――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(30)
内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)
中国における南方と北方の文化的な違い、その違いに起因する政治的反発の一端は決して遠い昔の話ではない。現在の香港においてすら見ることができる。
目下の香港で高まる反中央政府意識を牽引する陳雲は自らの『粤語學中文、愈學愈精神(広東語で中文を学べば、学ぶほどに意識が高まる)』(花千樹 2014年)で、彼の母語である広東語と大陸における普通話(漢語)を比較して、双方の文化的な違いを説く。
「中国語の授業は必ずしも言語の訓練を意味するものではない。中国語の授業とは生活の描写、文学作品の鑑賞、文学や歴史知識の伝承であり、その背後では情理の鍛錬であり、感性を練磨し、道徳を教え授けることでもある。香港の日々の生活に根差した広東語で教育し、生まれた土地の漢語で教育すべきだ。教師と生徒や学生相互の間の心の障碍のない環境の下において広東語で忌憚なく交流してこそ、人の心を通わせることができる」。
「中共当局が高圧的に進める発音・文法・語彙から判断して、普通話は実質的には華北地方で話されている土語でありこそすれ、中国語ではない。中共はモスクワを最も優れたものと位置づけるロシアに倣った特権政権であり、その高圧的な『普通話普及運動』から判断して、中共が打ち立てたのは単なる華北土民共和国に過ぎず、中華人民の共和国ではない。一たび動乱状態に陥るなら、中国は必ず南北に分裂する。中国南方の『ウクライナ(広東語地区)』は北方の『ロシア(北方土語地区)』から離脱するだろ。中共が強行する誤った普通話政策は、最も非難されるべき罪を背負ったものだ」――
内藤の『支那論』からは離れるが、香港における一連の民主化運動は中央政権が強行する強権政治、つまりは「一国両制」の骨抜き政策に対する反発という政治的側面のみを強調すると将来を見誤る。「一国両制」云々する以前に、香港住民の心情に陳雲の説くような素朴な反北方感情が潜んでいることを忘れてはならない。南方が北方を毛嫌いするということは、そのまま北方も南方に対する嫌悪感・警戒感を潜ませているに違いない。
東・西・南・北に中央部、それに東西南北の国境地域――それぞれが持つ地域感情を強引に抑え込み、あたかも統一された一国として装わせているのが、共産党政権の独裁権力というものだろう。
ここで『支那論』に戻るが、次に内藤が「支那人に代わって支那のために考えた」のは「支那の内治問題にあって、現今最も重大に視られておるものは、地方政治と財政の二つであ」り、先ずは「三 内治問題の一 地方制度」を取り上げた。
歴史的に漢、唐、宋、元、明、清と振り返って見ると、地方行政区画は屋上屋を重ねるように複雑であり、それゆえ行政権限が錯綜していて、これまでも多くの弊害が指摘されてきた。こうした土壌に「欧米文明国の政治の外形に模倣し」た地方政治改革を機械的に導入してもうまくいくわけがない。だから「支那は支那だけの従来の政治上の利弊として識者に考えられておったところのことも十分に考えねばなければならぬ」のだが、広大な国土と未発達の交通網が問題となる。
ここで先ず考えるべきは「一体人民が国に対する感じが頗る鈍感であって、一方に激烈な騒乱があっても、一方の人民は一向平気でおるというような国」における国民性だ。だが、そんな国民性ならば地方行政制度を小さく区切った場合、「思いの外の叛乱、もしくは外国の侵略があった時に、それに対する防禦」は容易ではないだろう。政治組織は未整備で民度は低いから内乱の可能性は常にあり、国防は不完全で外敵の侵略を国境外で防げず、愛国心や国家の独立意識に乏しく、如何なる事変にも対処できない――このように中華民国を捉える内藤は、「小区画制」の地方行政制度は適当ではないと結論づけている。《QED》