――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習179)
目次をざっと眺めて見ると、当たり前ではあるが草、穀、菜、果、木、虫などの部門の分量が多いから、素人目にも『本草綱目』は中国古来の漢方薬学の集大成だろうとは思える。
だが、「服器部」にまで読み進むと、およそクスリの材料とは思えないような奇妙奇天烈な品々が飛び出してくるから、李時珍に対するイメージは探究心に溢れた冷静な科学者から猟奇趣味に凝り固まった変人へと激変してしまう。くわえて、その奇人変人振りは驚くばかり。
たとえば汗衫(汗の染みた下着)、孝子衫(両親を亡くした子供が着た肌着)、病人衣、敗天公(破れ傘の骨)、草鞋、自経死縄(首吊り自殺で使われたロープ)、霊牀下鞋(死者を安置した寝床の下の履物)、死人枕席(死者の枕・夜具)、暦日(こよみ)、鉄椎柄(金槌の柄)、馬絆縄(馬を引く綱)、縛▲{豕+者}縄(豚を繋ぐ縄)、尿桶などなど。これでも、その一部に過ぎないというのだからタマラナイ。だが、こんなモノまでクスリにしてしまうのだから、彼の探究心は半端ではない。
ここで率直な疑問が湧いてくる。こんなモノが果たしてクスリになるのか。薬効がありそうもない薄気味悪いガラクタ以下から、どうやって有効成分を取り出すのか。そもそも薬効があろうとは到底信じられない。こんな奇妙なモノをクスリとして善用してしまう李時珍当時の人々の体は、いったい、どんな仕組みをしていたのか。人間の一般常識では考えつかないようなシロモノから、いったい、どうやって薬効ある成分を見つけ出したのか。たんなる経験知なのか。それとも“科学的根拠”に基づいた人体実験でも繰り返したのか。
疑問は疑問を呼び、疑問の塊は雪だるま式に肥大化する。だが、ここまで来たらヒョッとして、四つ足ならなんでも食べる広東人でも食べないとされる机だって、意外にクスリになる。いや、ムリヤリにでもクスリと信じ込んで喰らうかもしれない。とどのつまり、信じる者は救われるということか。
となると、「イワシの頭も信心から」などと悦に入って納得している日本人は精神も胃袋もヤワすぎると、大いに反省・猛省すべきだ。だいいち孝子衫・病人衣・敗天公・草鞋・自経死縄・霊牀下鞋・死人枕席・暦日・鉄椎柄・馬絆縄・縛▲{豕+者}縄(豚を繋ぐ縄)・尿桶なんぞに対するにイワシの頭では、病原に対しての破壊力が段違いだろう。
獣部の筆頭は豕【ブタ】。さすがに中国人の好物だけのことはある。20年前の2003年の統計だが、中国人は世界のブタの年間消費量のじつに51%ほどを口にしているという。つまり世界の人口の5人に1人に当たる中国人が、世界中のブタの半分強を食べてしまう。しかも、その比率は年々高まっているのだから末恐ろしいばかりだ。
そこで考えるのだが、なぜブタなのか。李時珍は『本草綱目』で、ブタには治癒しがたい狂病の治療に役立ち、腎気虚竭を補けるといった薬効があると説く。たしかにそうかもしれない。だが、ブタは繁殖率が異常に高いからともいえるのではなかろうか。絶滅危惧種など絶対に指定されそうにない。いや指定されるわけがない。だからこそのブタは活力の象徴であり源ではなかろうか。
さて獣部の末尾辺りに猩猩が登場してくるが、これは唇の肉が極上で羹にして啜ると具合がイイらしい。食べると飢えることもないし、元気よく走ることができる、とある。
さらに実在しないような獣も数多く収録されている。たとえば木の幹のなかから獲れる彭侯と名づけられる獣の肉は犬に似た味で、食べたら邪を辟【しりぞ】けて志を壮【つよく】するとのこと。滋養強壮の塊らしいから、たしかに申し分ない薬効ではある。
いま改めて『本草綱目』の目次に記された生きモノの項を最初から追ってみると虫、鱗、魚、介、禽、獣と続いている。そこで残る生きモノとして、ヒトが登場することになる。どうやら李時珍は人体も薬材として冷静・科学的に捉えていたようだ。見方を換えるなら、『本草綱目』は漢方薬学ではなく、万物を食べ尽くすために編まれた万物調理法教程本、いわば万能レシピの集大成とも思える。
ヒョッとして習近平は、より一層「邪を辟けて志を壮する」ために、私かに彭侯の大量繁殖を試みている。そうとでも考えなければ、半永久政権なんぞ思いつくわけがないだろうに。《QED》