――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(39)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1814回】                      一八・十一・初四

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(39)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

 「善言者は、善行者にあらずとは」、「支那人一般に適用す可き名言也」。だが、彼らが「善く行はれざる」からといって、支那古典に満ちている善言が「善言たるの價値を損」するわけはない。

「白皙人種と競爭するは、單に武力の一點張り、若しくは生産の一方面のみに、限る可きにあらず」。やはり「此の學問の中樞、若くは中樞の一たる、支那古典の研究」こそが肝要である。「日支兩國を、精神的に提携せしむる」ことからも、「蓋し支那學問の興隆は、興亞の一大長策也」。

 ■「(七八)空論國」

議論の際に「動もすれば熱拳を揮」う日本人に対し、「支那人は戰爭中にも、尚ほ議論を事とする」。「要するに支那は、何よりも先づ言論の國」であり「文字の國」である。「露骨に云はヾ、空論國」ということになる。

「文字言論の國柄として、支那人の辭令に巧妙なるは、先天的と云ふも可」であり、同時に「饒舌なるは、亦是れ一種國民的性格」ともいえる。そこで「言論を以て能事とする代議政治は、支那に取りては、寧ろ適當の政治」といえるだろう。

「支那が言論國なればとて、我が日本も亦た、之に倣はねばならぬ必要」はない。「俗吏政治」は問題だが、さりとて「巧辯家政治」にも難がある。欧米諸国が「既に言論の厄運に遭ふ」ていることを考えれば、「東亞も亦た、果して同樣の厄運を迎へざる」を得ないようだ。

■「(七九)空論亡國」

日本では「支那的空論の流行」が見られ、残念だが「我が日本は、追々と空論繁昌の世の中となりつつあり」。「東亞の空論國は、支那のみにて既に澤山」であるというのに。

じつは「議論の効用は、實行にあ」るわけで、溺れる人を前に、溺れた理由、救助は必要か、救助された後に褒賞はあるかなどと「御託を並べんよりも。寧ろ直ちに手を出して、之を援くるを先務と」すべきだろう。やはり「日本は專ら實行の方面に、其力を竭」すべきだ。なぜなら「支那人、印度人、何れも言多くして、實少き」ゆえに、「今日其の國家の衰微若くは亡滅を招」いているからである。

「我國爲政者」が「他國爲政者の饒舌」に倣うようになっては、日本という「我が國家の前途や、實に憂ふ可きの至り」というものだ。

■「(八〇)豐富なる歷史」

「支那人には、新奇の物なし」。なんであれ「吾國に固有せり」と自慢する。それというのも「支那は舊國也、大國也。舊且つ大にして最も百科字彙的國」だから、ないものはないのが当たり前ともいえる。

たとえば「即今歐米諸國の問題たる、『國民協盟(リーグ、オブ、ネション)』の如きも、支那には春秋時代に、既に幾許か之を試みたる者ありし也」。

「吾人(徳富)は支那には、殆んど總ての事物存し、然も之れと同時に、總ての事物、殆んど皆な其の存在の意義を失墜しつゝあるを見る也」。かくして「此の如き豐富なる歷史を有するは、現在及び將來の支那人に取りて、幸乎、不幸乎、未だ猝かに斷言し易からざる也」と。

――徳富は「未だ猝かに斷言し易からざる也」とするが、やはり「此の如き豐富なる歷史」は不幸というものだろう。なぜなら、彼らが胸を張る「中華民族の偉大さ」を支える「總ての事物、殆んど皆な其の存在の意義を失墜しつゝある」からである。《QED》


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