――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(40)
内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)
「立憲制の根本となるのであるというので」自治制度の実施に努めたが、「成績がまるで予期に反して」しまった。「それでは支那人に自治の能力が無いかというと、必ずしもそうではない」。じつは「従来支那の人民はその治者たる官吏」を当てにせず、血縁を軸とする宗族と呼ばれる自治組織によって相互扶助を維持して来た。こういった「昔から存在して来たところの自治団体を根柢にして、旧来の習慣を斟酌し、そのうえに新しい自治制を築き上げれば、自治制も立派に成功」したはずを、当局者が「その管内に自治制を施行したことを早く誇らんがために、単に欧米もしくは日本の制度を翻訳的に施行しようとした」。
いわば旧来の伝統的な自治組織を無視し、先進諸国で行われている自治制を機械的・翻訳的に導入したことが間違いの元である。だが、「その効能を見ないからといって、全く自治制に失望し、そうして昔時の習慣がよいと即断」して「昔時の習慣」に戻ることは間違いであると主張する。
やはり「自治制を遂行し得るところの政治上の徳義と、潜在力」の有無が「自治制を遂行し得る」か否かのカギになる。ならば自治制失敗は、彼らに「自治制を遂行し得るところの政治上の徳義と、潜在力」がないことを明らかにしたと判断するしかない。
内藤は宗族などの旧来からの自治組織に期待を繋いでいるようだが、それが封建体制を永続させてきた中核組織であることを考えるなら、「今日の文明国と同一な政治」は望むべくもないということだろう。
立憲政治にせよ共和政治にせよ、やはり柱は司法の独立だ。ところが、それも覚束ない。それというのも行政官が司法官を兼務するという長い伝統からして、「支那の民度がまだ行政と司法を分けるまでには至らない」からだ。「ただ支那の現在の官吏が能力が乏しいのと、人民が良い法の精神を味わうだけの力が無いので、行政司法を分けることの利益を感じない」からといって、旧い制度に戻すわけにもいかないと説く。
では、いったいどうすればいいんだ。「支那人に代わって支那のために」内藤に問い質したいところだが、とどのつまり司法改革に関し「わずか数年の間で効能が無いから、旧法に復するように、方針が一定しないようでは、とうてい政治の改革を断行するの能力が無いものと謂ってもよいのである」との陳腐な答――ダメだから駄目――が返ってくるのみ。
次は教育論に移る。
儒教道徳と「新しい共和組織の精神が一致しない」から、「数千年来の倫理思想にも影響を及ぼ」してきたことで、「孔子の教を廃するというような極端の論まで生じた」。「近来はまた孔子教を国教にするという議論が出来、そのことを憲法」に盛り込もうという考えもある。だが「国教というようなものを定めて、元来異教の信仰が自由なる国風を改め、この時代後れの方法によって、国民の精神を固めなければならぬというような極端論は、あまり感心すべきことではないと思う」とのこと。
色々と語っているが、つまり内藤は「(孔子の)精神が支那の民心から決して消滅し去るはずのものではない」から、「それを取り立てて孔子教を国教とするなどというのは、政治上の専制的統一の意味を教育の上にまで及ぼそうという」ことであって、それでは「却って後々孔子教がその外の宗教の反抗を受け」てしまい、結果として「自ら孔子教を小さくして、従来極めて寛大なる精神を失わしむるに至る」とする。
どうやら内藤は彼らが古くから持つ「極めて寛大なる精神」の柱に「孔子教」を置きたいようだが、はたして彼らの振る舞いから「極めて寛大なる精神」を感じ取ることが出来るのだろうか。「孔子教」に対する評価が過大に過ぎるとしかいいようはない。《QED》