――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習13)

【知道中国 2347回】                       二二・三・卅

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習13)

 「真っ白な紙にはどんな絵も描ける」との毛沢東の考えに従って、小学校算数の応用問題に工場、農業生産合作社、農業合作社、それに労働者などを登場させ、小学生という「真っ白な紙」に理想的な社会主義社会を描こうとしたのだろう。

 漢字音で阿瓦林(アワーリン?)と綴られるロシア人らが執筆している『中國』が出版された前後の中ソ両国の関係を振り返ってみると、53年3月にスターリンが死去し、56年2月にはフルシチョフによるスターリン批判が行われた。一方、53年7月の休戦協定調印によって、54年9月には人民義勇軍の朝鮮半島からの撤退が始まる(完了は58年10月)。57年11月には、毛沢東が東側社会主義陣営の優位を高らかに宣言したかの有名な「東風が西風を圧する」と題する演説がモスクワで行われている。

 スターリン以後の社会主義陣営の「盟主」の座を巡って、毛沢東とフルシチョフの間の暗闘が始まっていた。フルシチョフに対する毛沢東の不信感・優越感は募るばかりだったに違いないが、“中ソ一枚岩の団結”を内外に強く印象づけるよう操作されてもいた。

百科全書の解説だけに、国家制度、自然地理概況からはじまり、経済地理、考古学、歴史、武装部隊、政党、中国人民統一戦線、労働運動、中ソ友好協会、出版・放送事業、保健、国民教育、自然科学、技術、哲学、歴史編纂学、言語学、文学、造形芸術、建築、音楽、演劇、映画まで、歴史年表を付し、当時の中国を多面的に捉えようとしてはいる。

とはいうものの、客観的・網羅的を装う記述の端々に当時のクレムリンの中国観が感じられるから興味津々ではある。

たとえば政党の項では当然のように中国共産党を最初に取り上げ、「中国共産党は中国労働者階級の先進部隊であり、中国全体の働く者の領袖であり、人民民主革命にとっての勝利の組織者であり激励者であり、中華人民共和国を領導する力であり指導する力である」と称えるが、続いて「中国共産党はロシアの偉大なる10月社会主義革命の勝利の影響を受け、1919年に開始された帝国主義に反対し、封建主義に反対する人民の運動が昂揚した環境のなかで成立した。・・・中国共産党は組織当初から一貫して偉大なるマルクス・レーニン主義学説によって指導されてきた。・・・国家の民主改革と国家が社会主義に向かう道を発展させ闘争を進める中で、中国共産党はソ連共産党とソ連社会主義が持つ世界史的意義の経験を指針としてきた」とする。しょせんはソ連共産党の“下僕”に近い扱いである。

そこには後の「偉大なる領袖・毛沢東」も見当たらないし、ましてや北京の独自性など一切認めてはいない。いや認めるわけがない。身勝手は断固罷りならん、であったはずだ。

 また朝鮮戦争については、「アメリカ帝国主義者は1950年6月に朝鮮戦争を発動した後、中国に対する直接的な侵略行動をみせ台湾を侵略し占拠した。アメリカの朝鮮に対する武装干渉は朝鮮人民に奴隷化の脅威を与え、さらに中国人民にも同様な脅威を与えた。・・・1950年10月、中華人民共和国の主権を守るべく、中国人民志願軍は身を挺して出撃し、兄弟である朝鮮人民を援助しつつアメリカ侵略者に反対する解放闘争を進めた」と、“捏造された歴史”に基づいた身勝手極まりない言い分を書き連ねる。

 この本はソ連の徹底したゴ都合主義的記述に満ち溢れているが、それというのも当時の北京がクレムリンの“上から目線”に唯々諾々と従っていたからだろう。この本は、まさに北京がクレムリンのポチであったことを示す証拠と言えると同時に、あの時代を象徴する記念碑的印刷物と言っておきたい。

時系列が錯綜するが、ここで55年に起きた事件の中で、その後の知識人の行動に陰に陽に影響を与えることになる「胡風事件」を簡単に見ておきたい。それというのも同事件を機に知識人は思想警察の番人や手先と化し、毛沢東の絶対化が進行するからである。《QED》


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