――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習180)
それにしても、なぜ、この時期に李時珍なのか。その狙いを解くカギを、次に見ることができるだろう。
「人々が李時珍と古代の医薬学者を慕うのは、たんに彼が残した莫大な数の薬物学の知識を批判的に吸収しなければならないからだけではなく、やはり現実を注視し、実践する彼の精神を学ぶべきだからだ」と記した後、「毛主席が我々に教えているように、認識の源泉は実践にこそある。だから『誰であれ物事を認識しようとするなら、そのものと触れあい、そのものが置かれた環境に身を置く(あるいは実践する)ことを除いたなら、問題解決の道は存在しない。・・・認識を得ようとするなら、現実を変革する実践に参加しなければならない』のである」とする。
そして、「李時珍が長期に亘って民衆と交わり、自ら山野に出掛けて薬草を採集し、祖国の古代医薬学の宝庫に多大の貢献をなした歩みは、まさに毛主席のこの教えが千鈞の重みを持つ真理であることを証明するものだ」と結論づけた。
文中の『 』で括られた引用部分は『毛沢東選集 第1巻』に記されているが、1966年の文革開始から7年が過ぎた時期に李時珍を取り上げた狙いは「認識の源泉は実践こそにある」、つまり「実事求是」を訴えようとしたからではないか。毛沢東の死、四人組逮捕、文革終焉は3年後に迫る。
『漢書』河間献王伝を出典とする「実事求是」について、毛沢東は1941年に著した「我々の学習を改造しよう」のなかで、「“実事”とは客観的に存在するあらゆる事物であり、“是”とは客観的事物における内在的関係性、つまり法則性のことであり、“求”とは研究することである」と説いているが、中国の現実から出発せずに紙の上に書かれた外来理論を盲目的に振り回す党内のソ連留学組に対する批判することを狙ったのである。
1978年、鄧小平は対外開放政策を打ち出すに当り「真理の基準は実事求是にあり」を掲げたが、その狙いは党内で大きな影響力を持っていた毛沢東信奉(毛沢東思想原理主義)勢力の一掃にあったとされる。つまり毛沢東の旗を掲げることで毛沢東支持派を沈黙させ粉砕し、それによって対外開放を一気に進めようとしたことになる。
こう考えると、1973年4月に、しかも文革派の宣伝大本営でもあった上海人民出版社で「実事求是」を説く『李時珍与《本草綱目》』が出版された事実は、やはり注目されるべきだろう。あるいは『怎様打算盤』がそうであったように、どうやら文革に対する素朴な疑問、あるいは批判の意識が動き始めた。文革の行き詰まりが意識されるようになったからではなかろうか。
上海人民出版社が『李時珍与《本草綱目》』を出版するなら、と対抗意識を持ったわけではないだろうが、同じ73年4月、北京人民出版社が『曹雪芹和他的《紅楼夢》』を上梓している。
著者の李希凡(1927~2018年)は洋服屋の徒弟からマルクス学徒となり、18世紀中葉の清朝乾隆帝期の大貴族の住む「大観園」における大家族の家庭模様をリアルに描いた長編小説『紅楼夢』の研究家。『紅楼夢』を専門的に研究する学問を「紅学」と呼ぶが、その紅学に歴史唯物主義の視点を持ち込んだことからから、1950年代に毛沢東に認められ、中国における紅学の寵児に躍り出た後、紅学の権威に納まっている。
『紅楼夢』は曹雪芹の個人的体験をベースにしたとされ、劉少奇の時代には大家族が住む大観園の内側の華麗な世界の複雑な人間模様の総体として捉える「純学術的」で「唯心主義」的な観点に立った紅学が主流だった。これを誤った路線と断罪する李希凡は、大観園は腐りきった封建貴族階級のゴミためであり、紅学は封建的な唯心主義を脱し、毛沢東の指導に従って封建性のカスを強く批判する道を歩まなければならない、と主張する。
『曹雪芹和他的《紅楼夢》』は「労働者・農民・兵士が我が国古典小説の理解を助けるために編まれた」と記しているが、素直に読み進むと、当然ながら行間には毛沢東に対する拍馬屁(ヨイショ)の歌が満ち溢れている。やはり文学研究も政治に奉仕しなければならないのだ。《QED》