――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(23)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1798回】                      一八・十・初三

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(23)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

■「(二一)半醒半睡」

「支那彼自身の立場に理解なし」。だから「亞細亞人てふ、一大自覺」もないし、「日支の關係は、自餘諸國との關係以外に、緊密痛切なるものであるを、覺悟し」ていない。「要するに支那の對外政策は、從來の因襲に囚はれたる」ままであり、「遠交近攻の策とか、以夷制夷の術」といった古くからある他力本願の類であり、「坐ながら其利を占めんとするにする過ぎない」。そこで、結果として「支那は全く列強の外に孤立し、却て列強合同の壓力の下に、立たざる可からざるの窮地に陥りたり」。

たとえば李鴻章は日清戦争に際し「露の力を藉りて、日本を制せんとした」が、却ってロシアに弄ばれただけではなく、ドイツ、フランス、イギリスにまで足元を見られ、「自から一の得物なくして、總ての損失を」被ってしまった。「託米排日の政策」を執った袁世凱だったが、対日関係で窮地に陥った時、アメリカは取るものを取ったうえで彼を救うことはなかった。

つまり「李袁二氏の對外政策の失敗」に象徴的にみられるように、彼らは国際政治の上で自らが置かれている立場を理解していないし、ましてや「亞細亞人てふ、一大自覺」があろうはずもない。

■「(二二)日支の經濟關係」

「對日本の關係は、支那側より見て、甚だ重大と云はざるを得」ないが、ことに日本経済の立場からも双方の関係は重要だ。それというのも「日本の工業、製造品が、支那の市場を重なる得意」としているからだ。「支那が日本に向つて、其の市場を鎖した」なら、日本経済は危機的状況に陥る。つまり「經濟上に於ては、支那は日本の死命を制し居るものと、見て可也」。

じつは「自給自活は、現代の經濟主義」ではあるが、「日本は不幸にして、此の自給自活の原則を自國丈にては、嚴密に實行するを得」ない。これを言い換えるなら、「日本の自給自活中には、支那の供給を算入せざるを得ず」。だから「日支の經濟的關係が、他國との關係以上に、特種の意義ある所以也」ということになる。

■「(二三)日本の自給自活」

日本は「世界的帝國を有す」る英国とも、「國其物が一世界」である米国とも違い、「經濟的自給自活に到りては、唯だ支那に依るの他ある可らず」。英米諸国のように「支那との關係は、尋常の賣買損得の關係に止」まるわけにはいかない。じつは「日支の關係は、國運消長の關係也。日本の立場より露骨に云はヾ、國家の死活關係也」。

かりに「支那が日本との經濟同盟に不同意」なら、日本は窮地に陥る。「是れ則ち支那の日本に對する強味」というものだ。だが、だからといって日本が「指を啣へて、引き下がる」わけがない。「現代の日本を敵に廻して、支那が獨り自ら立たん抔とは、以ての外の了見違と云はざるを得」ない。

■「(二四)日本人を利用せよ」

現在、「支那が貧國なりと云ふは、唯政府の貧なるを意味」するだけで、決して「邦土の貧を意味」するわけではない。「天賦の資源」をみるならば、「北米合衆國に若くはない」。豊沃で広大な土地の下に無尽蔵に近い天然資源を眠らせている「支那の憂は、富源なきにあらずして、之を開發せざるにあり」。「これを開發するは、支那を利し、且つ日本を利す」。「両者の經濟同盟は、寧ろ自然の勢に順應するもの」だ。だから彼らは日本を「敵として待遇せず、味方として待遇」すべきであり、これこそ「日本人を利用する最善の策だ」。《QED》


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