――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習166)
向群――群(じんみん)に向き合う――とは、時代の風潮に迎合し過ぎた名前でイヤ~な感じだが、ともかく話を先に進めると、家路に急ぐ向クンの目の前の道路で、小さい子供たちがボール遊びをしている。と、プップーとクラクションが鳴る。
「端に避けろよ、避けるんだ」と向クンが大声を挙げた刹那、おじさんがサッと道路に飛び出し子供を小脇に抱えて助けた。走り去るトラック。おじさんは子供に注意しなきゃダメだよと声を掛け、人ごみの中に消えた。
感心している向クンの目が道路に落ちている一冊の本を認めた。「あれ、なんだろう。そうか、きっと、あの親切なおじさんの大切な本だろう」。おじさんに渡したくても、おじさんは立ち去った後だ。表紙を開いてみると「電機廠 董育明」としか書いてない。その街には電機廠は数多くあり、名前だけでは持ち主のおじさんは探しようがない。色々思案したが名案が浮かばない。
そこで「社会主義の英雄の素晴らしい模範を学び、どんな大きな困難があろうとも決心は揺るぐことがない」の思いを胸に先生に打ち明けた。すると先生は、「そうですよ。毛主席の紅小兵というものは、口にしたことは最後までやり抜くのよ」と励ましながら方々の工場に電話を掛け、おじさんの働く電機廠を探して当ててくれたのである。
向クンは自転車で工場へ。途中、急な雨。大切な本が濡れないようにと、着ていたシャツを脱いで包んだ。びしょ濡れの子供が差し出す本を受け取り、おじさんは「キミこそ本当の毛主席の紅小兵だ。行動で毛主席の偉大な教えを実践したんだから」・・・だそうだ。
『十粒米的故事』は、「仇恨的傷疤」と「十粒米的故事」の2つの物語を収めている。
前者は旧社会で牛馬のように働かされ、地主に反抗した故に手に深い傷を負わされた父親の話を聞き、「階級の恨みは永遠に忘れない。革命事業を受け継ぎ、党の指示を断固として守り、毛主席に従い、帝国主義・修正主義・反革命路線を必ずや打ち負かすことを誓う」と言うお馴染みのスジ運びだ。
後者は10粒の米を間にした爺さんと孫の物語である。豊作に沸く人民公社の精米工場から次々と米が運び出される。米を積んだ荷車から道にこぼれ落ちた米粒を1つ1つ丁寧に拾い集める爺さんを見て、孫は「人民公社は豊作だから、そんなことする必要ないよ」と。
すると爺さんは眉にしわ寄せ厳しい顔で、「その昔、我ら貧農は地主に搾取され、1粒の米も口にできなかった。だから1粒の米だって、いわば貧農の血と同じだ」と。それを聞いた少年は自らの浅はかさを恥じ、共産党への感謝を改めて知ると同時に、「貧農の誇り高い子孫として、革命の伝統を永遠に心に刻むことを誓った」のであった。
どちらの物語も真顔では聞いていられないほどにバカバカしくウソ臭い。取ってつけたような毛沢東思想式革命メルヘンとしか言いようはない。はたして『一堆土豆』や『十粒米的故事』が強く推奨される子供時代を過ごした世代も、半世紀余が過ぎた現在では50代後半から60歳そこそこだと思うが、彼らの記憶の中に今でも毛沢東思想式勧善懲悪ストーリーは残っているのだろうか。
『紅水河歓歌』には、広西チワン自治区内の労働者・農民・兵士が作った103編の詩が収められている。編者の解説によれば、103編の詩は「偉大な毛主席と毛主席のプロレタリア階級路線の偉大な勝利を唱いあげ、広西での社会主義の革命と建設路線の壮麗な姿を反映し、広西の各少数民族人民の多種多彩な闘争生活と各々の職場・職域戦線における英雄人物の姿を描写している」とのこと。
そこでモノは試し。「我要看呵我要飛(私は見たいんだ、飛び跳ねたいんだ)」と題する長編詩を全訳してみが・・・読み進むにつれて背筋がゾクゾクと寒くなってきた。《QED》