える。工業戦線の目を見張るような躍進を描き、広大な砂漠を緑豊かな沃野に変える壮麗な事業を謳いあげる。製鉄所の労働者、造船所の工員、海辺の漁師、開墾兵士――働く者たちの溌剌とした姿を克明に記す。作品は絢爛多彩な生活を活写し、鍛え上げられた壮麗・勇壮なことばは珠玉の思いを宿し、奥の深い現実の実相を抉り出す」
つまり『紅色道路』には、労働者の雄々しく働く姿や社会の劇的な変化を讃える長短51編の詩が収められている、というワケだ。
とはいえ、以上の評は大袈裟に過ぎる。それというのも、作品の多くが生硬極まりない社会主義リアリズムの反映としかいいようはなく、いささか冷静になって読み返せば噴飯モノ。大の大人が恥ずかしげもなく、よくもヌケヌケとダボラを、と呆れ返るしかない。
なかには読者の五体を揺さぶるような感動モノ、いや涙なくしては読めない作品がないわけではない。代表作と言っておきたいのが「拾え!一寸の鉄、一寸の鋼」と題された作品である。1960年8月の上海での詩作ということだが、なにはともあれ拙訳を。
――手のひらに一筋のくすんだ光、一寸半ばかりの針金を甲板に捨てる。嗚呼、また掴んでしまう、今度は鋼板の切れ端か。ポイッと捨てる。
「拾え!」、親方の罵声に慄き、怒りの眼光に射すくめられる。厳命に似た口調、まるで十トンの鋼鉄の重りのように、わたしの心に圧しつぶさんばかりだ。
拾え! 一寸の鉄、一寸の鋼。
船台の下、高炉の前、機械の脇で・・・我らが驕り高ぶる心が気儘に捨て去り、幻としてしまった数多の鋼鉄工場。
拾え! 一寸の鉄、一寸の鋼・・・滔々と波打つ稲の海、麦の波が鋼の鋤、鉄の鍬を呼んでいる。新たに見つけられた油田が求めるのは鋼鉄の掘削機だ。
嗚呼、壮麗なり共産主義のビルディング・・・鋼の柱を、鉄の梁を。一寸の鉄、一寸の鋼、それを溶鉱炉に投げ込め、労働者から迸る魂の汗、真っ赤に溶ける鉄、高鳴る胸の時めき・・・
恥じ入りながら針金を拾い、またペンチで掴む。一寸の鋼を溶鉱炉に、残った半寸をも、溶鉱炉に還そう!――
1958年に毛沢東の大号令の下で始まった大躍進政策は程なく破綻し、前後3年の間に中国全土で4000万人といわれるほどの膨大な数の「非正常な死」をもたらす。「非正常」とは言い得て妙。ズバリ、餓死。いまは、その責任の全てを毛沢東の暴政に負わせようとするが、どんなにも暴君だっただろうが、暴政は彼1人だけでできるものだはない。
政治の圧力の前に誰もが渋々従っただけ、と言えないこともないだろう。だが、中国全土で誰もが諸手を挙げて馳せ参じ、お互いが煽り合い、鉦や太鼓で沸きあがったことが毛沢東の背中を強く押し、国を挙げて悲劇の道を突き進んだとしか考えられない。
当時、毛沢東の鉄鋼増産の大号令に呼応し、国民は鍋や釜、鉄製の窓枠まで供出して、「土法炉」と呼ぶ手製のズサンな構造の溶鉱炉もどきに放り込み、裏山の木々を伐って燃やし鉄を作った。これでは、まともな鉄が作れるわけがない。
四川省では住民が火葬場に押しかけ、溶鉱炉代わりに使わせろと捻じ込んだ。溶鉱炉としては使えないと抵抗する職員は、「お前は毛主席の教えに背くのか」と反革命分子として吊るし上げられた、とか。涙なくしては語れない笑い話そのものの愚行が、全土でみられたらしい。この詩も、そんな壮大な悲劇的笑い話(!)の1つとは言えるはずだ。《QED》