――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(28)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1803回】                      一八・十・仲三

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(28)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

■「(四〇)孟恩達の芝居」

徳富は地方権力が「中央政府に向て、其の權力を有する」わけは、「中央政府の權力が、微弱」なるからだ、とする。つまり中央政府に権力を集中できないからこそ、地方の権力は「土皇帝」――その地域で皇帝然と振る舞いながら、中央政府の鼻っ面を引きずり回すことが可能となる。ということは、地方権力が積み重なって中央政府が形成されているわけではなく、中央と地方は常に緊張関係にあるということだろう。

■「(四一)統一乎分裂乎」

支那には「精神的統一なく、財力的統一なく、兵權的統一なし」。つまり「此の三個の統一を缺きつゝ、尚ほ中央集權の制度を扶植して、統一の政治を強ひんと欲す」るなどは、「全く出來ぬ相談」というものだ。だから「支那現時の中央集權制度は、到底有名無實」であり、それゆえに「支那政局は、何時迄も動揺して、到底平和と安寧と」は覚束ない。

とどのつまり「支那人は、中央集權こそ好まざれども、大國たることを好ま」ないわけではない。経済的にも統一が必要だし、長い統一の歴史を持っているわけだから、やがては統一に向かうことになる。なんら根拠なき「南北對立の如きは、支那國民性に反する」るものであり、やはり「卓上の空想」というものである。

――いずれ統一に向かうことを前提に大陸外交を展開せよということだろうが、やはり日本人は昔も今も短兵急に、しかも自分にとって好都合の結論を求めすぎるようだ――

■「(四二)支那合衆國」

「統一不能」で南北の「對立不可」なら、残された途は「歷史的慣行に遵由し、國民性の歸嚮に順應し、聯邦制度を施行する事」だろう。「極めて廣汎なる地方自治制を、施行」して、「中華民國をして、支那合衆國たらしむる事」である。その場合、「即近聯邦制度に於て、最も成功した「北米合衆國」と「獨逸聯邦」のどちらを範とすべきか。

徳富は「米國式を採用する」ことを提言するが、依然として出来もしない「中央集權の政治を、強ひんとする者」がいるが、それは「愚」というものだろう。

■「(四三)各省自治」

「支那人の心意氣」からするなら、「中央政府の手が、我が爐邊に及ぶを好ま」ないが、さりとて「大國民たることは、失ひ度くなし」。ならば「地方人民の希望に任せ」た各省自治、つまり「文明的封建政治」を実施すればよい。

連邦制度を実施すると中央政府より地方政府が強大になってしまうと危惧する声がある。だが、「支那國固有の痼疾」は「四千年來の尾大國」、つまり臣下の権力が君主を上回ることが常態化していることであり、中華民国を名乗ろうとも実質的には「尾大不振」であることに変わりはない。

やはり「一朝にして尾小國たらしむるは、不可能の事」だから、やはり各省自治による連邦制度が最も現実的ということになる。

■「(四四)自治は自衞也」

「大國を治むは、小鮮を烹るが如しとは、支那に於て、特にその眞理」である。この意味からして、「各省自治、聯邦制度の適用は、最も機宜を得たるものと思ふ」。こうすれば「南北分裂の危惧もなく、幾多の小英雄、小政治家、各々其所を得て、其の地を安んずる」ことができる。「自治は即ち自衞」であり、地方自治が確実に実行されたなら中央政府による干渉の心配はないし、外国からの侵略の危機もない。

かくして「支那の領土保全も、始めて空言たるを免る可き也」というのだが・・・。《QED》


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