――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(16)
内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)
「支那現勢論」が『太陽』に掲載された同じ7月の29日から月を跨いだ8月5日までの間、内藤は「大阪朝日新聞」にやや長文の「革命の第二争乱」を発表し、北京を軸に北方を押さえる袁世凱の打倒を掲げて、南方を基盤とする反袁勢力が武力に訴えて決起した第二革命を論じている。
およそ第一革命が「敵味方の間に憎悪心が割合に緩やかで」あることから、戦乱の局面の大きさの割合に戦禍は惨烈というわけではない。だが第二革命「個人的憎悪心が非常に激しくなった結果」として発生するだけに、「戦乱の禍は、どうしても非常に惨烈になるわけである」。
以上を基本に南方と北方の両勢力が置かれた客観情況を比較して見ると、「南方の人心が既に戦乱に懲りておって、前回のごとく革命というものに対して興味を持っておらぬ、各地の商務総会などが戦乱に反対の意見を発表しておるのでも分る、それで前回のごとくそういう財源になる人々から援助を得ることが難しくなっておる」。つまり袁世凱打倒の旗印を掲げたのはいいが、肝心の軍資金を厭戦気味の企業家が拠出したがらなくなったわけだ。これに対し北方は「支那中部の大都会を占領しておる」ことに加え列強からの借款を受け、「各国の代表者などもとにかく現在の袁世凱をして統一せしむるということを希望する点」などからして、「袁世凱の今日はむしろ清朝の末路に優っておると云うことが出来る」。
以上を根拠に、内藤は南方の反袁勢力より袁世凱を擁する「北方の方が幾らか有利である」と判断した。ここで勝敗のカギを握る海軍の動向に注目し、「支那の海軍というのは格別有力なものではないけれども、とにかく長江の連絡を取るぐらいの力はあるので、今日もその挙動は南北の勢力を支配するものになる」とした後、軍備・戦術・戦略の3点から中国の特殊性を考えた。
「支那のように軍備の発達しない国」においては軍備・戦術・戦略は「密接に関係しない」。「大局」こそが重要になるというのだ。「それで支那でも昔から天下を統一した英雄などは、皆この大局を第一に重んじ、いよいよ戦争となれば戦略を最も重んじ、そうして戦術はそれほど大なる値打ちをもっておらぬ」のである。
たとえば1946年から3年続いた国共内戦にしても、軍備・戦術・戦略のどれをとっても?介石が毛沢東に勝っていたに違いない。文化大革命にしても、党でも政府でも実権を握っていたのは劉少奇であり、毛沢東は権力中枢から外されていた。?介石にしても劉少奇にしても、毛沢東を叩き潰せる客観条件は十分に整っていたはず。にもかかわらず勝者は毛沢東だった。ということは、やはり「昔から天下を統一した英雄などは、皆この大局を第一に重んじ、いよいよ戦争となれば戦略を最も重んじ、そうして戦術はそれほど大なる値打ちをもっておらぬ」との内藤の指摘は、現代にも通じるようだ。
ホラでも妄想でも「大局」に立った大戦略を前にしては、巧妙精緻な戦術なんぞは役には立たないということか。たとえば目下焦眉の急である一帯一路である。ユーラシア大陸の東西を結び、これをアフリカにまで広げ、あわよくば南北アメリカ大陸まで包み込んでしまおうという「大局」――この場合は、大風呂敷というべきだろうが――を前にしては、やはり個々の戦術では如何にもヒ弱だ。確かに「海洋における自由航行」という主張は正しい。だが、それだけでは脆弱が過ぎる。力のない正義なんて屁の役にも立たないんです。
閑話休題。
第二革命を押さえつつある袁世凱陣営だが、列強からの借款にも限度あり。戦乱で徴税もままならず。財政基盤が弱いことは「支那のために由々しき大事」といえそうだ。《QED》